第13話 影の者

 女御に左大臣との会話内容を聞き、月花はその腹の探り合いに眩暈を起こしそうになっていた。互いを牽制し合い、その腹のうちは見せずに相手の弱みを探る。高度な応酬は月花の手に余る。


「……そういえば、左大臣様も影の者を使うということでしたが」

「そう、ですね。香のような者は決して多くはありませんが、力を欲する者たちは彼らを使って栄華を得ようとします。表沙汰には出来ない諸々のことを彼らに任せ、隠し、表で笑うのです」


 厳しい物言いをする弘徽殿の女御は、痛みを覚えるような顔をした。思わず息を詰めた月花は何も言うことが出来なかったが、代わりに香が身を乗り出す。


「女御様、ご自身を蔑むような言い方をされてはいけません。わたしは、己の意志で女御様に仕えているのですから」

「ええ、そうですね。出会って間もない頃、貴女はわらわに真っ直ぐな目をして言ってくれました。その時のことを、一時でも忘れたことはありません」


 ですが、と女御は言葉を区切る。


「わらわと香のような関係を築いているのは極わずかでしょう。左大臣殿は、彼らを道具と同じように使うことしか学ばなかったでしょうから。香、充分に気を付けて」

「はい、肝に銘じて」


 頷いた香は、月草の件を調べると言ってその場を辞した。

 香の気配が失せ、次いで何者かの気配も消えた。月花は気付かなかったが、女御は鋭い視線を香の消えた方角へと向ける。


「あの、女御様?」

「左大臣の手の者がいたようですね。まあ、良いでしょう。……香も鈍くはありませんから、必ず撒いてくれるはず」

「大丈夫、なのでしょうか?」

「勿論です。でなければ、わらわの傍にいようなどとは思わないでしょうから」


 女御の視線には、不安の色はない。ただそこにあるのは、香への信頼の光だけ。


(強いな、この方は。俺も、女御様のように強くならないと。でないと、藍を捜し出せない)


 強く拳を握り締め、月花は女御を真っ直ぐに見詰める。

 女御もまたその瞳を受け止め、にっこりと相好を崩す。


「さあ、邪魔する者はいなくなりましたから。あなたの聞きたいことにお応えしましょう。香のような存在について話しましょうか?」

「お願いします」


 真剣な表情の月花を正面から見詰め、女御は語り始める。その細く白い手に握られた扇は落ち着いた紫色。


「……香は、我が一族に古くから仕えてくれる血族の娘です。影の者として主の願いを叶えるために動く一族です。その動きの中には、勿論血なまぐさいものも含まれます。主の邪魔をする存在を消し、しかしそれを主によるものだと周りには気付かせずに」

「言うなれば、汚い仕事も請け負うということですか?」

「その通り」

「……では、左大臣様の使う影の者というのは? 女御様はご存知なのですか?」

「いいえ。その存在を知る程度、といったところです。彼が何人の影を使い何をしているのか、知ることはほぼ不可能でしょう」


 内裏において、左大臣は高官の中でも上位に位置する。その役職に就く者は帝からの信を得ていることは勿論、政においても腕の立つ者でなければならない。その点、海成は同じく左大臣であった父の教えを吸収し、魑魅魍魎はびこると言われる内裏での地位を築いていた。

 海成に後ろ暗い噂がないということはないが、それらは全て表沙汰になることはない。誰もが左大臣に怯えつつ、こびへつらう。その理由を、月花は今知った。


「つまり、左大臣様の影の者が、暗躍した結果だと……?」

「ええ。わらわも何度か噂にならない話を耳にしましたが、それすらもいつの間にか打ち消されました。つまりは、そういうことなのでしょう」

「……っ。女御様、左大臣様が月草の件に関わっている可能性は、いか程あるとお考えですか?」


 月花の問いに、女御は扇を口元にあてて考え込んだ。しかしそれもわずかな間のことで、少しの悲しみを含んだ瞳が月花に向けられる。


「かなり高い、と考えて良いでしょう。藤壺の更衣の父であり、帝を利用してこの国を我がものとするために画策するあの者ならば造作もないはず。更衣が願い、帝の心を一度でも傾けることが出来れば容易なことです。更衣は山吹の宮様、帝の妹君と親しい。それもあって、左大臣が動くには十二分な理屈です」

「どうにか、左大臣様がかかわっているという証拠を得られれば!」

「あの男は、守りが固い。動くにしても、決して一人で彼に立ち向かってはいけませんよ。……わらわは、あなたまで失いたくはないのですから」

「……はい」


 たった二人での会話は大きく盛り上がることはなく、それでも穏やかに心地良い時を過ごさせてくれる。互いに月草の君という存在を介さなければ出会うことすらなかったはずだが、今は運命共同体に近い。


「――では、女御様。おやすみなさいませ」

「月花の君、また明日」


 月花は仕事を終えて自らの局へと歩みを進める。

 女御の傍には夜通し仕える誰かがいて、平時から備えを欠かさない。今夜も数人が交代で番を務めるのだろう。月花はといえば、女御の口添えでその役割とは無縁だ。おそらく、月草関連のことで急に動く可能性を考えられているのだろう。


(明日は、左大臣の様子を見れたら良いんだけど。虎政に相談して……ん?)


 後宮は帝の住まう清涼殿と繋がっており、殿上人の一部は帝と対面するために許しを得て入り込むことがある。しかしそれも、普段ならば昼間のこと。こんな夜更け、清涼殿から出て来る人影といえば、女のものであるに違いない。

 しかしながら、それは遠目にも男のもので間違いなかった。


「誰だ? あれは……」


 影が清涼殿から遠ざかる。その行き先が内裏の方角だと悟った時、月花は足音を忍ばせてその影を追った。

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