第12話 牽制し合う

 それは、月花が席を外していた間の出来事。

 左大臣・海成うみなりが娘である藤壺の更衣のもとを訪れたという知らせを受け、弘徽殿の女御は何となく気もそぞろなままでその時を待っていた。海成は、娘のもとを訪れた後に必ず女御のもとを訪れる。それ女御への牽制の意味が大きく、女御にとっては我慢の時だ。

 果たして、その後しばらくして海成が弘徽殿へやって来るという報告を受けた。


「お久し振りでございますな、女御様」

「これは左大臣殿、ご健勝のこととお見受け致します」


 互いにそんな挨拶を交わし、互いの様子を窺う。


「左大臣殿、変わらず帝をお支えするその手腕、帝が感服なさっておいででした」

「有り難き幸せ。帝は聡明であらせられますから、わたくしたちも考えさせられることばかりでございます」


 表面的な会話が続き、海成は唐突に「そうそう」と話題を変えた。どこか見下したような視線を受け、女御のこめかみがぴくりと動く。


「ご存知かと思いますが、我が娘は帝の覚えめでたく、毎夜伽に呼ばれると言っておりました。まさに、一族にとって誇り高い娘ですな」

「存じておりますわ。更衣様は美しく、聡明でもございますから。……今後とも、帝をお支えするために手を携えて参りたいものです」

「……はっ」


 あくまでにこやかに、女御は左大臣の嫌みを受け流す。立場だけを考えれば、女御というこの国最高権力者の正妻である女御と左大臣の身分では女御の方が上だ。流石に左大臣もそこは知っており、女御に頭を下げるしかない。


「……そういえば、女御様は噂話等はお好きですかな?」

「人並み程度には。よく、女房たちが楽しげに花を咲かせておりますから、わらわの耳にも入ることがありますよ」

「でしょうなぁ」


 話題を転換した左大臣を不審に思いつつ、女御は受け答えをする。うんうんと頷いた左大臣は、ふと思い付いたような口ぶりで閉じた扇を口元にあてた。


「何でも、我が娘の友に関する話が出回っているとか。娘にも相談されましてな、女御様は何かご存知ありませんか?」

「……左大臣殿に隠しても無駄でしょう。わらわもその話は知っていますよ。ただ、話の出処などはわかりませぬが」


 藤壺が気にしているのなら、調べさせましょう。女御はそう約束することで、話を切り上げようとした。

 しかし、左大臣の言葉はそれで終わらない。


「有り難いお言葉、流石は女御様ですな」

「おだてても、何も良いことは起こりませんよ。左大臣殿」

「これは失敬致しましたな。ですが……」


 扇を広げ、口元を隠す。そして左大臣は、意味深に目元を緩ませた。


「影の者を使うのは貴女様だけではない、と覚えておいておられた方が良いように思われますぞ」

「……肝に銘じておきましょう」

「それでは、失礼を」


 そう締め括り、左大臣は弘徽殿を辞した。

 残された女御は、足音が完全に遠ざかってから大きく息を吐き出す。彼女の傍に控えていた女郎花の君が、目くじらを立てた。


「全く、左大臣様の言い方や態度には目に余るものがございます!」

「良いのですよ、女郎花の君」

「ですがっ……いいえ、ここで激高してはあちらの思う壺ですね」

「その通りです。流石ですね」

「女御たる者、常に穏やかに。大局を見極め、帝と国のために動くべし。……いつも、女御様がおっしゃっておられますから」


 たしなめられ、女郎花の君は深く息を吸い、吐き出す。怒りを鎮め、「月花の君を探してまいります」と言い置いて弘徽殿を出て行った。

 女郎花の君の背を見送り、女御は先程の左大臣との会話を思い起こす。彼のあの言い方は、噂について首を突っ込むなという牽制だろう。


(どちらにしろ、あの方とは敵対することになりますね。月花とわらわが、月草を捜すことを諦めぬ限りは)


 左大臣は、女御とはまた異なる繋がりをもって様々なことを把握している。その網に引っ掛かることなく、秘密裏に何かを進めることなどほぼ不可能。


「……ならば、わずかな隙をも見落とさずに。香、頼みましたよ」

「はい、女御様」


 いつから聞いていたのか、天井から香の声がする。女御はそれをあらかじめ知っていて、左大臣と話をしていた。

 影の者を使うのは、左大臣だけではない。香もまた、影の者と言われる類の者だった。

 香の気配が消え、代わりに女郎花の君に連れられた月花が顔を出した。


「お傍を離れ、申し訳ございません。女御様」

「良いのですよ、月花の君。女郎花の君も申したかもしれませんが、あなたがいなくてよかったくらいですからね」

「確かに聞きました。一体、何を言われたのです? 差し支えなければ、教えて下さいませ」

「ぼんやりと、牽制されたのですよ」


 目を細め、女御は微笑んだ。そして女郎花の君を交え、左大臣の持つ手駒について語る運びとなったのである。




 それから少し後、左大臣は邸にて月明かりを見上げていた。

 左大臣である海成の邸は、内裏からそれ程離れていない大通りに面した豪邸だ。広い庭には川から引いた水が流れ、月の姿を映す池を満たしている。ぼんやりと浮かび上がる見慣れた景色を眺めながらも、海成の頭の中にあるのは一族の、ひいては己の栄華を極めるために打つべき布石。


「……鞍佐くらざ

「ここに」


 海成以外に誰もいなかったはずの背後に、一つの気配が立つ。海成は振り返ることなく、暗闇に溶け込んだ男に向かって尋ねた。


「女御の様子はどうだ?」

「特に動揺した様子も見せず、あの後影の者に命じて左大臣様を見張らせる心づもりのようでございました」

「……あの女、下手に刺激することも出来ぬが。いずれ、追い落としてやる」

「全ては、主様の思いのままに」


 暗い笑みを浮かべる主の後ろに控え、鞍佐は深々と頭を下げた。

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