第8話 噂集め

 思わず息を呑んだ月花に、百合の君が目を瞬かせた。しかしそこで何か問うことはせず、軽く会釈した後彼の横をすり抜けて行く。


「――あまり、詮索されない方が身のためでは?」

「なっ!?」


 真横を通る瞬間、耳元で囁かれた言葉。月花は思わぬ内容に瞬間思考を停止させたが、すぐに理解して振り向く。しかし、そこにはもう百合の君の姿はなかった。

 静かになったの子にたたずむしかない月花は、軽く眉をひそめて彼女が向かったはずの山吹の宮の住まいの方を睨み付ける。言葉の真意は不明だが、百合の君は月花が何を聞いていたのか見たのかもしれない。

 そんな危惧を持ちつつも、月花は心に誓う。必ず、藍―月草の君―を救い出すと。


(俺に藍を諦めろとでも言うつもりだったのか? もしかしたら杞憂かもしれないが、俺も出来る限り調べてみよう)


 香だけに任せては、彼女の負担が増えるばかりだ。弘徽殿の女御は立場上、帝や山吹の宮に対して強くは出られない。決して自分の正体を知られず、噂の真相を求めなければ。


「……まずは、さっきいた女房たちに話を聞くところからかな」


 そう結論付けると、月花は庭の傍を離れた。




 昼を過ぎ、やるべきことは落ち着いた。月花は弘徽殿の女御の許しを得て、あの時内緒話に花を咲かせていた女房たちを探すことにする。

 女房は三人。広いが狭いこの後宮において、女であっても男同様に動き回る必要がある。そのため、一度は顔を合わせたことのある者が数多い。

 月花が一人目と二人目を同時に見付けたのは、弘徽殿を出てから半刻も経たない頃のこと。丁度渡殿で話をしているところに出会い、気のないふりをして話しかける。


「もし。少しお聞きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」

「あら、あなたは……」

「わたくしは、弘徽殿の女御様にお仕えしております、月花と申す者でございます」


 月花は扇で顔を半分隠しながら穏やかに微笑み、二人の警戒感を解こうとした。それが功を奏したのか、二人の女房は顔を見合わせてからそれぞれに誰に仕えているのかを話してくれる。


「わたくしは、藤壺の更衣様にお仕えしております」

「わたくしも、同じですわ。何か、聞きたいことでもおありでしょうか?」

「はい。……実はわたくし、先程お二方が別の方も交えてお庭でお話されているのを偶然聞いてしまいまして」


 申し訳ありません。そう言ってしおらしく腰を折れば、二人の女房は少し気まずい顔をしたものの、首を横に振った。


「それは、こちらもよくありませんでしたわ。ねぇ」

「ええ。先程、百合の君にも釘を刺されたところでしたから。月花の君、あなたの聞きたいことはそのことかしら?」

「はい。……ご存知かも知れませんが、わたくしは後宮において若輩者です。儀式も何もかも、知らないことが多くあります。ですから」


 月花はそこで声を落とし、二人に向かって「山吹の宮様の替え玉が用意されたと耳にしたのですが、それは一体どういうことなのですか?」と率直に尋ねた。

 すると二人の女房はさっと顔を青くしたが、一人が月花を手招く。彼女について行くと、人気ひとけのない死角へと誘われた。その場にて、女房たちは声を潜めて月花に言う。


「わたくしたちも、あくまで噂として耳にしただけなのですけれどね」

「清姫の儀という特別な儀式があるのです。それには帝の一族から一人、姫君をこの国を守る神へと捧げる必要がある。通例ならば、帝の妹であらせられる山吹の宮様が神にお仕えする役割を担うはずだった」

「だけれど、宮様は今も禊ぎに入ってはおられない。……噂では、宮様の信厚い女房の一人が、嫌がる宮様のために替え玉を用意したのではないかというのです」


 最初は遠慮がちに話していた女房たちは、徐々にその話し方に熱を入れていった。後宮という閉じられた場所に居る彼女らにとって、噂こそが最高の娯楽。月花が口を挟まずとも、流れ出る言葉は止まない。


「替え玉といったって、それが誰なのかは儀式のときにならなければ分かりっこないわ。禊ぎの場は帝など一部の方々しか知らない秘された場所ですもの」

「帝は妹君を大層可愛がっておられますからね。傍から離れたくないとおっしゃられれば、その我儘をお聞きになるでしょうし」

「……」


 つまり、帝すらも一枚かんでいる可能性がある。月花はそれを知って内心焦りを覚えていたが、顔にはおくびにも出さない。穏やかな顔をして、二人の話を聞く。


「そういえば、この前帝のもとに百合の君が呼ばれたそうよ。妹宮様の様子をお聞きだったのでしょうけれど」

「宮様は藤壺様と懇意ですからね。こちらにもよく遊びに来られては、わたくしたちを下がらせて二人だけで語らっておられるわ」

「その場にいるのは、百合の君と左大臣様によってえらばれた女房たちだけ」

「わたくしたちのような大臣家と縁のない者には、用などないのでしょうね」


 少しずつ話が逸れていくことを感じながら、月花は頃合いかと引き際を見極めていた。これ以上か経っても良いものは訊くことが出来ないであろうし、二人がもしこれ以上口を滑らせ誰かに聞かれれば、月花も言い逃れが難しい。

 月花は一歩身を退き、目元を緩めて二人にお辞儀をした。


「貴重なお話をありがとうございました。まだまだ無知ですので、また教えて頂ければ嬉しく思います」

「あら、少し話し過ぎましたわね」

「いつでも教えて差し上げますよ。こちらこそ、お話し出来て楽しかったわ」


 二人の女房と和やかに別れ、月花は女御のところへ戻る。その道すがら、焦る気持ちを抑えるのに苦労した。


(百合の君だけでなく、帝までもが絡んでいるというのか? それに左大臣、山吹の宮、藤壺の更衣……なかなか難しいな)


 眉間にしわを寄せそうになりながら、月花は急ぐ。

 その後ろ姿を、一つの影がじっと見詰めていた。

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