第5話 紅葉の宴

 宴が始まれば、表では見目麗しい姫君たちの団欒だんらんが行われる。美しい紅葉を仰ぎ見ながら、思い浮かぶ和歌を披露していくのだ。

 しかし、その裏側となれば話は別となる。


「それはこちらへ。それはこちら!」

「はい、ただ今!」


 大きな足音は聞こえないものの、右往左往する女房たちの姿がある。しずしずと歩くことを常としている彼女らも、主たちを待たせるわけにはいかないのだ。

 美しく盛り付けられた皿を運び、下がる。その間、焦りを顔に出してはいけない。

 月花もまた、女郎花の君の指揮のもとで動く。ようやく慣れてきた女房装束をさばきながら、足りなくなってきた歌札を補充する。


(ん?)


 歌会に興じる女性たちの後ろに回り込み、札を置く。それをしながら、月花は何者かの視線を感じていた。


(誰だ? 密かにこっちを見ているような。敵意はあまり感じられないが……)


 きょろきょろと見回すわけにもいかず、月花は目だけを動かして局全体を見た。どの女性たちも歌に集中しているように見えたが、ただ一人だけこちらをちらちらと見る者がいる。藤壺の更衣だ。

 美姫たちが集うこの場にもしも貴公子などがいれば、目の色を変えたかもしれない。これだけ高貴な女性たちが集う場など、後宮以外にはあり得ないからだ。しかし月花にとって、それは魅力あるものではない。


(おれを見詰めたところで、何も出て来はしないんだがな)


 その場で問うことも出来ないため、月花は藤壺の更衣の視線に気付かぬふりをした。そのまま奥へと下がり、次の仕事をと片付けていく。

 宴が幕を下ろしたのは、日が落ちてからのこと。




 夜となり、山吹の宮たちが己の部屋へと戻って行く。

 多くの女房を従えた宮と藤壺の更衣が去ると、弘徽殿は途端に弛緩した空気をまとった。全ての片付けを終えた頃には夜も更け、先程まできびきびと動き回っていた女郎花の君も息をついて立ち止まる。


「全く、あの我儘姫たちの世話をするのは容易ではないわ……」

「ははは……」


 苦笑いを浮かべることしか出来ない月花は、静かな足音を耳にして振り返った。そこには、穏やかな表情で女房たちを眺める弘徽殿の女御の姿がある。

 月花の見ている方向に気付き、女郎花の君は表情と姿勢を正した。


「女御様、お越しだったのですね。気付けず、申し訳ございません」

「良いのですよ、女郎花の君。皆、疲れたでしょうから。楽にしていて下さいな」

「はい」


 女郎花の君に続いて姿勢を正し始めた女房たちに、女御の大らかな言葉が響く。彼女の厚意に甘え、皆いつもよりも気を抜いた時を過ごした。




 同じ頃、飛香舎では山吹の宮が藤壺の更衣を前にして義姉への不満をぶちまけていた。苛々としている主が手に負えず、宮付きの女房たちが押し付けて行ったというのが真相ではあるが。

 藤壺の更衣は幼い頃から山吹の宮の世話係であったため、もう慣れっこである。いつもと同じように、にこにこと微笑みを絶やさない。


「それでね、藤壺。義姉上ったら……」

「わかっております、宮様。ここには私しかおりませんから、好きなだけお話し下さいませ」

「ありがとう、藤壺。流石、わたくしの友ね!」


 目を輝かせ、山吹の宮は藤壺の更衣に抱き付く。幼い頃から共に過ごした二人にとって、それは当たり前の触れ合いだった。

 とはいえ、現在の身分は違う。山吹の宮は帝の妹であり、藤壺の更衣は左大臣の娘であると共に帝の后の一人だ。近くて遠い身分が、藤壺に遠慮を強いる。

 そっと宮の肩を押し、藤壺は苦笑をにじませた。


「宮様、そうやって抱き付いてばかりいては、また百合の君に目くじらを立てられませんか?」

「うっ……。そう、ね」


 百合の君とは、山吹の宮の乳兄弟であり女房でもある女性だ。男顔負けの頭の良さを持ち、男でないことを実父に悔やませた才女である。

 残念そうに体を離す山吹の宮を見て、藤壺はくすくすと小さな笑い声を上げた。


「本当に、宮様は百合の君には弱いのですね」

「当たり前でしょう? 生まれた頃からの付き合いでもあるし、彼女には大きな借りがあるのだから……」

「ええ、そうですね。百合の君がいなければ、私たちはこうやって二人で語らうことすら出来なかったでしょう。……そう思うと、私も頭が上がりません」


 あのことを思い、藤壺は目元に愁いを零した。しかしそれも一瞬のことに過ぎず、彼女はすぐに表情をいつもの微笑みに戻す。


「そういえば宮様、父がつ国から取り寄せた珍しい菓子があるのですが、召し上がりませんか?」

「良いの? 是非、頂きたいわ」

「ふふ。そうおっしゃると思い、先に支度をさせておきました」


 そう言って藤壺が女房を呼ぶと、一人が進み出て菓子の乗った器を差し出す。それを受け取ると、彼女は目をきらきらと輝かせた山吹の前にそれを置いた。


「なんでも、油を用いた菓子だとか。父のお墨付きですから、お一つどうぞ」

「ありがとう、頂きます。……ふふ。夜の菓子なんて、罪深いわね」

「今更ですわ、宮様」


 山吹の宮に次いで、藤壺もまた菓子を手に取った。それを同時に口に入れ、甘い味に舌鼓を打つ。

 幼馴染二人の甘く罪深い夜は、そうして更けていった。

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