第4話 山吹の宮

 数日後、弘徽殿にて後宮の女性たちを集めたうたげが催された。これは毎年行われている年中行事の一つであり、秋の紅葉が最も美しい時期に行われる歌会のようなものだという。

 今年初めてその催しを手伝うことになった月花は、女郎花の君の指示を受けて宴開始の支度をしていた。他の女房たちに混じり、夕餉ゆうげや歌を詠むための札、筆と墨の用意もする。

 ようやく着慣れてきたと思っていた長袴での歩き方に苦慮しつつ、月花は一人で大量の歌札を運んでいた。高く重ねたそれのために見える範囲が狭められ、誰かにぶつからないことを祈りながら廊下を進む。

 しかしそういう時に限って、前方から複数の気配が現れる。


(おっと)


 いち早く気付いた月花は、足を止めて廊下の端へと移動する。しかし相手は構わず進み続けたため、仕方なく歌札を傍に下ろして姿勢を正した。


「……おたわむれが過ぎませんか、桃の君殿」

「あらぁ、何のことでございましょう?」


 目と鼻の先で顔を合わせ、桃の君はわずかに顔を歪ませた。しかしすぐにいつも通りの嫌みな顔つきになり、月花を見下す目をしている。

 すっとぼける桃の君に文句を言うのも億劫で、月花はもうそれに触れないことにした。すぐにこの場を離れたかったが、一介の女房ごときには無視出来ない相手が目の前にいる。


「山吹の宮様、ご機嫌麗しゅう存じます」

「お前、女御様のところの新米ね。義姉上あねはおられる?」

「はい。局の方に」

「そう」


 興味を失ったのか、山吹の宮と呼ばれた女性はゆっくりとした優雅な足取りでその場を去って行く。彼女の後を追って、桃の君もいそいそと去った。

 山吹の宮は、今の帝、つまりは弘徽殿の女御の夫の同母妹だ。月花と同じ十二歳だが、特別な地位にあるせいかわがまま放題に育てられ、今に至る。彼女の扱いには弘徽殿の女御も手を焼いているそうだが、そろそろ扱いがわかって来たのだと女郎花の君が笑っていたことを思い出す。

 山吹の宮と取り巻きの去った方向を眺め、月花は再び歌札を運ぶために持ち上げた。


(山吹の宮といえば、飛香舎ひぎょうしゃの更衣とは友だと聞いたな。あっちは左大臣の娘、か。面倒な……)


 飛香舎は別名藤壺とも呼ばれる。そこを住まいとする更衣は、都で帝の次に権勢を誇る左大臣の娘だ。我儘な娘として評判の山吹の宮とは異なり、彼女は奥ゆかしく控えめな者だと言われている。実際、月花が一度だけ出会った飛香舎の更衣はそのような印象があった。

 今宵の宴に招かれたのは、山吹の宮と飛香舎の更衣を始めとした女人たち、そして彼女らの女房たちだ。華やかながらも、その裏には都の権力闘争が垣間見える。

 左大臣海成うみなりは、その権勢を盤石なものにしようと娘を帝のもとへと入内させた。今のところ子はいないが、女御にも子がいないために一発逆転の好機は続いている。

 ちなみに弘徽殿の女御の父は以前左大臣だったが、病のため没した。現在、彼女の後ろ盾は帝しかいない。

 女御自身から聞いた後宮の人間模様を思い出しながら、月花は歌札を所定の位置に置く。そして終わったことを報告するために女郎花の君を捜していたのだが、何やら奥が騒がしい。

 覗けば、女郎花の君が渋面を作って何処かを見詰めていた。


「ただいま戻りまし……た?」

「ああ、お帰りなさい。月花の君。重かったでしょう、ありがとう」

「いえ、お気になさらず。あの、これは?」

「ああ……」


 月花の困惑に、女郎花の君は眉間にしわを寄せて顎をしゃくった。そちらに目を向ければ、奥で弘徽殿の女御と先程出会った山吹の宮が何か言い争っているらしい。

 本来、裳着もぎを済ませた女性は男性の前に姿を見せないものだ。会話も御簾みすを介し、位の高い女性は言葉すら交わさない。

 そんな高貴な女性たちを前にして、月花は己の慣れを自覚していた。


(最初はどうなるかと思ったけど、慣れるものだな)


 内心苦笑をしつつ、月花は女御たちの会話に耳を傾けた。どうせ、いつも通り宮が言いがかりをつけているのだろうとあたりをつけて。

 案の定、山吹の宮が女御に食って掛かっている。


「――から、義姉上。わたくしが申していますのは……」

「何度言ってきても、出来ないものは出来ません。貴女ももう、わからない歳ではないでしょう? いい加減、分別というものを身に付けて頂かなければ」

「わ、わたくしに分別が無いと!?」


 いきり立った山吹の宮が、顔を真っ赤にして震えている。

 彼女の我儘っぷりは後宮では有名な話で、帝の同母妹という立場がなければ今頃降嫁させられているだろうという話を聞く。降嫁先があるかどうかは兎も角。弘徽殿の女御も、義妹である彼女の扱いには手を焼きつつ、無下に出来ないのだ。

 文句の一つも加えてやろうと思ったのか、山吹の宮が口を開く。その時、彼女の袖を引いた者がいた。


「宮様、そのあたりでお収め下さい」

「……藤壺」


 山吹の宮は振り上げかけた手を下ろし、七つ年上の友を振り返った。

 そこにいたのは、細身の女性だ。線が細い上に、艶やかな黒髪が美しい。山吹の宮と友人関係を結ぶ、左大臣の娘。飛香舎の更衣、またの名を藤壺の更衣という。


「ごめんなさい、藤壺。怖がらせてしまったかしら?」

「いいえ、宮様。ですが、ここは女御様のお局です。わたくしたちは招かれた側ですから、諍いを起こすべきではないかと存じますわ」

「うっ……。それは、そうね」


 ぼそぼそと女房に謝罪した山吹の宮は、藤壺の更衣に連れられて所定の位置に腰を下ろした。二人に続き、彼女らの女房たちも腰を落ち着ける。

 その姿を目にして、弘徽殿の女御は目に見えて安堵した様子だった。


「さあ、始めましょうか」


 女御の挨拶を受け、女ばかりの華やかな宴が始まった。

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