第3話 兵衛佐虎政

 都の北側に位置する大内裏は広く、幾つもの役所が軒を連ね配されている。弘徽殿を出た月花は、きょろきょろと周囲を見渡した。


(いつもならば、誰かしら通りがかるんだけどな。……最悪、着替えて官人のふりをして入り込むか?)


 着替えに時を要するが、急ぎの仕事もない。月花がそれを真面目に考え始めた時、目の前を知り合いが通りがかった。


虎政とらまさ!」

「まっ……。お前、女房が大声上げるんじゃない」

「ああ、すまない。でも丁度良かった」


 顔見知りに会えた嬉しさで立場を忘れていた月花は、袖で口元を覆い控えめに微笑んだ。それを見て、虎政は肩を竦める。

 虎政は、月花が真兎であった頃からの友人だ。月草の君と共に三人、幼い頃より遊び仲間として育った。

 彼の家は古くから帝に武官として仕えてきたためか、多くの武官を輩出する名家として都で知られている。同じく古くから文官として名高い真兎の家とは、祖父の代からの縁があった。

 切れ長の目は涼やかで、後宮においても女房たちが黄色い声を上げる存在だ。そんな虎政と軽口をたたき合う間柄だと知られれば、弘徽殿以外に仕える女房たちからどんなひがみを向けられるかわかったものではない。

 ただ残念なことに、虎政は和歌が恐ろしい程不得意なのだが。


(おれが後宮に勤めると言った時、こいつも出仕すると言ってくれたんだよな。また、三人で笑い合えるようにしたい)


 短期間で上官の信を得て兵衛佐の位を持つ虎政は、太刀の扱いに長けている。直衣のうし姿は人の目を惹き、月花は軽く頭痛を覚えた。

 一つ咳払いをし、月花は女房としての言葉遣いに改める。


「虎政……殿、一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」


 月花が言葉を改めたことで、虎政も幾分か丁寧な口調になった。

 そんな彼に、月花は手にしていた文を手渡す。


「こちらを、兵衛府にと女郎花の君から言付かりました。お頼みしても宜しいですか?」

「承知しました」


 では。そう言って踵を返しかけた虎政は、何を思ったか振り返って月花の袖を引く。

 月花は目を見張ったが、今度は声を潜めて尋ねた。


「どうした?」

「進捗はどうなんだ? 今日、それを聞こうと思ってここまで来たんだ」

「成程な」


 苦笑し、月花は周りを確かめた。見目麗しく目立つ虎政と一緒にいるところを誰かに見られれば、変な噂が立ちかねない。そうでなくても特に弘徽殿の女御に気に入られている新米女房として知られている月花は、用心に用心を重ねてから虎政の袖を引いた。


「少し話したい。こっちに」

「おう」


 月花が虎政を連れて行ったのは、とある建物の影。大内裏にはこういった周囲から隠れられる場所というものが幾つも存在し、月花も同僚に教えられて知っていた。

 そこは、あまり人の立ち寄らない木の下。月花は虎政の袖から手を引くと、彼の顔を軽く見上げる。虎政の方が月花よりも拳一つ分ほど背が高い。


「それで? 月草のことは何かわかったのか?」

「わからないってことだけが今わかっている全てだな。女御様も調べて下さっているけど、かんばしい結論はない」

「あいつが消えて、半年何もなかったんだ。すぐに何かわかるってことはないよな」


 息をつき、虎政は天を仰ぐ。晴れ渡った秋の空は澄んでいるが、二人の心には暗雲が立ち込める。

 がりがりと烏帽子を被った後頭部を掻き、虎政は月花の肩にぽんっと手を置いた。


「俺も色々調べてはみているけど、こちらも目ぼしいものはない。でも、諦めるなよ? 諦めたら、あいつには一生会えない気がする」

「わかってる」


 虎政の手を払い除け、月花は笑った。


「また何かあったら連絡する。だから、そっちも頼むな」

「おう。お前のお父上とお母上も、お前のことを案じておられるぞ。特にお父上は大内裏にお勤めなんだ。顔を見せてやったらどうだ?」

「……お前、内裏からやすやすと出て父上と会えるとか思うなよ?」

「顔が怖いぞ、真兎。わかってるって」

「本当か?」


 後宮は、まさに女の園だ。男として生きてきた月花にとって、その世界は驚きの連続である。と同時に、恐ろしい場所だという感想を抱かざるを得ない。

 例えば誰かが大内裏に出仕する貴公子と話をしたという噂が立てば、その相手の詮索が始まり、悪い時は嫌がらせが横行する。月花自身、その現場を一度見たことがあった。

 疑う月花に苦笑して見せ、虎政は仕事へ戻って行った。


(おれも戻ろう。女御様を心配させてしまう)


 つけ髪がずれていないかと具合を確かめた後、月花もまた弘徽殿へ戻るために踵を返した。おそらく女郎花の君も、月花がなかなか帰って来なければ探しに来るだろう。


「ただいま戻りました」

「お帰りなさい、月花の君。遅かったわね」

「はい、少し知り合いと話をしていました」


 いそいそと仕事に戻る月花を眺めやり、女郎花の君もまた自分の仕事に目を移した。

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