第2話 弘徽殿の女御

 密約を交わした翌日から、弘徽殿の女御は月花に会う度に月草との話を聞きたがった。彼の話を月草がよく局でしていたらしく、本人に会いたかったのだと微笑む。


「月草の君がここにいたならば、もっと楽しい時を過ごせたのでしょうけれどね」

「女御様……」


 月花を呼ぶ時、大抵女御は人払いをした。女郎花の君という側近中の側近も一時的に用事を言いつけて下がらせ、誰も寄せ付けない。それが月花の秘密を護るために必要なことなのだ、と女御は笑った。

 十数日後、女御は月花を内密にもう一度呼ぶ。そしてその時、一人の女を紹介した。

 彼女は他の女房たちのような煌びやかな着物は着ておらず、暗い色の直衣を身に着けていた。一見では男かと見紛う彼女のことを、女御は「こう」と呼ぶ。


「このは、わらわが表立てないことを調べる時に呼ぶの。名を香と」

「香、でございます。月花の君、いえ、真兎殿、お見知り置きを」

「初めまして、香殿。宜しくお願い致します」


 香はほとんど表情のない女だが、月花に頭を下げられて目を見開いた。しかしそれも短い時のことで、その変化には女御しか気付かない。

 月花は顔を上げると、ふと不思議に思って女御の方に顔を向けた。


「あの、女御様」

「何でしょう?」

「香殿は、何故ここに?」

「ふふ、その話がまだでしたね」


 女御は袖で口元を隠して微笑むと、少し表情を変えた。


「香には、月草の件を調べてもらっています。あの娘が姿を消して、もう半年。何でも話してくれた彼女がこんなにも長い時を留守にするなんて、異常です。わらわは表立って動けませんからね」

「確かに、女御様ともあろう方がたった一人の女房を捜すなんて……他の貴族たちからしてみれば恨み嫉みの格好の対象でしょうね」

「呑み込みが早くて助かります。ですから五日に一度、香を交えて話しましょう。香もそれを呑み込んでおいて下さい」

「承知致しました、女御様」

「香殿、改めて宜しくお願い致します」

「……はい」


 懸命な様子の月花に、香はわずかに目を細めた。そしてその変化を女御に見られたことに気付き、こほんとわざとらしく咳払いする。


「兎に角、いつも通りに話をしても宜しいですか。女御様」

「ええ、勿論」

「では……」


 香は居住まいを正し、これまでに女御に語ったであろう初期情報を含めて月花に語ってくれた。


「……月草の君が姿を消したのは、およそ半年前。女御様は数日戻らなかった彼女の行方を方々で聞き回りましたが、誰一人として知っている者はいませんでした。そこでわたしをお呼びになり、裏から探らせたのです」

「裏?」

「ええ、そうです。大内裏は、貴族たちの欲望を呑み込む場所。裏を少し覗けば、表からでは決して見えない景色を見ることが出来ます」


 月花の問いに応じた香は、話を戻す。


「私がこの十数日で調べることが出来たのは、月草の君が消えたのは彼女の意思ではないこと。最後に彼女と会った武官が申すには、とか」

「その誰か、とは?」

「わかれば、その者を問い詰めるのだけど。残念ながら、手掛かりが未だ掴めていないのです」


 本当に残念そうに、女御が肩を落とす。


「ごめんなさい、月花の君。これ以上、貴方に教えられることは何もないのです」

「いいえ、女御様。香殿もありがとうございます。……最初は、おれ一人で捜せるかと不安でいました。けれど今、あいつを心から案じて下さる方々に会えました。礼を言わなければならないのは、おれの方ですよ」

「……」

「ふふ。香、無表情でも照れているのが丸わかりですよ」

「……女御様っ」


 頬を染め焦りを見せた香に、女御は淡く微笑んで見せた。そして扇を軽く振ると、鮮やかな紅色のそれを広げる。


「必ず、あのを無事な姿で取り戻します。この国のいただきである帝にお仕えする者として、憂いは除いておかなければね。……何よりも、わらわがあの娘に会いたいのですから」

「はい、宜しくお願い致します。女御様、香殿」

「ええ」


 それから、何度か密談は繰り返された。それでも決定打に欠ける知らせばかりで、月草の君を見付けるのは至らない。

 月花は焦りを覚えながらも、日々の仕事に忙殺される日々を送らざるを得なくなっていた。それは彼が新米女房であることが最も大きなことだったが、同時に大内裏を含めたこの国の中枢での顔を売るためでもある。


「何を知るにも集めるにも、自分で踏み込まなければ得られないものもあるのですよ」


 そう言ったのは、弘徽殿の女御だ。

 そして今日も、月花は女郎花の君に名を呼ばれた。女郎花の君の手元には、一通のふみがある。


「月花の君、兵衛府ひょうえふに届け物をお願い出来るかしら? 誰かに言づけてくれれば良いから」

「承りました、女郎花の君」

「頼みましたよ」


 頷き、月花は後宮を出る。誰か、官人に使いを頼まなければならない。

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