第6話 開幕の日

 2023年2月17日。

 春の陽気漂い始めた金曜日。

 今日の19時から、等々力競技場で、川崎フロンターレvs横浜F・マリノスのJリーグ30周年開幕マッチが行われる予定となっている。

 新たな顧客層を獲得しようという試みで始まった金曜日開催の所謂金Jきんじぇいという試合で、DAZNでの有料放送のみで視聴できる一戦。

 ちなみに川崎フロンターレは、去年2位の強豪。

 オープニングマッチとしては素晴らしい組み合わせとなっていた。


 学校を終えて、俺はその足で川崎のホームスタジアムである等々力競技場の最寄り駅、武蔵小杉へと降り立った。

 武蔵小杉も、近年の発展は凄まじいものがあり、タワーマンションが次々と立ち並んでいる。


『もうすぐ着きます!』という莉乃ちゃんのメッセージを受け取り、俺はJRの改札口前で待ち合わせ。

 しばらくして、人の流れに沿って、ユニフォーム姿に身を包んだ莉乃ちゃんが姿を現す。


「お待たせしました」

「おはよう、今日はよろしくね」

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」


 にこやかな笑みを浮かべる莉乃ちゃん。

 女の子がサッカーのユニフォームを身につけている姿って、やっぱり可愛らしいものがある。

 そんなことを思いつつ、俺は視線を出口へと向けた。


「歩こうか。列整理の時間もあるし」

「はいっ!」


 ちなみに、松田さんは部活が終わってから、母親は仕事が終わり次第合流する予定となっている。

 席は全部で四つ確保しなければならない。

 といっても、等々力競技場のアウェイ自由席は、石段の階段に線が敷いてあるだけの仕様になっているため、座席という概念が存在しない。

 場所取りはそのスペースを四つ確保するという意味である。


「金曜日なのに敵チームの会場で行われる試合に観に行けるのは、近いからだよなー」

「ですね!」


 横浜と川崎。

 昔からずっと争い続けてきた。

 ダービー対決。

 いや、正直川崎は、多摩川を挟んだ向かい側にあるFC東京との多摩川クラシコが一番なので、横浜はいいライバル関係にあると言った方がいいだろうか。

 2017年から6年間この2チームでJリーグのタイトルを争い続けてきたのだ。


「夜ご飯は買った?」

「はい、持ってきましたよ」

「俺まだ買えてないから、途中でコンビニに寄ってもいいかな?」

「えっと、その必要はないと言いますか……」

「どうして?」

「なんといいますか……あははっ」


 すると、突然お茶を濁し始める莉乃ちゃん。

 俺が夜飯を食べるの、そんなに嫌なの⁉

 でも、何も食べないで試合観戦したら、夜ご飯を食べるのが夜の22時を回ってからになってしまう。

 お腹がすきすぎて、応援にも熱量が入らないというもの。

 莉乃ちゃんがいくら嫌がろうと、ここは背に腹は変えられない。


「ごめん莉乃ちゃん。スタジアム外の公園で食べるから許してくれ」


 そう言って、丁度コンビニ前に辿り着き、俺がコンビニへ入ろうとした時、莉乃ちゃんに手を掴まれてしまった。

 えっ、そんなに俺に何も食べて欲しくないの⁉

 この前カフェでコーヒーを飲んだけど、そんなに飲み方汚かったかな!?


「そうじゃなくて! そのぉ……」


 莉乃ちゃんは落ち着きがない様子でキョロキョロと視線を彷徨させる。

 俺が首を傾げていると、意を決したように顔を正面に向けてきた。


「と、智輝さんの分も作ってあるので、良かったら食べてください……ってことです」


 言葉尻りになるにつれ、どんどんと声が小さくなっていく莉乃ちゃん。

 しかし、俺は一語一句聞き取った。


「えっ……俺の分あるの?」

「はい……お母さんに事情を話したら、張り切って作っちゃったので、良かったら食べてください」


 なるほど、大体のことは察した。

 というか莉乃ちゃんのお母様、確実に何か勘違いしていらっしゃるようなするのは気のせいかしら?


「とにかく分かった。そういうことなら、ありがたくいただくことにするよ。だけど、コンビニで飲み物だけ買わせてくれ。応援してるときに喉枯れちゃうと困るから」

「分かりました。そういうことなら」


 莉乃ちゃんも納得してくれたようで、一緒にコンビニへと入っていく。

 試合会場の近くということもあり、店員さんも全員フロンターレのユニフォームを着用して接客を行っていた。

 まさに、アウェイ一色とはこのことを言うのだろう。

 店内も、これからスタジアムへ向かうお客さんでごった返しており、レジには長蛇の列が出来ていた。

 俺はペットボトルのお茶とお水を購入して、ようやくコンビニでの買い物を済ませる。

 その間も、莉乃ちゃんは俺の元からはぐれないよう、服の袖をきゅっと摘まんでいた。

 周りから見たら、カップルで試合を観に来た学生と思われているのだろうか?


 とそこで、ちらりとスマホで時間を確認すれば、列整理の時間が迫っていた。


「ヤバッ、もうこんな時間だ! 莉乃ちゃん、急ぐよ」

「えっ、きゃっ⁉」


 俺は莉乃ちゃんの腕を引いて、ダッシュでスタジアムへと向かうのであった。



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