第5話 きっかけ
オフィシャルグッズショップに立ち寄った後、俺と莉乃ちゃんは、スタジアムから新横浜駅方面へと歩いたところにあるカフェに立ち寄っていた。
俺がコーヒーを嗜んでいる間にも、向かい側に座る莉乃ちゃんは、オフィシャルショップで手に入れたお気に入り選手の背番号入りキーホルダーをニタニタ笑顔で見つめていた。
「良かったね。お目当ての選手のが出て」
「智輝さんのおかげです。ありがとうございます!」
「いやいや、たまたまだから気にしないで」
このキーホルダーは、いわゆるシークレットタイプの商品となっており、中身を空けるまでどの選手が当たるのか分からないシステムとなっている。
莉乃ちゃんが最初に購入したのだが、推しの選手が当たらず落ち込んでいたので、俺も挑戦してみることにしたのだ。
そしたら、莉乃ちゃんイチ推し選手のキーホルダーが当たり、交換してあげたのである。
俺は別に推しの選手がいるわけではないので、快く交換してあげたんだけど、莉乃ちゃんにとっては感謝感激だったらしい。
「その応援グッズも大切にするんだよ」
「もちろんですよ! 智輝さんに貰ったものですから!」
莉乃ちゃんはそう言って、ぎゅっと胸元へキーホルダーを抱き留める。
「でも、智輝さんに貰ってばかりですね……」
「そんなことないよ。今日だってその……莉乃ちゃんからお礼貰ったわけだし」
莉乃ちゃんとお姉さんである松田さんから二つもチョコレートを貰ってしまった。
こんなバレンタイン、二度と訪れることはないだろう。
「私なんかに貰っても、智輝さんは他の人からもたくさん貰ってるでしょうし、ご迷惑ではなかったですか?」
申し訳なさそうに尋ねてくる莉乃ちゃんに対して、俺は手を横に振った。
「ないない。俺、学校では全然モテないから」
「えっ、そうなんですか? 智輝さんみたいな素敵な人なら、引く手あまたかと思ってました」
「莉乃ちゃんは俺を過大評価しすぎだよ。学校ではクラスの端っこで目立たないようにしてるキャラだぞ?」
「そうなんですか!?」
「意外だった?」
「はい、クラスでも中心人物なのかと……」
「それはないよ。俺は運動部でもないんだからさ」
「でも、智輝さんは優しいです!」
「優しさだけでクラスの覇権取れれば、今頃天狗になってるだろうね」
「……もう、智輝さんはずるいです」
莉乃ちゃんは納得が行かなさそうな様子で、頬をぷくりと膨らませる。
そう言われても、事実なので、ありのままを伝えただけなんだけどな。
恐らく、莉乃ちゃんの中で、俺は俺は美化され過ぎているのだ。
なんだか自分で考えてて虚しくなっていたので、話題を変えることにする。
「莉乃ちゃんはさ、マリノス観戦好きになったきっかけとかってあるの?」
「きっかけですか? そうですね……」
莉乃ちゃんは人差し指を唇に当てて、視線を上に向ける。
そして、はっと思い出したらしく、にこやかな笑みを湛えてきた。
「あれは、2019年の時でした。私がまだ、小学生の頃の話です」
莉乃ちゃんは昔を懐かしむようにして、きっかけを語り始めた。
「マリノスが十五年ぶりに優勝するんじゃないかと言われていて、家族でスタジアムに行くことになったんです。今までテレビとかでサッカーの試合を観たことはあったんですけど、スタジアムに足を運ぶのは初めてでした。スタジアムに足を踏み入れた時、ほとんど満員に埋め尽くされたスタジアムを見て、私は圧倒されたんです。うわぁ、サッカーってこんなにも人気なスポーツなんだって」
「あの年の最終節は1位と2位の直接対決で、勝った方が優勝って状況だったから、凄い人だったよね」
「ですです! それで、ゴール裏の座席の人たちが飛び跳ねて声援を送っている姿を目の当たりにして、心打たれてしまったんです。もちろん、試合内容も鮮明に思えています。優勝が決まった瞬間、スタジアムが歓喜の渦に包まれたんです。あの感動は現地でしか味わえないと思いました。今まで現地で観戦したことがなかった私でも、自然と涙が出て来て居ましたから」
「いやぁ……あれは泣いたよね。ずっとリーズタイトルから遠ざかってたから」
15年ぶりの優勝。
マリノスにとっては、長い呪縛から解き放たれたと言ってもいいだろう。
もちろん俺も、あの瞬間を、ゴール裏の席で声援を送りながら見守っていた。
試合終了のホイッスルが鳴り響いた刹那、自然と込み上げてくるものがあり、号泣したのを覚えている。
「優勝の重みって言うのをその時に知りました。一年間頑張って来て、積み上げてきた努力の賜物なんだと気づいたんです。それで、私のその一員として、少しでも貢献できればなと思ったんです」
「なるほどね」
「それからはしばらく、お姉ちゃんが空いてる日に試合に連れて行ってくれるようになりました。毎試合はこれ無かったですけど、気づいたら私とお姉ちゃん二人でマリノスのファンになってました」
「そっか。二人に共通の趣味が出来て良かったね」
「はい! おかげでお姉ちゃんとも話の話題が出来て嬉しかったです。でも同時に、もしお姉ちゃんが飽きちゃったとき、私はどうなっちゃうんだろうっていう不安もよぎったんです」
「それで、一人でこの前国立に出向いたってわけか」
「はい……最初は凄い一人で心細かったです。お姉ちゃんに頼まれていたグッズも買うことが出なかったですし……。でもそんな時、心優しい人が目の前に現れました」
それが誰かは、聞かなくても俺だと分かる。
初めて一人での観戦。
莉乃ちゃんは不安でいっぱいだったに違いない。
そんな時、偶然にも俺が話しかけたことで、彼女の中で何かが芽生えたのだろう。
「声を掛けてくれたのが智輝さんで良かったです。じゃなかったら私、まだしばらくお姉ちゃんにつきっきりだったかもしれません」
「そっか、お役に立てたのであれば光栄だよ」
「恩人ですよ。だから、この恩は一生返し続けます!」
「いやいや、そこまでしなくていいから!」
「私がしたいだけなので気にしないでください!」
莉乃ちゃんは両手をぎゅっと握り締め、やる気に満ちた表情を向けてくる。
まあ、言っても聞かなそうなので、莉乃ちゃんが尽くしてくれる限りは受け止めることにしよう。
「そう言えば、金曜日の試合は行きますか?」
「もちろん! 莉乃ちゃんは?」
「私もお姉ちゃんと一緒に行きます! 自由席ですか?」
「うん」
「あのっ、智輝さんが差し支えなければなんですけど……開幕の川崎戦、一緒に観戦しませんか?」
「えっ⁉」
突然の提案に、俺は視線を泳がせてしまう。
「ご迷惑でしたら、断っていただいて構いませんけど……」
ちょっと期待の眼差しで見つめてくる莉乃ちゃん。
そういう目で見つめられると、断るにも断りずらい。
俺は母親と観戦してるので、莉乃ちゃんや松田さんを連れて行くのに抵抗があるのだ。
というか、絶対に母から変な詮索をされる未来が見える。
「ダメ……ですか?」
うっ……その上目遣いは反則だろ……。
潤んだ瞳で見据えてくる莉乃ちゃん。
俺は喉の底まで出かけていた言葉を飲み込んで、ふぅっと大きく息を吐いた。
「いいよ。一緒に観ようか」
「本当ですか⁉ やったぁー!」
莉乃ちゃんは嬉しそうに華やかな笑みを浮かべた。
母さんには、しっかり事情を説明して、変な詮索をさせないように釘を刺しておこう。
こうして、俺と莉乃ちゃんは、開幕戦の川崎戦を、一緒に観戦することが決定したのであった。
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