第7話 母親

なんとか列整理に間に合い、指定された番号の待機列に並ぶ。

列は競技場の外にある広場まで続いており、平日の夕方にも関わらず多くのマリノスサポーターで埋め尽くされていた。


「流石は隣町。人が多いですね」

「だね」


神奈川県に住んでいる人が東京へ向かう際、必ず通らなければならないのが川崎市。

つまり、東京から一番近い市でもあるので、スーツ姿の人もちらほら見受けられる。

恐らく、半休を取ってやってきている人も多いのだろう。

それほどまでに、アウェイとは思えぬほどのサポーターが押し寄せていた。


「右側と左側、どっち取ろうか?」

「智輝さんは、いつもはどのあたりで観てますか?」

「日産スタジアムだと右側のことが多いかな」

「では、右側を取りましょう」

「いいの?」

「はい! 特に私は場所のこだわりはないので」

「じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうね」


ピッチの右側を取ることを決めて、QRコードのチケットをスマホの画面に表示する。

しばし雑談していると、列が動き始めた。

どうやら開門し始めたらしい。

列がゆっくりと入場口へと進んでいく。

二列に並び、俺と莉乃ちゃんはゆっくりと歩みを進める。

入場口でチケットを読み取り口にかざして、荷物検査を終えると、急ぎ足でピッチ右側へと向かう。

既に中央付近は多くのファンサポーターでごった返している。

俺達は人をかき分けるようにして石段をクネクネと移動しながら、なんとか席を四つ確保することが出来た。


「ふぅっ……なんとか取れたね」

「ですね」


ほっと一安心も束の間、莉乃ちゃんがカバンからシートを取り出した。


「これ、敷いてください」

「ありがとう、気が利くね」

「石段なので、地べたにそのまま腰を下ろすのも気が引けますからね」


莉乃ちゃんがシートを敷いてくれたので、俺はそこへ腰を下ろした。

前を見れば、ブルーのユニフォームを着た川崎を応援しているサポーターの姿と芝生が生い茂るピッチのコントラストが広がっている。

空はオレンジ色に染まり、綺麗な夕焼けとなっていた。

俺がそんな景色に見とれていると、トントンと隣から肩を叩かれる。

顔を横に向けると、莉乃ちゃんがカバンの中からタッパーを取り出したところだった。


「お母さんが作ってくれたサンドウィッチです。お好きなのをどうぞ」


タッパーの中には、松田家特製のサンドウィッチがこれでもかと詰まっていた。

卵にハム、キュウリにトマト、ツナにチーズ。

色とりどりの具材が詰まっていて、とてもおいしそうだ。


「ありがとう。それにしてもすごい量だね。持ってくるの重なかった?」

「お気遣いありがとうございます。でもそんなに重くはなかったので平気ですよ。ささっ、智輝さんも食べちゃってください」


時刻は17時15分を回ったところ。

まだまだお客さんが入場口からひっきりなしに入り続けてきている。

18時過ぎから選手のウォーミングアップが始まり、応援歌を歌い始めるので、少々早い夕食を取らなければならないのだ。


「それじゃ、お言葉に甘えていただきます」

「どうぞ」


俺は早速、卵とハムがサンドされているサンドウィッチを手に取った。

持った感じ、パンはふわふわで、中身の具材はずっしりと重量感がある。


「いただきます」


そう一言言って、俺はパクリと卵ハムサンドを咀嚼する。


「お味はいかがですか?」

「うん、凄く美味しいよ」

「本当ですか? 良かったです」


莉乃ちゃんは安堵した様子でほっと胸を撫で下していた。

まあ、家によって味付けなどが違うから、口に合うだろうかというのが心配だったのだろう。


「お母さんにお礼言っといてよ。美味しく頂きましたって」

「はい、家に帰ったらそう伝えておきますね。まあ、しばらくお母さんのご飯を食べることは無いと思いますけど」

「まあ、こういう機会がないと中々ないもんね」

「そういう事じゃなくて……!」


莉乃ちゃんは否定するように首を横に降ると、少々躊躇いがちにこちらを見据えてくる。


「次からは、私が智輝さんによりを振るうからです」


ぼそっとした声で言い放ち、頬を赤く染める莉乃ちゃん。


「いやいや、流石にそこまでしてもらう必要は……」

「いいえ! 作らせてください!」


俺が断ろうとしたら、躍起になった声で押し着られてしまう。

莉乃ちゃんの目は、躍起になっていた。

俺はそんな莉乃ちゃんを見て、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。


「それじゃあ、莉乃ちゃんのご飯も、楽しみにしてる」

「……はいっ! お母さんより豪勢なものを作ってきますね!」


莉乃ちゃんはやる気に満ち溢れた様子で両手で握り拳を作っていた。

そんな微笑ましい様子を眺めていると――


「智輝ー!」


聞き覚えのある声が聞こえて、俺は後ろを振り返る。

茶髪のウェーブした髪の毛を揺らして、トリコロールのユニフォーム姿に身を包んで現れたのは、俺の母さんである幸子ゆきこだった。


「あらまぁ!」


と、俺の隣へ視線を向けて、好奇な視線を向ける。


「あっ。えっと……」


あわあわとする莉乃ちゃんをフォローするようにして、俺が母さんの方へ手を向ける。


「こちら、うちの母ちゃん」

「あっ、あのっ!初めまして! 松田莉乃です!」


莉乃ちゃんがペコペコとお辞儀を交わすと、母さんはにこやかな頬笑みを浮かべた。


「初めまして、智輝の母の幸子です。智輝がいつもお世話になってます!」

「いえいえ、こちらこそ、智輝さんにいつもお世話になってます」


お互いにペコペコと挨拶をかわすと、母は満面の笑みを浮かべた。


「にしても、智輝がこんなに可愛らしい女の子を連れてくるなんて! あなたも隅に置けないわね!」

「うるせぇな」


案の定、面倒くさいムーブをかましてくる幸子。


「でも、お母さん安心したわ。このまま趣味のお友達ができないんじゃないかって心配してたのよ」


すると、母さんは慈愛に満ちた表情を向けてくる。

俺は思わず、恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。


「莉乃ちゃん」

「は、はい!」

「これからも、智輝と仲良くしてちょうだいね」

「お、おい母さん……」

「もちろんです!」

「り、莉乃ちゃん?!」


恥ずかしすぎて、顔が暑くなってくる。

そんな俺を見ながら、母さんは終始にこやかな表情を浮かべているのであった。



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