第三章 欲の坩堝

第1話

 ――マレフィカルムに帰りたい。

 寒さも、痛さも、怖さすらも感じなくなっても、その切なる願いだけは、少年の内側でわだかまり続けていた。

 ――きっと、帰れるさ。

 見果てぬ夢だと知っていて、取り繕った嘘だったが、彼女は笑って頷いた。仄暗い木うろの底でも、それは冬の夜空であった。

 ――このまま夜が明けなければいいのにね。

 少年は呟いた。つま先の壊死した彼女は、そうだねと身を縮めた。両の腕は斬り落とされていた。その断面を撫でるようにして、少年もそうした。

 ――死にたくないなぁ。

 ――死なないよ。

 ――どうして?

 ――生きたいから。

 なにそれ、と少女は笑った。少年も笑おうとしたが、出来なかった。代わりに、痩せて窪んだ彼女の頬に雪が溶けずに積もっていたので、指で掃った。

 無情にも日が昇ると、ふたりは宛もなく逃げた。草と泥を食み、悪い大人たちが追ってきたら少年の持つ小さな刃で殺した。彼女の氷を二度と赤で染めたくないのなら、彼が異端に堕ちるしかなかった。

 ――どこにもいかないでね。

――いかないよ。

いつしか口癖になってしまった彼女の心配に、そうやって愛してあげるのが少年のつとめだった。しわがれた老婆のような少女が、たとえ魔女だったとしても、唯一の味方であろうとしたのだ。

ふたりは寄り添って森に身を潜ませた。彼女は琥珀色の氷の結晶を創ってみせて、その輝きを少年に分け与えた。

 ――これは神様がくれたんだよ。

 ――うん。

 ――きれいだね。

 ――うん。

まともに歩けない彼女ととともに、少年は北を目指した。長い長い旅路の果てに、夜明けがあると信じて、ひたむきに悪夢に抗った。

しかし、夢は夢だった。夢が終わればあるのは現実だった。

霧の立ち込める冷たい都で、大人たちの祝福に囲まれた少年は、青くかじかんだ手で剣を握っていた。鳴りやまぬ拍手は生を帯びていなかった。

彼は見下ろしていた、ぐちゃぐちゃの、彼女だった何かを。

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