第7話

〈鉄槌隊〉本部では生き延びた人々が忙しなく動いていた。死傷者の確認、運搬、これにより救護室は呻きと血の臭いが充満していて、さながら野戦病院のようであった。その一隅に右胸を穿たれたアンリも横たわっていたが、ニオは側に寄り添ってやることもせず、魂の抜け殻のようになっていたスタンから、淡々と事の顛末を聞いた。

 一命を取り留めたのは僅か一名のみで、ひどい殴打の痕があったが、むしろそれで済んだのは僥倖であった。意識不明者は四名、死亡したのは十七名。この数は、〈鉄槌隊〉発足以来の歴史的な被害である。さらに追い打ちをかけるように、アンリの拷問を記録していた隊員曰く、三名の魔女の脱走が発覚した。ニオはすぐさま捜索隊を編成して雨のブルゴブルグに放ったが、不思議と取り乱したりはしなかった。実感がないからではない、やはり心中に巣食うのは虚しさだったのだ。

 そんな虚しさは、脱力感とも似ていた。〈祭典〉の開催が控えている手前、隊員の大半を失って、魔女にも逃げられて、焼かれる予定だった魔女も死んでしまい、それを悔いて憎悪を積もらせるのはあまりにも愚かしい。〈祭典〉を心待ちにしている民衆もいるのだから、現実を受け入れるしかない、けれども士気は皆無に等しく、隊は滞ってしまった。

 誰の落ち度なのか。襲撃開始の直前まで一緒にいたアンリ? それとも〈黒い氷〉の魔女を止められなかった隊員たち? はたまたこの街に連れてきたニオ? 否、愚問である、誰が誰を責められようか。誰もこうなると予測できなかったのだから、誰もが無知だったのだから、そこに悪があるはずがない。

 忌むべきは魔女ヘリオト、彼女である。

 いたずらに時が過ぎていく。道楽で気を紛らわせる者、酒に溺れる者、ひとりでケリをつけてしまう者もいた。ニオもスタンもそれを黙認していた。「よしてくれ」と止めるのがどれほど残酷なことなのか、推し量れない彼らではない。

 未だ夜明けは遠く、停滞してしまった〈鉄槌隊〉の真相を知る由もない民衆は、正午の鐘が鳴れば大聖堂に向かって祈りを捧げ、今日を生きている。


 ヘリオトの凶行から一週間が経とうとしていた日、ニオのもとに来訪者があった。あの若き門番クラーメルである。アンリが意識を取り戻したらしいのだ。

「あの傷で……? いったいどうやって」

「奇跡です、奇跡ですよ。早く行ってあげてください」

 半信半疑でニオはクラーメルに手を惹かれ、救護室に足を運んだ。一週間前と比べて、だいぶ血の臭いはなくなっていたが、それすなわち助けられなかった命がいくつもあったことを意味していた。

 昨日まで床に寝かされていたアンリは身体を起こしていた。ニオと目が合うと、声もなく手を振って、どこか儚げに微笑んだ。

「信じられん……」

 アンリは治療のため上裸であったが、ちょうと乳房の辺りに空いた穴には薄皮が貼られていて、完治まではいかなくとも、まさしく奇跡のような復活であった。

「なんでそんな、きみは……」

 ニオは彼女の傍らに膝をついた。クラーメルは一歩引いて立った。

「大丈夫、なのか?」

「おかげさまで」

 たちまちニオは居た堪れなくなって、アンリ抱きしめた。それは懺悔でもあった。こんなにも無垢な子を、俺は地獄に招いてしまったのか。

「すまない……すまない……」

「謝らないでください」

「だが、きみは死にかけたんだぞ。どうして笑っていられるんだ」

「だって、ニオさんが無事で、嬉しくて……」

 アンリの声は震え、涙ぐんでいた。彼女にも彼女なりの自責の念があったのだ。目を覚ました時、一切を思い出し、自分のせいでニオが殺されていたら、と真っ先に恐れた。おめおめ汚点を背負って生きる苦痛は耐えられないのだ。

 しかしニオは生きていた。涙は心からの安堵だった。それゆえ問わねばならなかった。

「わたしは……貴方の世界に、映っていますか?」

「俺の……世界?」

「それとも、灰の一粒でしかないのでしょうか」

 とみに投げられた問いかけに、ニオはどきりとして言葉が喉に詰まった。おもむろに抱擁をやめて、アンリの顔をじっと見つめる。

「そう思うのか?」

 アンリの表情が曇り、視線が逸れる。

「思いたくない、ですけど、思ってしまうんです」

「あの魔女に、妙ちくりんなことを吹き込まれたのか。だったら、きみはきみだ。きみにはきみの世界があるのだから、気に病む必要はない」

「そう、なんでしょうか」

 納得のいった様子ではなかったが、反論はなかった。

「……ここにいる理由が、分かりません」

「急がなくていい。今はとりあえず、安静にしていてくれ」

 アンリは曖昧に頷いた。驚異的な速度で傷が塞がりつつあるとはいえ、失った血は多く栄養も足りていない。食事が喉を通らないのはニオも同じであったが、それならばせめて休眠を摂っておかねば隊務に復帰するのは難しくなる。

 アンリを横に寝かせると、ニオはクラーメルを伴って救護室を出た。

「お前も、無理しないでくれよ」

「ぼくは大丈夫です」

「しかし……」

「いいんです。いつかこうなるって、兄も覚悟してましたから」

 保守派に属していたクラーメルの兄は氷の茨に貫かれて死んだ。死に顔は苦悶で歪み、全身が穴だらけになって絶命していた。変わり果てた兄の姿を直視した弟は、あの地獄をずっと忘れられないだろうに、こうも立派に過去を過去としている。

「アンリを、よろしく頼む」

 ちょっとばかりの羨望を込めて、ニオはクラーメルの頭を撫でた。

 強き少年と別れ、隊長室へ戻る道すがら、偶然にも探索隊の帰還と鉢合わせになった。寂寥たる面持ちから察するに、今日も駄目だったのだろう。

「これは隊長、どうも」

 隊員たちが無言で通り過ぎていく中で、頭巾を脱いだイシュハイムがニオの前に立って十字を切る。こんな状況下でも、信仰は廃れていないようだ。

「見つからないか」

「ええ、まあ、でも諦めねぇですよ」

「苦労をかけるな。そういえば、アンリが目を覚ましたよ」

「本当ですかい? そりゃあよかった」

 〈鉄槌隊〉でとりわけアンリを受け容れていたイシュハイムも、疲れてしまって強面から笑顔は消えていた。寝る間も惜しんでブルゴブルグを駆け回っているのに、お決まりのように徒労で終るのは虚しいだけだ。

「明日は下水も含めて洗い直してみるつもりですが、それでも駄目なら、いよいよ人員を増やしてもらわねぇとかなわねぇ」

「そうしてやりたいのは山々なんだが――」

「ああ、心得てますよ。現実見ろって話だ。明くる日も明くる日もこんなことしてちゃ、おかしくなっちまう」

 イシュハイムは遠ざかっていく隊員たちの背中を睨んだ。

捜索隊は彼含めて四名の小隊だ。現時点で生存しているの隊員は八名のみで、ニオもスタンも職掌柄捜索に参加できないゆえ、この人数が限界であった。

「窟には赴いたのか?」

「異常者どもじゃ話にならねぇですよ」

「行ってないのか?」

「俺に死ねつってるんですか? あんなとこ、魔女も行きやしませんぜ」

「可能性は充分にある。後生だ、範囲に入れておいてくれ」

 突然の無理難題に、イシュハイムは眉をよせる。

「隊員、そりゃねぇですよ」

「それで魔女がいたら面目立たないんじゃないか?」

「チエッ、ひでぇこと言いやがる、なんだってそう人を捨て駒みたいに扱うんだ。あんたが行きゃあいいじゃねぇですか」

「ハイム、話を聞け」

「あんたもおかしくなっちまったんじゃないか?」

 まったく耳を傾けずに唾を吐いて、イシュハイムは去っていった。心に余裕がなくなっているのは、〈鉄槌隊〉全体に言えることだった。

 孤独になったニオは右の革手袋を外した。露わになった手の甲には、くっきりと、逆さ十字の焼き印が押されていた。

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