第2話

広場まで引き返すと、既に何人かの隊員が捜索から戻って来ていた。その他にも、隊服を纏わぬ人々が十人ほど跪いており、尋問されている姿も見受けられた。さらには広場を囲むように住民が外に出てきていて、呆然と〈鉄槌隊〉の横暴を眺めていた。

 ヘリオトと思しき格好の女はいなかったが、超長頭巾のスタンが少し離れたところで全体を監視していたので、ニオとアンリは彼のもとへ向かった。イシュハイムは同胞の手伝いのために別れた。

「上々だな」

「ああ、ご覧の通りだ。小賢しくも彼奴らこれを隠していた」

言って、スタンは手のひらの〈黒い氷〉を見せてきた。エレトのものより小さかった。なんと都合のいいことに、別動隊もヘリオトに近づいたらしい。

「痛みを感じなくなる氷、だったか。ふん、くだらない。道理で威張っていたわけだ。これを押収した途端に素直になりやがって」

「威張っていた?」

「汚職、人殺し、害虫、疫病……さんざんな言われようだった」

「そりゃ傑作だ」

 情けないですね、とアンリが独りごちた。

「そっちはどうだった」

「ヨハンス夫妻のとこへ行ってきたが、お前と間違えられた」

「その戦果がそれか」

 スタンはニオの持つ箒を指差した。無知な彼はよもや隊長が魔女の一体も捕らえて来ず、日用品を手に帰ってきたことに僅かな憤りを覚えていたのだ。

「あの爺さんは魔女を好いていたみたいだぞ。どっちが魔女なんだかな」

「あ、ああ?」

 スタンは訝しげに眉をよせたが、頭巾に遮られてニオには分からなかった。

 ふと、こちらに駆けてくる青年があった。隊員たちを掻い潜ってきた魔女嫌疑者のひとりだ。鼻汁を垂らし、涙で目を赤く腫らしている。彼はニオの前で跪いたが、何かを口にするよりも先に、追いかけてきた隊員によって石畳に押し付けられてしまった。

 ひどく暴れたので、スタンは青年の頸を踏みつけた。意識を失いはしなかったが、枯れた呻き声に交じって訴えが零れてくる。

「……ます……から……。し……さい……」

 ニオは顎で合図してスタンに足をどけさせた。隊員も力を緩めたが、うつ伏せに押さえつけるのはそのままだった。

「なんだ?」

 しゃがみ込んだニオは青年の髪を掴み、耳を傾けた。不細工な容貌で、流れる鼻血が唇についた砂と灰を染めていて、醜さの塊だった。

「か、かい、改宗します……。ぼくは、魔女じゃありません……ぼくの神は上古です」

「悪魔を捨てるのか?」

「はい、はい。捨てます……。だから……ぼくは魔女じゃ、ないです。ゆ、許してくだ、ください……」

「そうか」

 スタンもアンリも呆れて物が言えなかった。すべての決断はニオに委ねられたが、ふつふつと湧き上がる怒りはお互いに感じていた。それゆえに隊長の言葉を待った。頓珍漢な展開になろうものなら、否応なしに殺すべきなのだから。

 はぁはぁ、と青年は不気味に笑う。ニオはしばし黙り、そしてこう告げた。

「改宗するといことは、お前の主を裏切るということ。たとえ悪魔であろうとも、それを許すわけにはいかない。だがもし改宗しないのであればお前は魔女だ。魔女は魔女として捕えなければならない」

「え、え……」

 あまりに理不尽な理論に青年は困惑した。というより、理解するのに時間を要した。嚙み砕いて教えてくれる親切などここにはなかったが、ニオがおもむろに剣を抜くと、彼はたちまち青ざめて、発作でも起きたかのように頸を左右に振って藻掻いた。

「嫌だぁ! こんなの、死にたくなぁい!」

 青年の魂の慟哭が広場に響き渡る。

 ニオはなんとなしに傍観している住民を一瞥した。誰も助けに来ようとしない。口元を手で覆い、あるいは目を逸らしている。家族も捕まってしまったのか?

「うるさい奴だな。舌を斬るか?」

「させておけ」

 言って、ニオは青年の下唇をつねった。

「お前には魔女さまがついているんじゃないのか? 呼べばいいじゃないか」

「う、うう……えぅ」

 涙と鼻汁でぐちゃぐちゃになった顔面を晒した青年は、やがて嗚咽が引っ込んでいくのにつれて充血した瞳を周囲に向けた。髪を鷲掴みにされているゆえ視界は限られたが、名も知らぬ女性が目に留まると、愚劣な悪知恵が働いたのだった。

「あの女も魔女だ!」

 青年は女性を指差した。突然の飛び火に彼女はぎょっとして、「ふざけるな!」と否定したが、新たな報告は〈鉄槌隊〉の隊長と副隊長の耳に届いてしまっていた。

「ぼくは見たんだぞ! お前が羊に跨って空を舞ったのを!」

「嘘つかないで! そんなことしてないわ!」

 女性は必死に反論したが、それは露と消えた。魔女狩りに於いて優先されるのは当人の言葉ではなく噂であり、まったくの不利ができあがってしまっていたのだ。

 女性は逃げようと踵を返した。しかし、悲しいかな雑踏が邪魔で思うように動けず、あたふたしているうちにニオが遣った隊員たちに捕らえられてしまった。

「わたしは無罪です! 何もやっていません! あいつが、あの女がわたしを陥れようとしているんです!」

 引きづられながらも女性が指差したのは、青年ではなく子供を抱えた女であった。まもなく彼女も捕まった。そばにいた夫と思しき男性が守ろうとしたが、奮闘虚しく我が子もろとも長頭巾の集団に奪われてしまった。

 絶望に打ちひしがれた夫は狂気に走った。しっかりしてください、と声をかけてくれた優しき若者を、あろうことか魔女だと断じたのだ。当然のごとく非難が浴びせられたが、若者が呆然として連行されるのを、まともじゃない情緒で笑っていた。

 混乱が波紋状に広がっていく。それは住民のみならず、〈鉄槌隊〉も同じであった。五分と経たずして四人もの魔女が摘発されたせいで尋問は中止。さしあたっては全員を拘束して馬車の荷台に詰め込まなければならなくなったのだ。

老若男女が次々と手足首を縛られるのを眺めていたニオは、非力ゆえ手伝えず居心地悪そうにしていたアンリを横目に頭巾を被った。彼が歩を進めるその先では、まだ謗られている夫がへっへっと哄笑していた。

 剣を片手に近付いてくるニオに住民たちは無言の圧力をかけた。すなわち、何人かが行く手を阻んだのだ。自分は正義の側にいるのだと、そう錯覚しているのだろうか。

ニオは立ち止まらなかった。無問題だった。結局度胸はなかったのか、人の形をした障害は退くともなしに身体の向きを変えたのだ。そして、迷うことなく半狂乱の夫の頭上で剣をかざし、かち割らんばかりに勢いよく振りおろした。

悲鳴がした、その直後。

鈍い衝撃が柄を握る両手に加わった。頭蓋が砕け、脳が露わになっている。剣は眉間の辺りで静止していた。べっとりとした血に濡れて、絶命した夫の身体が前に倒れるも、柄頭が地面に押されて鍔の部分まで刀身が赤黒く染まっていった。

「見ろ、即死だ。痛みを感じる暇もない」

 ニオはブーツの先に乗っかった夫の頭を蹴り掃った。反って倒れた亡骸は血を撒き散らし、何人もの住民に降りかかる。どよめきやえずきがあった。

「いいか異常者ども。こうなりたくなかったら、純潔であろうとするのならば、お前たちの魔女に伝えておけ。――僭するなら、いずれ砕けるぞ、とな」


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