第5話


〈鉄槌隊〉本部の二階、その最奥にある隊長室のひんやりとした空気を吸った時、ニオはいくらかの開放感を味わった。

側近はひとりとして侍らしていない。日用品も机と椅子くらいしかない。ゆえに無駄に広いだけの空間があるだけなので、がらんどうであった。ふらふらと、酩酊まがいな足取りで椅子に腰かけると、眼前に積まれた四日分の書類の一枚に目に通した。

 明記されていたのは主に魔女狩りの費用報告であった。先刻アンリにぼやいたように、魔女を狩るのはタダではなく、金がかかる。しかも隊の資金の大半を占めるのは没収した魔女の遺産なので、ここに奇妙な錬金術が発生するわけだ。

「魔女によって支えられる魔女狩り部隊、か」

 自嘲気味にニオは笑った。今月のように戦果が芳しくないと、今この瞬間がどうにか安泰であっても、〈祭典〉での大出費を思うとやるせなくなるものだ。

 もともとニオは経理が得意ではない。こういった部類の仕事はスタンに任せているのが常であるが、どうしてだか職務を放棄している模様。

 かすかな反抗なのか。あるいは……

 そんな猜疑心を抱いたところでニオはハッとする。そういえば、入隊儀式の準備をしろと命じたじゃないか。しかも、これは未処理の書類ではなく処理済みのものだ。

 孤独になって、過去を振り返ってみると、忸怩たる思いに苛まれるのにそう時間を要さなかった。どうかしている。仲間を裏切るなとアンリに釘を刺したのは俺じゃないか。なんで忘れているんだ。

 おそろしくなってニオは立ち上がった。暑苦しくもなり、急いで革鎧を脱いだ。するとあの首飾りが無造作に揺れ、二度、三度と彼の胸に当たって跳ねた。

「畜生、なんだってんだ」

 何かから護るかのように小瓶を握り、汗の滲んだ衣服の中に隠す。荒くなった呼吸が徐々に整ってくると、くそ、くそ、くそ、と呟きながら別の資料を手に取った。

 それはありふれた魔女の拷問記録だった。半年前、隣町ラーベスクから副隊長が連行してきたエレトという少女の拷問が直近に始まり、その様子を詳らかに記述したものである。

 ――だのに、実に不可思議であった。

「指挟み、吊し上げ、四肢圧迫、苦悩の梨、三角木馬。いずれも効果なし……?」

 拷問に耐える魔女は稀にいる。人としての機能を完全に失おうとも、自白せずに獄中死してしまった猛者をニオは見たことがあった。

「局部裂傷、複数個所の打撲、刺し傷あり。なおも顔色変えず無実を訴える……。感覚が麻痺しているのか?」

 ニオは興味しんしんに読み進めた。つらつらと綴られた少女の状態もさることながら、これが虚偽でないのであれば、是非ともこの目で見てみたいものだ。なにせ拷問を担当しているのはマーシュンだ。殴り書きされた文面から焦りと怒りが伝わってくる。

 なるほど無痛の魔女とは畏怖すべき奇蹟だ。とりわけエレトの肉体が屈強だとか、太っていて針が通らないだとか、そういった記述はない。むしろ逆。マーシュン曰く、箒のごとき亜麻色の髪をした骨肉露わな惨めな身体、らしかった。

 ニオはエレトについての知見を深めるべく、彼女の犯した罪や、捕らえた当時の文書、その他もろもろの情報を書類の中から探した。この探索は日が暮れても終わらなかった。零れた水を夢中で舐めるように、一介の魔女に魅せられてしまった彼を救ったのは、〈儀式〉の準備の完了を知らせに来たイシュハイムであった。

「いますでしょう? 寝ちまったんですか?」

 イシュハイムのくぐもった声が扉の向こうから聞こえてくる。ニオは無視したが、やかましく扉を叩かれたので、「なんだ!」と叫んだ。

「みんな集まってますよ。あの子いませんけど、どこにやったんですか」

「連れて行く。先に行っててくれ」

「副隊長が苛立ってるんで、ちゃんと諫めてくださいよ!」

 そう言い残して、イシュハイムの足音が遠ざかっていった。ニオは少し驚いた。てっきりもっと時間がかかるかと思っていたが、夕刻までに間に合うとは。業腹ながらもスタンが指揮してくれたのか。そうなると、件の新人もしっかりやれたのだろうか。

 エレトに関する情報は充分ではなかったが、ひとまずニオは隊長室を離れ、松明が照らす廊下を渡って階段をおり、裏庭の様子をうかががった。

 暗がりの中でぼんやりと、灌木に吊られた人影が浮かぶ。雑草にこびりついた腐臭がニオの鼻を突いた。目を凝らせば遺体の頸が繋がっているのが分った。

「全然じゃないか」

 ニオは失望した。アンリは片膝ついて肩で息をしていた。

 宙吊りになっている遺体の頸は、彼女の低い身長でも斬れる高さにある。よしんば技能が足りなかったとしても、縄を斬ればいいだけのことだ。

切り傷はあるが、どこも断てていない。血で赤く染まっているばかりだ。遺体の正体は老婆であるが、これすらも難しいようだった。

「ためらったのか」

 ニオはアンリの傍らにあった剣を拾い、刀身についた端肉を指ではらった。

「いいえ、そんな。ただ……上手くできないのです」

「地面に降ろそうとはしなかったのか」

「……」

 アンリは口を噤んだ。まさか、縄すらも斬れなかったのか?

「なあ、ちょっと俺を殴ってみてくれ。遠慮しなくていいから、全力で」

「ご無体を仰らないでください」

「だいぶ苛立っているだろう。発散つもりで、さあ」

 もちろん、ろくすっぽ指導もせずに放置した恨みを晴らさせてやるつもりではない。魔女に激昂して縊らんとしたように、アンリには底力があると踏んでのことだ。

「はあ。では」

 アンリは渋々頷いた。そして、ニオの腹部目掛けて握り拳を打ち付けると、ぱすっ、という軽くて可愛らしい音がした。

「……どうでしょう」

「ふざけているのか?」

「ふ、ふざけてなんかいません! これでも全力です!」

 ニオは困惑した。散る葉が舞って偶さか触れたかのような、打撃ではなく接触の感覚であったのだ。疲労のせいもあるかもしれないが、こうも非力なのは想定外である。

「まあ、なんだ、処刑が魔女狩りのすべてではないからな」

「それはそれで悔しいです」

「俺が悪かった」

「わざとじゃありませんからね。魔女じゃないから、こうなんです」

「というと?」

「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、遺体を斬っているさなかにふと思ったんです。わたしの魔女に対する憎悪の本質は共感性にあるのかもって」

 ニオは眉根をひそめた。こんな大雑把な表現は初めてだった。

「えっと、つまり魔女の罪の度合いによって我を忘れてしまうんです。ケリンのように親族を殺められるとおかしくなりますし、この遺体のように無抵抗で無関係だと、あまり怒りが湧いてこない……かもしれないのです」

「かなり致命的な欠点だな」

 〈鉄槌隊〉からすれば基本魔女は赤の他人だ。知人が魔女と化すこともあるが、結局のところ魔女になった時点で己も他人を装わねばならない。

「魔女の罪が忌むべきで、被害者に共感できたらそうはならないのですが……」

「その割には弟を殺した魔女に執着しないな。共感性に左右される人間なら、あの魔女どもを生かそうとはしないんじゃないか」

「喪失感は消えないと言ったじゃありませんか」

復讐の先にあるのは喪失感――。確かにニオがそう気づかせたが、悔恨はいつまでもなくなってはくれないゆえ、まったくの綺麗な心持ちになれるとは限らない。アンリも我慢しているだけではないのかと、密かに疑問だったのだ。

「ならばこそもう一度問うが、ここにいるのは復讐のためか?」

 アンリはちょっと思案した。立ち上がり、口を開きかけたが、ゆっくりと歯をかみ合わせて視線を落としてしまった。

「……その答えは、まだ待ってもらえませんか?」

 ニオは息を呑んだ。夜目になってきたからか、土と汗に汚れたアンリの顔が、どこか儚く抱きしめたくなるようだったので、けんもほろろにはできなかった。

 ぶ厚い雲の黄昏の空に、日没を告げる鐘がこだましていた。


礼拝堂の席は既に埋まっていた。

みな長頭巾を被って微動だにせず、彼らが持つ燭台の炎だけが揺らめいていた。ニオたちが登場すると、満座は一斉に身廊の方に向き、胸の前で剣を掲げた。

 ここに来るまでの間、入隊儀式の作法のあらかたはアンリに語った。だからなのか、男しかいないこの空間で面を晒した彼女は凛としていて、ニオはこの無垢を長頭巾に穿たれた穴から見下ろしていた。

 ふたりが通り過ぎると、隊員たちがぞろぞろと後に続いた。堂内を衣服のかさばる音が支配する。先導者が内陣を越えて祭壇に至れば、一歩下がって半円を描くように並び、剣の柄頭に燭台を乗せるようにして跪いた。

 石造りの祭壇には真鍮製の杯が置かれており、階段状に立てられた三叉の燭台によって、黄金と誤るほどに輝きがいっそう眩いものとなっている。中身は空っぽであるが、アンリが手筈通りに両膝をつくと、ニオは首飾りの小瓶の栓を抜いて灰を僅かに注いだ。ほんのひとつまみすればなくなってしまいそうな量であった。

 ニオは杯の持ち手を握った。それを目視したアンリはおもむろに瞼を閉じて口を開け、やや上に頸を傾けてから薄桃色の舌を伸ばした。ニオがちらと目配りすると、ふたりの隊員が前に出てきて彼女の腕を掴み、磔のような体勢にしてみせた。

 かくしてニオはアンリに灰を飲ませた。さらりと滑っていくそれは、まっすぐに喉奥まで落ちていった。不味さからか、それとも拒絶反応か、彼女はひどくえずいたが、涙が頬をつたっても暴れることはなかった。

 ――聖灰受領の儀。ニオが隊長を襲名して以来始まった契約である。

 この場にいる全員が経験したことゆえ、背徳感はまったく覚えずに、灰の一粒すら余さず嚥下していくまでを、じっとニオは眺めていた。そう、唾液と混ざって溶けてゆき、隅々まで届き渡らなければ意味がないのだ。

「あうっ……」

 黄色く喘いだのも束の間に、ごくん、とアンリの喉が震えた。どうやら、灰は彼女を受け容れたらしい。これを察してか、ふたりの隊員は拘束を解き、列へ帰っていった。

 ニオは安堵した。再び空になった杯を祭壇に戻すと、激しく咳き込むアンリを横目に静観する仲間たちを見回して、講じるようにこう言った。

「兄弟たちよ。きっと嘆き悩んでいるのだろう? この者は魔女ではないのか、隊長はまともでなくなってしまったのか、と」

 くだらない、と呟く。

「見よ。我らの上古と灰は道を示した。アンリはもはや家族だ。どんな隔たりもない、運命をともにする血が流れている兄弟だ」

 さらに続けて言うには。

「川に沈めてみろ、魔女の印を探ってみろ。それで疑念が晴れるのなら、俺は許そう」

 反駁は飛んでこなかった。

 ぐったりしていたアンリをニオは横に抱き、淀みなく歩を進める。道を阻んでいた隊員たちは左右に分かれて道を開けたが、しかし不服そうにつま先を引き摺っていた。

 途中、スタンと思しき人物がいたのでニオは足を止めた。

「これを裏切りとするのなら、遠慮なく俺を殺すがいい」

 堂内がどよめいた。ニオの両手は塞がっており、彼を標的とするのならば、多勢に無勢の構図ができあがっている。己の発言とは裏腹に彼は無防備であった。

 マーシュンやスタンのようにアンリの入隊をよく思っていない者は多くいる。容認された隊長殺しを成し遂げて大義名分を謳おうとする輩も紛れているのではなかろうか。むしろイシュハイムのように寛大な心持ちなのは、彼と若き門番くらいであろう。

 どんどん遠ざかっていくニオに焦りを感じてか、隊員たちは耳打ちし出し、意見がまとまらないとなるとスタンに縋る他なかった。隊長はご乱心か、誰かが唆したのか。

もうその頃には、ニオもアンリも闇に消えてしまっていたのだが。

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