第4話 

〈鉄槌隊〉の本部は、その栄光とは裏腹にブルゴブルクの西側にひっそりと建てられている。それというのも、ここはもともと民間の宗教施設であり、後々になって隊としての機能が備わったからである。ゆえに外観は、高壁に囲まれた円筒状の教会に、隊員たちの住まいなどが隣接した砦のようなものになっている。

 側望塔に掲げられた旗が風に揺れていた。縫われているのは、逆さになったとんがり帽子に十字架が立てられた、〈鉄槌隊〉の紋章である。

 門番に落とし梯子を上げてもらい、馬小屋へ向かおうとすると、木陰で休んでいたイシュハイムが、「隊長!」と叫んで駆けてきた。

「随分遅かったですね。おお、あんたも元気だったか」

「はい、おかげさまで。審問官様にも入隊を認めて頂きました」

「なんだって? そりゃまずい、いけませんぜ隊長」

「どうかしたのか」

「マーシュンの野郎がお嬢ちゃんのこと副隊長に言いやがったんですよ。くまなく報告するべきだって、チエッ!」

「あいつめ。で、どうなった。お怒りか?」

「そりゃあもう」

 真面目と配慮をはき違えた部下の余計な行動に、ニオは舌打ちして目頭を指で押さえ、分かったとだけイシュハイムに告げた。

「問題なのですか?」

 事情を知らないアンリはきょとんとしていた。

「いや、問題ではないが厄介だ。古くさい奴なんだよ、マーシュンも副隊長も」

「隠れておきましょうか」

「大事ない。凛として胸を張っていろ」

「はあ、かしこまりました」

 あたりまえであるようにするんだ、とニオは付け足した。

 藁の散乱した馬小屋へ行き、世話係に馬を預けると、次にふたりは円筒状の教会の中へと入っていった。

「ニオさん。これからどうすればいいのですか?」

 薄暗い廊下を歩いているさなか、アンリが尋ねた。

「休め、と言いたいところだが、きみは無学だ、教養が足りていない。よって隊の規則と魔女狩りの基礎知識を教える」

 棘のあるニオの言い方にアンリは眉をしかめた。が、その通りでもあったので、反論しようにもできなかった。

「それと、入隊した以上俺のことは隊長と呼べ。もしくは隊長とつけろ」

「あっ、そうでしたね。気づきませんでした」

「観察眼も必要そうだな」

「よろしくお願いしますね」

 この皮肉にも気づいていないらしかった。

しばらく黙って歩いていると、ふいにニオはアンリの気配が遠ざかるのを感じた。足を止めて振り返ってみると、息を切らしながら追いかけてくる彼女の姿があった。

「疲れたのか」

「すみ、ません……。重たくて……」

 ニオは頸を傾げたが、アンリが背負いっぱなしの剣を見て、ああと納得がいった。

 処刑用の剣は通常のそれと比べて刀身は短いが、断頭を主とするため重い。ようやくまともに歩いた弊害が、ここにきて生じたのだろう。

「それで魔女の頸を斬れるのか?」

「たぶん……いえ、どうでしょう……」

「重くて振れないだなんて言わないでくれよ」

 若干、青ざめていたので、呆れ交じりにニオは剣を受け取った。軽い。鍛えられた右腕から伝わる情報はそれだけであった。

 回廊に出た。通路脇のベンチに腰かけていた隊員が、女性を引き連れた隊長を見てぎょっとする。のみならず、中庭にいた隊員たちも、怪訝な表情を浮かべていた。

 当然の反応であろう。ニオが彼らを一瞥すると、蜘蛛の子を散らすように去っていったが、肩身が狭そうにアンリは顔を伏せていた。

「……窮屈、ですね」

 回廊を抜けた先の階段にて、アンリがひとりごちた。

「胸を張れと言ったはずだ」

「そうではないのです。わたしではなく、他の方々が狭苦しそうなのです」

「俺たちが?」

 ニオは立ち止まり、どういう意味だと聞き返した。

「悲哀に満ち、瞳が褪せているのですよ。生きづらそうで、上古の槌として彼らこそ胸を張るべきだというのに、誰も幸せそうじゃなくて……」

「なるほど。きみにはそう映るか」

「異常者の巣窟と一緒じゃありませんか。嫌です、わたしは」

「だから魔女を狩るしかないんだ。そのためにここに来たのだろう」

アンリは力強く頷いた。弟を殺されてなお、彼女の瞳は褪せていなかった。

 離れの空き部屋にふたりは到着した。天井は低く、窓もひとつしかなく、使えそうな家具は椅子と机くらいで、あとは壊れているものばかりであった。

 燭台の火が消えているのを鑑みるに、空き部屋というよりは、倉庫に近しかった。

「なんです、この惨状は。乱闘でもあったのですか?」

「俺の部屋だが」

「えっ」

 唖然とするアンリに、「普段は隊長室にいるからな」とニオは補足した。倒れていた椅子を起こすと、そこら一体に積もっていた埃がぶわっと舞った。

「まあ、嫌なら立っていればいい。どのみち端を折って説明するし、書いて覚えず、さっさと記憶してもらうからな」

「厳しいですね」

「魔女と対峙しているのに教本を読むやつがあるか。世には手引書なるものが出回っているらしいが、ふん、ばかばかしい」

「手引書?」

「ああ、魔女狩りの手引書だ。不快だし、読みたくもないが、なんでもそれさえあれば魔女に抗すられるんだと。万能だな」

 ニオは以前、この手引書なるものを隠し持っていた部下を𠮟咤し、除隊と追放を命じたことがあった。くだらない、魔女の瑕疵を心得るは、魔女のみであると解せぬか。

「そうだアンリ。この部屋はきみにあげよう」

「掃除しろと」

「男どもに囲まれて暮らしたいなら、別だが」

「そういうわけではありませんが……」

 アンリはさっと室内を見渡した。散らかっていて、ひどい有様ではあったが、なるほど綺麗にすればひとり部屋としては充分過ぎる広さだ。背の低いのが功を奏して、天井に頭をぶつける心配もない。悪くない提案だ、そう思い、くしゃみをした。

「まあ、ありがたく頂戴します」

「よかった。じゃあ、講義をしようか」

 言って、埃を払うことなくニオは椅子に腰を下ろした。背もたれに寄りかかり、指と足を組んだその姿勢は、さながら叙事詩でも語り始めるかのようであった。

「口にするのも時間の無駄だが、〈鉄槌隊〉は魔女を狩る組織だ。隊の歴史は浅く、異端者を憎む集団が派生して、今や我が国の象徴となっている。ヤーケンチカールの各地に支部があり、ここブルゴブルクは総本山、つまり発足の地だ」

「へえ、そうだったのですか。にしては侘しいといいますか……いえ、確かに街は賑やかではるのですが……」

「原点は自治体のようなものだからな。因循主義なのだろう。俺たちの装備に紋章が刻まれていないのも、そのせいだ」

「古きよき、ってやつでしょうか」

「かもな。して、規則についてだが、『裏切るな。魔女は死すべし』これだけだ。あとは自由にやってくれていい」

数秒の沈黙があった。

机に手を置いてアンリが目を丸くしている。一重の瞼が二重になっていた。傭兵のようにふわふわとした規則が信じきれていないようであった。

「え、それだけですか?」

「そうだ」

 ほんとうに、とアンリは小声で訝しんだ。

「初めに言ったはずだ、俺たちは騎士でもなければ戦士でもないと。魔女は悪だ、汚物だ、国の敵だ。そんな彼奴らを狩るに規則がいるのか?」

「真に敬虔でないと入隊できないだとか、そういうものもないのですか?」

「ない。男であること、それが絶対条件だが、入りたいと思えば、いつだって歓迎する。この時期は多いに越したことはないんでな」

「どうしてです?」

「近々、〈祭典〉が催されるんだ。門戸を開き、騒ぎ立て、捕らえた魔女をすべて焼く。そのために大勢の魔女が必要だし、隊員だって数が多い方がいい」

「すべて! 素晴らしいですね、もっと早く教えてくださいよ。順調なのですか?」

 ニオはかぶりを振った。

「魔女の量が全然だ。開催場所、薪代、出店の可否、来賓の宿泊予約……これらは滞りなく順調だが、主役が少なすぎる。此度捕らえたのを合わせても二十人にも満たない」

 らしくもなくニオは項垂れた。かねてより隊員として、〈祭典〉をなんとしても成功に納めねばならない使命感に苛まれていたのだ。

処する魔女が多ければ多いほどに、この狂乱の宴は熱を帯び、民衆からの支持も厚くなる。そうでなければ、きっと失望させてしまう。

「やめだやめ。この話はやめてくれ」

 ニオは組んでいた足をほどき、机の上に荒々しく乗っけた。

激しく軋んだ音がしたが、アンリは欠片も驚かず、哀れみの瞳をしていた。そして、その翡翠の球体はそのままに、眼前のブーツを手で包んで額をくっつけた。

「わたしに任せてください」

 根拠などなく、憐憫を揺さぶられて、感情に動かされたのだろう。こそばゆくなったニオはやんわりと足を戻し、「逸れ過ぎた」とぼやいた。

「……とにかく、男ならば入隊に条件はない。寛容な心をもって懐を広げている」

「でも、あまりいませんでしたね」

 ここに来るまでの道中、アンリが遭遇した隊員は数えるほどしかいなかった。魔女を恨んでいるのなら、すべからく入隊すべきなのに。

「計二十九名だ。グレゴリウス殿も加えれば、三十か」

「たったそれしか……」

「こんなにも、だ。いつだって威丈高なのは軟弱者だ。謗る能はあれども、血濡れる勇気はない。こいつらに比べれば、異常者や魔女は優れている」

「縁起でもないこと言わないでください。信仰を棄てれば、みな異端です」

「失言だったな、忘れてくれ。――何にせよ俺は部下を誇りに思っている。嘯くだけじゃなしに、ともに茨を踏む覚悟をしてくれた、俺の大切な兄弟だ」

「兄弟……」

「そう、兄弟。きみは裏切らないでくれよ」

「とんでもありません」

それを聞いて、ニオは幾度か相槌を打ったのち、鼻で笑った。そうしておもむろに指を伸ばすと、机上の埃の上から線を引いていき、逆さ十字を描いてみせた。

「どこにでも魔女はいる。あるいは、そうなってしまう可能性を誰もが秘めている。昨日会った友人が、翌日には異端に魅入っていたなんてことはよくある。悪魔の誘惑に信仰心は意味を成さないんだ。何故だか分かるか?」

「その者の信仰心が偽りだったからでしょう。うわべだけ嘘っぱちです」

「違う。異端は結果を伴っているからだ。我々の属する上古教は、あらゆる是の事象を神の御業としているが、あやふやで、懐疑を抱いてしまう」

 冒涜に等しき愚弄であった。が、アンリは僅かに眉根をひそめたものの、言葉尻を捕らえるようなことはしなかった。

「異端はすなわち、『やってはならないこと』だ。戒めを破ったとき、人は未知を味わい愉悦に酔う。ともすれば、やりたかったけどやれなかった、異端に堕ちてそれができるのであれば、いっそ束縛されない方が幸せになれるのでは――。そんな蒙昧で錯綜した思考に陥ってしまうわけだ」

「……やはりそれは、信仰心の脆弱さにあります。それにしても、詳しいですね」

「そりゃあ、敵情視察くらいはするさ」

「はい?」

 聞き間違いかと思いアンリは、「冗談ですか?」尋ねた。しかしニオは口を噤んだ。滑らせたようではなかった。

「……矛盾したことを言うが、同胞を殺める覚悟はしておけ」

 アンリは静かに頷いた。

 辛気臭い雰囲気になったところで、不意に部屋の扉がノックされた。ニオは何かを察したらしく、椅子から立ち上がろうとしなかった。なので、代わりにアンリが応じた。扉を開けると、白みがかった短髪と髭を蓄えた偉丈夫が、そこに佇んでいた。

 彼はアンリを睥睨した。そして突き飛ばし、ニオのもとまで歩いて行った。

「隊長。これはどういうことだ」

 喉が潰れているかのような、掠れた声色だった。男の身なりはニオのそれとほとんど一緒であるが、背中に垂れた長頭巾がやけに長く、臀部にまで達していた。

「女はありえない。正気か?」

「これは副隊長。断りもなく入って来てそれですか。自己紹介でもしたらどうだ?」

「ふざけるな! 隊の沽券に関わる問題だと自覚しているのか? 今すぐ追いやれ。さもなければ、ここで斬り捨ててやるぞ」

 ハッタリではなかった。副隊長と呼ばれた男は腰に差した剣を握り、勢いよく抜くと、視線はそのままに平らな切っ先を後方に向けた。

「田舎娘にこの席は相応しくない。彼女が魔女でない確証は? 絆されたのか?」

「そうだ絆された。哀れだった。だから連れてきた。これで満足か?」

「ああ、満足だとも。心おきなく殺してやれる」

 副隊長は踵を返した。恐怖からか、それとも状況が飲み込めていないのか、入口付近にいるのにも拘らず、アンリは逃げようとしなかった。床を踏む音が響く。やがて壁際まで追い詰められた彼女は、次第に足の力を失っていき、すとんと崩れた。

「愚劣なよそ者め。死んで詫びろ」

 副隊長の冷ややかな眼差しを知って、慈しみのない真実だと悟る。もうその時には、刃が頸筋に触れようとしていた。

「……頂いています」

「何?」

「審問官様からの許諾は、頂いています」

 そう言いきったアンリは震える唇を固く結んだ。嘘か誠かはともかくとして、突然のこれには副隊長も戸惑い、「何だと」と怒鳴った。

「貴様、この期に及んで審問官様を盾にするつもりか。この大罪、血では贖えんぞ」

「罪などではありません。確かにわたしはグレゴリウス様にまみえ、慈愛の腕に抱かれました。そうでしょう、ニオさん!」

 アンリはニオを見た。それに釣られて、副隊長も振り返った。

「まさしくその通りだ。俺が審問官殿に会わせた。もちろん、許可も得ている」

「そんな、まさか。迷ったか!」

「審問官殿への叛逆は血では贖えないんだってな。袂を分かつか? なあスタン」

 小馬鹿にするように、ニオは副隊長の名を明かす。腰を上げると、悔しそうに立ち尽くす彼には目もくれず、アンリに退出するよう顎で促した。

「……いったい何が目的だ」

 アンリが横切っても捕らえようとせず、スタンは訝しげに尋ねた。

「ただの同情心だよ。彼女は弟を奪われ、居場所もなくしてしまった。可哀想じゃないか。マーシュンから聞いていないのか?」

 スタンは黙った。どうやら、掻い摘んで都合のよい報告を受けたらしい。

「まあ、お前らの気持ちも理解できるが、決定事項なんだ。諦めてくれ。これ以上とやかく言うのであれば、相応の処置を取らせてもらう」

「……」

 よほど歯を食いしばっているのか、スタンの頸の血管が浮き出ていた。階級ゆえに仕方ないとはいえ、歳の差が十六もある奴の独断には憤懣やるかたないのだろう。

「なあ、スタン。頼むよ、懐古主義はやめてくれないか。本物の魔女を狩っても、我が国に吹き荒れる旋風はやんでいない。裁けども裁けども、魔女は絶えず、民衆の疑念は燻り続けている。無知どもが蜂起するのも、そう遠くないぞ」

「お前……」

「あの子に異常者の私刑を見せたんだ。慄くかと思ったんだが、杞憂だった。わたしなら二度と生まれてこないようにしますって、堂々としていた。感心したよ。果てしない理想論を語っているに過ぎないのにな」

「……その理想を、お前は信じるのか」

「まさか。彼女は非力だ、剣もまともに背負えない。魔女を狩るだなんてとてもだ」

「馬鹿げている。そんなものは救済ではない」

「救済なんかじゃない。何度も言わせるなよ、これは哀れみだ」

「哀れみで彼女を苦しめるのか!」

双方譲らぬ会話は時間の浪費でしかなく、まったくの平行線であった。

ニオは溜息を零した。こうなってしまっては、こちらから去るのが得策だ。アンリを待たせ過ぎてしまえば、また、面倒ごとになりそうだから。

「スタン。夕刻までに入隊儀式の準備をしておいてくれ。全隊員にもしっかりと伝え、礼拝堂に集めておくんだ。いいな?」

 それだけ命じると、ニオは部屋を後にしようとした。

 ――その時である。

「ドイル!」

 スタンがそう叫んだのだ。

「……復讐か?」

 何の脈絡もない問いかけが、いっそう低く重い調子で飛んでくる。ニオはちらりと彼を見たが、すぐに瞼を閉じて扉を押した。

外ではアンリが壁にもたれかかっていた。ひどく慌ていたので、盗み聞きしていたとしか思えなかったが、ニオは詮索しようとは考えなかった。どのみちどんな答えを得ても、自らの心のうちを晒してしまったことに変わりないからである。

 ニオはほとんど適当に歩き回った。アンリは肩をすぼめてついてきていた。が、これからどうするかと懊悩していると、ぐるっと一周してきてしまったので足を止めた。数歩先の部屋の扉が閉まっているのから推測するに、スタンはもういなそうであった。

「アンリ」

「は、はい」

「裏庭に焼却前の死体が山積みになっている。どれでもいい。頸を斬れるまで剣を振り続けるんだ」

 おぞましい命令であった。いくら魔女とはいえ、遺体を鍛錬の道具にするなど、人心が許してはくれない。アンリは青ざめて一歩引いたが、ニオはぐいと迫って腕を掴み、こうでもしないと誰もきみを認めないと、そう諭した。

「わかり……ました」

 涙目にアンリは承諾して去っていった。震えてもいた。そんな彼女の背中を、ニオはくらくらする意識を保ちながら、角を折れるまで眺めるしかできなかった。

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