第一章 転機

第1話 

小瓶に詰められたわずかな灰を、曇天を通り抜けた昼光が照らす。

 先端が魚の尾のように分かれた長頭巾を被った男は、古惚けた紐で繋いで頸にかけていたそれを手袋越しにつまみ、右へ、左へと揺らした。音を立てることもなく、灰は瓶底の隅に集まっていき、あるいは散らばり、揺さぶられるたびに形を変えていったが、いまだ応える気配を見せなかった。

 切り株に腰掛けていた男はぼんやりと灰の変遷を眺めた。

まるで生を帯びたようだ。そんなことを考えたが、ふと我に返ると、優しく握りしめて面を上げ、草の生い茂った丘を下り始めた。

 平地には馬が五匹、馬車が一台、そして男と同じく長頭巾を被った革鎧の者どもが五人いた。

 ――彼らはみな、〈鉄槌隊〉。小国ヤ―ケンチカールにて魔女を狩る部隊の名だ。

「ニオ隊長。報告にあった魔女の拘束が完了しました。契約印の確認も取れています。愚かにも抵抗したのでやむなく黙らせましたが、勝手だったでしょうか」

肥えた体系の隊員が駆け足で寄ってきて、淡々とそう述べた。

 ニオと呼ばれた男はかぶりを振った。ところで彼に報告しにきた者の頭巾は先端がふたつに分かれていなかった。

「処理したのか」

「いえ、爪を剥して尋問しました」

「何か聞き出せたか」

「魔女であると認めました。家畜を殺したのも自分たちだ、と」

「そうか。ご苦労」

 言って、ニオは部下の胸を軽く叩くと馬車に向かっていった。そうして荷台を覗き込むと、焦燥しきった表情の女性たちが裸体のまま手首と足首を縄で縛られていた。ニオが現れても彼らは微動だにせず、みな一様に呻きさながらの譫言を呟き、涎を垂らしていた。

 よく熟れた果実酒の匂いがした。だがそれ以上に血の悪臭と、饐えが蔓延っていて、おどろおどろしい空間だった。

 ニオは特別彼らに憐憫を抱くこともなく、事務的に数をかぞえた。全部で四人。こんな辺境に家畜殺しの魔女がいるとの告発を受けて遥々やって来たが、四人だけとは。

 魔女らに抵抗の意志がないのを検め、幌を下げようとした、そのとき。

 背後の方が何やら騒がしいのにニオは気付いた。

「どこにいるのですか!」

 そんな声がはっきり聞こえて振り返ると、隊員たちに迫る若い女性の姿があった。ショールを頭に巻いたそばかすの多い風采であった。どこからともなく現れた彼女に幾ばくかの興味を持ったニオは、「どうかしたのか」と口にしながら歩み寄った。

 女性はひどく青ざめていた。ニオが今一度、何があったのかを尋ねると、

「ケリン。ケリンはどこに!」

 と、嘆いて膝から崩れた。のみならず、ごほごほと激しく咳き込んだので、ニオは中腰になって苦しむ彼女の肩に手を添えた。

「落ち着け。その者を我々は知らない。さあ、ゆっくりと説明するんだ」

「はぁ……はぁ……。ケリンは、ケリンはわたしの弟です。もうずっと家に帰ってきていないのです」

「特徴は?」

「青い耳飾りをしています。まだ幼く、しかし純真な子です」

「青い耳飾り……」

 ニオは頸をひねった。隊員たちに目配せしたが、誰も心当たりないらしかった。それどころか迷い人の探索など管轄外であり、助ける義理もなく、早くに諦めさせたい腹なのが各々の冷たい反応を窺えば明かであった。

「きみ、弟に関する最後の記憶は?」

「カイネルさんの手伝いに行くと、そう文を残していました。一週間も前のことです」

 怯え、震えた声色だった。カイネルとは此度の告発をした農夫の名で、彼は家畜を魔女によって殺されており、そうなるとケリンの末路は察し難いものではなかった。

「魔女狩りさま、どうかお願いです。どんな片言隻句でもよろしいのです、ケリンを見かけたお方はいらっしゃいませんか」

 誰もが反応に困った。女性の目尻に涙が浮かんでいた。心当たりがないゆえ適当にあしらうか、それとも不確かな推測をもって真実と成すかニオは悩んだ。すると、不意に先ほど報告に参った隊員が、「まさか」と合点がいったように声を上げた。

「どうした」

「魔女を捕え終えた後、まだいるかもしれないと危惧して再度山に入ったのですが、奴らのねぐら近くの藪に遺体が埋められていたのを思い出したのです」

「それが弟だと」

「確証はありません。なにぶん掘り起こしてはいないので。ただ、露出していた顔が幼かったのは覚えています」

 あまりにも無慈悲な情報の提示だった。他人という可能性は捨てきれないが、女性が包み隠さずに述べた事柄と鑑みればその可能性は極めて低く、たとえそうだったとしても、すっかり絶望にまみれてしまった彼女を安堵させるのはそれこそ困難だった。

「そんなご冗談を……」

「実際に当人たちの口から聞いた方が早いだろう」

「え?」

「こっちだ。ついて来い」

 ニオは女性を立ち上がらせた。馬車まで戻ると、下ろしかけていた帆が自然におりてしまっていたので、雑に捲って中の様子を覗かせた。

「ひっ!」

「きみの目には劇毒かもしれないが許してくれ。埋められていたというのが本当ならば、ここに真相が眠っているはずだ」

 よろめいた女性を支え、ニオは荷台に乗り込んだ。

そして、地の底の腐れをまとうがごとき魔女、そのなれ果てひとりひとりを吟味していくように、お前たちは少年を埋めたのか、青い耳飾りを知っているか、告白するのであれば恩赦を約束しよう。と、問い詰める。が、魔女たちは爪の剥された指先を痙攣させ、黙秘を貫くのみで、もしくは譫言を漏らしていた。

 他の隊員もニオと女性のもとへ集まった。みな切っ先の丸まった処刑用の剣を握っており、いざとなれば、円滑にことを運ぶべく拷問をするつもりであった。

 しかしながら一向に魔女たちは埋められた遺体について喋らず、おかしくなったていを演じるので、緊迫した雰囲気に苛立ちが募っていった。

「やはり物足りなかったようですね。隊員、許可を」

「既に悪魔の傀儡かと」

「隊長、指示をお願いします」

 業を煮やした隊員たちが語気を荒げてニオに判断を迫る。

ただでさえ魔女は憎むべき神敵であるのに、あまつさえ告罪の猶予を与えるなど大変な譲歩に他ならない。なのに沈黙を破らないとなれば当然の帰結である。

 辛抱強く待っていたニオも、呆れて溜息を零し、荷台から降りようとした。

「――った」

 魔女が何かを呟いた。一番奥の左側に収容されている中年の女だ。ニオはそちらに身体を向けたまま腕を挙げて隊員に待機の合図を出し、「なんだって?」と聞き直した。

 ちょっとの沈黙があって、こんな言葉が飛んできた。

「……美味しかった……新鮮だった。は、は、は……」

 魔女の醜い顔面が狂気に歪んでいた。黄ばんだ歯を露わにして――肉の破片らしきものが挟まっている――呼吸を短くし、ずっと持っていたのであろう耳飾りを、青い装飾がこしらえてあるそれを見せつける。

 ニオはハッとした。一旦、距離を置こうとした。だが、それよりも早く彼の真横を過ぎていく影があった。

「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ!」

 あの若き女性が理性の際に達し、おそろしい魔女の汚れをものともせず、その頸を押しつぶさんばかりに縊って号哭していたのだ。

「死んでしまえッ!」

数秒遅れてニオも動き、彼女を羽交い締めにして、「やめろ!」と叫ぶ。

「こいつが! こいつらがケリンを! 殺してやるッ、絶対に殺してやるッ!」

 暴れ馬のように女性はひたすらに抗う。膂力の差は歴然であるのにも拘わらず、ニオは力負けしてしまいそうになった。ほどなくして、傍観していた隊員たちも加勢し女性は荷台から引きずり降ろされ大人しくなったが、えずいた。

「どうして……どうして……」

 うつ伏せになっていた女性はうずくまり、静かになった。

 そんな彼女を哀れんだニオは、すっかり正気になり怯えていた件の魔女から耳飾りを奪い取り、部下たちに、「帰還の準備を」とだけ伝えた。

 ニオが女性に近寄ると、おもむろに身体を起こして見つめてきた。無理やり扱われた拍子にほどけてしまったのか、ショールが脱げて癖毛が土に汚れている。滂沱の涙に濡れた翡翠の瞳は寂しげで、ニオはどこか既視感を覚えた。

 そんな錯覚をかき消すべく、耳飾りを渡した彼も彼で長頭巾を脱ぎ、長髪と無精髭を晒した。褪せた焦げ色の三白眼に光は宿らず、奥の奥までも久遠の闇があった。

「怒りに任せて魔女を殺せば我々と同じだ。それはいけない。きみは純潔であれ」

「……では、弱者はこうして虐げられるしかないというのですか」

「そのための我々だ。我ら〈鉄槌隊〉の望みは魔女の殲滅。願わくは、すべての魔女を藁に束ねて燃やしてしまいたいくらいだ」

「嘘吐き。幼い命を護れずして、なにが殲滅ですか」

「きみの心情は重々承知している。防げたかもしれない悲劇を防げなかった、それは詫びよう。だがな、いつだって幸せは理不尽になくなくなるものだよ」

 女性は反論しなかった。ニオは片膝を立てて座り、続けた。

「かつて俺も大切な妹を失った。あまりに急で、理不尽で、どうしようもなかった。十三年も前のことだが、今でも昨日の出来事のように思う」

「魔女に殺されたのですか」

「ああ。きっと、そうなんだろうな」

 ニオは物憂げに遠くの景色を眺めた。無辺際の草原、濃緑なる山巓、鐘を鳴らして正午を知らせる石造りの教会と、その付近で二匹の羊が草を食んでいる。

「そういえば名乗っていなかったな。俺はニオ、〈鉄槌隊〉の隊長だ。きみは?」

「アンリです。……あの、ニオさん」

「なんだ?」

「わたしを〈鉄槌隊〉の末座に連ねていただけませんか」

 言い終えたアンリの唇は固く結ばれていた。突拍子もない申し出にニオは微かに口を開いたが、すぐに眉根をひそめてかぶりを振った。

「復讐のつもりか?」

「いいえ、もう二度とケリンのように無辜の人々が犠牲にならないよう、わたしが忌まわしき魔女を刑場に送るのです」

「殊勝だな。我々は騎士でもなければ戦士でもない、ただの人殺しだ。魔女と本質はそう変わらない」

「ならばここで死んでみせましょう。さあ、その剣を貸してください」

「死んでどうなる。それできみは満足なのか」

「ケリンはわたしのよすがでした。幸せも、彼とともにあったのです」

「……そうか」

 アンリの真摯な眼差しを受け、説得するのは無礼と悟り、ニオは立ち上がる。そして、腰のベルトに差していた剣を革鞘から抜いて彼女の傍らに投げた。

「なら好きにするといい。こんな時代だ、生きて腐りゆくを選ぶのなら、まともに死んでいく方がましだろう」

「ええ。ありがとうございます」

 涙は流れていなかった。ほのかに寒い風が吹き、アンリの髪がたなびく。やがて彼女は柄を握って刀身を頸筋近くまで持っていき、瞳を瞑った。右腕が微弱に震えている。

 ニオはアンリの後ろに回って見下ろす形になった。たった一度だけ勢いよく剣を引けば鮮血が飛び散り、苛む苦しみから解放される。それなのにその瞬間はいまだ訪れず、アンリの乱れた呼吸がやけにうるさく聞こえてくる。

 だがそれもいつかは治まり、静寂の時がふたりを覆う。やがて息が詰まった時のような声にもなれない音がした。同時に、刃は人間の肉を斬り裂いた。

 ただし、手のひらの肉を。

「なっ――」

 驚愕するアンリの頸動脈は無事だった。傷ひとつ負っていなかった。それどころか彼女の頸筋にはニオの左手が添えられていて、斬撃を庇っていた。

「に、ニオさん。血が……!」

 確かに引かれた刀身は、ニオの手のひらを手袋もろとも斬っていて、血に濡れ、今や地面に落ちていた。

「……なあ、アンリ。魔女は誰だ?」

 尋ねて、ニオは握りこぶしを中空に掲げた。手首の辺りまで血が滴っている。わけの分からない問いかけにアンリは困惑していたが、少なくとも、眼前の男の異質さは感じ取ったらしく、やや俯いて思考を巡らせた。

 そうしているうちに、ニオが話を進める。

「きみにとっての魔女を殺せば、悔恨はなくなるのか?」

「……いいえ。たとえなくなっても、喪失感だけはずっとなくなりません」

「死にたければ死ねばいい。そうすることできみが満たされるのなら結構だ。もちろん、今度は邪魔しない」

「なんて酷いお方なのですか。貴方は」

「思うのは自由だ。だがな、どうせ死ぬのなら意味を与えるべきじゃないか?」

 持論を唱えたニオは剣を拾い鞘に納めつつ、その鞘ごと剣をベルトから抜いてアンリに差し出した。

「人は幸せをなくすとそれを必死に取り戻そうとするきらいがある。あるいは、代わりの中に新たな幸せを見出してしまう生き物だ」

「代わりの中に、ですか」

「十三年前、俺は妹を失った。そのせいで、すっかり空虚になってしまった部分を埋めるべく〈鉄槌隊〉に入り、魔女を狩り、民衆からの信頼と英雄気取りの幸せを得た」

「ニオさんは……それでよかったのですか。偽りで満足なのですか」

「試してみればいいさ、きみも」

 回答をうやむやにしてニオは頷いた。その真意をおおかた察したアンリはたちまち目を輝かせて、差し出されていた剣をしっかりと握った。都合よく、帰還の準備が整ったと隊員が報せに来たのでふたりは移動する。行きと違って馬がひとりぶん足りなかったが、新顔を隊長の後ろに乗せることによって、その問題は解決された。

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