第26話 勇者カズキの夢想

 村瀬真優の父親、理人りひとは一代で富を築いた実業家であり、度を超えた完璧主義者であった。

 間違いなく頭脳明晰ではあったが、同時にパラノイア的な部分もあり、自分にも、そして周囲にさえも、自分の思い描く『完璧』を体現するように厳しく強要した。

 自分の娘にさえも。

 父親の命令に従い、その要求に完璧に応えること──それが村瀬真優のこれまでの人生の全てだった。

 食べる物。着る服。化粧。通う学校。つき合う友人。会話の内容。朝起きる時間と夜寝る時間──

 全ては村瀬理人が完璧にコーディネートし、彼の思い描く『完璧』にそぐわないものは排除された。

 そんな生活の中ではいつしか自分の意志というものはなくなり、ただ自動的に父親の要求を達成することが、彼女の唯一の選択肢となっていた。

 他の生き方など、想像することもできなかった。


 ──そしてある日、村瀬真優は異世界に召喚された。

 魔王を倒す使命を背負った勇者として。

 まったく思いも寄らぬ形で父親の要求から解放されはしたものの──そこでもまた、彼女は要求された。

 魔王を倒してくれ、と。

 このまったく見知らぬ世界で彼女にできることは、今まで通り誰かの要求に応えることだけだった。


 目の前には大きな洞窟がぽっかりと口を開けており、その奥底は闇がわだかまって見通せそうにない。

 この中に棲まうモンスターを退治してほしい、というのが、二人の勇者に対する聖女レノアからの要求だった。

 同郷の少年、大和一輝は、やっと勇者らしい仕事ができると息巻いて、恐れを知らず洞窟の中に突き進んでいく。

 真優は恐怖を押し殺しながらも、その背中に続いた。それが今、自分に要求されていることだからだ。

 洞窟の中はぽつりぽつりと粗末な作りの松明が燃えているが、ほとんど何の役にも立たぬほど暗い。

 頼りになるのは、〈灯火〉の魔法付与が施された魔法式のランタンだ。二人はそれを、腰のベルトから吊して照明としている。


「なんだ、ほとんど何もいねえじゃねえか」


 一輝がいかにも残念という風に呟いた。

 先ほど行われた冒険者たちの攻撃で、洞窟内に隠れていたモンスターはほとんど退治されているようだ。

 時折、暗闇の中から一匹か二匹のゴブリンが飛び出してくるものの、剣を持つ一輝の腕がほとんど自動的に反応し、一瞬でその命を絶った。


「弱すぎるぜ。もっと手応えのある奴、出てこいよ!」

「や、大和さん、大声出すのはやめてください」


 一輝が洞窟の奥に向かって叫び、真優は思わず制止した。

 どう考えても、モンスターの巣の中で大声をあげて居場所をアピールするなど愚の骨頂だ。

 が、一輝は悪びれもしない。


「どうせ雑魚しかいねえんだ。向こうから突っかかってくれりゃ、探す手間がはぶけるってもんだぜ」


 この先に何が待っていようと、何が襲いかかろうと、自分の敵ではない。

 そう信じて疑わぬ笑顔を、一輝は浮かべている。

 真優にはその自信がどこから来るのかわからなかった。


「ったく、真優はビビりなんだよ。俺がついてんだから安心しろって」


 そう言って一輝は、馴れ馴れしく真優の肩を叩いた。

 無遠慮に手を触れられて、真優はびくりと肩を震わせ、微かに身を引く。

 それが決して好意的な反応ではないことは、恋愛経験皆無の一輝にも感じ取れた。

 ──真優は自分の心を開いていない。もちろん、恋愛感情も持たれていない。

 それは一輝が、薄々感じていることだった。

 だがその件については、さほど心配していなかった。

 これから自分たちは、ともに魔王を倒す旅に出るのだ。その過程で手を取り合い、幾多の困難を乗り越えれば、自然と男女の仲は縮まろうというものである。

 それがファンタジーのお約束というものだ。


「・・・・・・ぐふっ」


 思わず下品な笑いが漏れた。

 真優は日本人形のように可憐な、控えめで優しげなS級の美少女だ。

 細かい仕草にもどこか気品があり、一輝のような一般人とは違う生まれの良さを感じさせる。

 しかも、聖女レノアに勝るとも劣らない巨乳である。白いローブに包まれた胸元が、歩くたびにゆさゆさと揺れている。

 あの胸を自分の好き放題にできる日のことを考えて、一輝はちょっと前屈みになった。

 レノアと真優が自分の女になることは、彼の中では完全な確定事項となっていた。

 しかし──

 残念ながら、大和一輝の物語は彼が夢想しているほど都合良くは進まなかった。


 二人の勇者は、やがて洞窟の最奥へとたどり着いた。

 体育館ほどの広さの空洞に、いくつもの篝火が焚かれている。

 その中央で、揺らめく炎に照らされながら、一匹の怪物が一輝と真優を待ち受けていた。


「・・・・・・ひっ」


 思わず真優が息をのんだ。

 身の丈は三メートルにも達するだろう。肌は黒ずんだ灰色をしている。人型だが、骨格は人間よりもゴリラに近い。手足も胴体も異常なほど太く、遠くから見るとずんぐりした印象を受ける。

 トロル。危険度レベル四のモンスター。

 むろん、ゴブリンなどとは比べものにならない強敵だ。

 しかしこの世界についてまだ十全な知識を教わっていない二人には、目の前のモンスターが何物なのか、その強さはどの程度なのか、知る由もない。


「グルルルゥ・・・・・・」


 足音か、それとも臭いを感じたのか、トロルは二人の侵入者に気づき、鋭い牙をむき出しにして低く唸った。


「あいつがボスか。少しは強そうだな」


 一輝はトロルに対抗するように、歯をむき出しにして笑った。

 ゴブリン退治などつまらないと思っていたが、なかなかどうして、歯応えのありそうな奴が出てきたじゃないか。そう言わんばかりの戦意に満ちた笑顔だ。


「援護しろ。トドメは俺が決める!」

「あっ、大和さん・・・・・・!」


 真優が制止する間もなく、一輝は飛び出していった。

 そして、


「──せりゃあっ!!」

「ゴオオッ!!」


 振り回されるトロルの腕をかいくぐり、すれ違いざまに一瞬で肘から先を切り落とす。

 ミスリルの刃は頑健な皮膚も鉄のごとき骨も、何の抵抗もなく易々と断ち落とした。

 トロルがうめき、血を流しながらその場に膝をついた。


「──弱いな」


 一輝はそう呟く。

 このモンスター、巨大で腕力は凄そうだが、動きは単調かつ鈍重だ。

 一瞬の攻防で、自分の敵ではないと確信した。

 ・・・・・・しかし、ダンジョンの奥にいるボスでもこの程度か。

 できれば少しは苦戦したかった。

 というよりも、

 怪物に追い詰められる真優。そこを颯爽と助ける自分。力を合わせてモンスターを撃退し、二人の距離は一気に縮まる──

 と、そんな状況シチュエーションを期待していたのだが。

 あっけなく片腕を奪ってしまった。これではもう、勝負は決まったようなものだろう。

 強すぎるというのも困りものだ。


「このぶんじゃ、魔王も大したことなさそう──」

「大和さん、腕が治ってます!」

「──え、何?」


 真優に警告され、一輝はトロルのほうを見た。

 彼女の言うとおりだった。切り落とされた断面の肉がうごめき、増殖し、瞬く間に新しい手となって再生した。

 そしてトロルは何事もなかったかのように立ち上がり、再び一輝に襲いかかった。


「再生スキル持ちかよ!?」


 一輝が毒づき、


「──〈魔弾マジック・ミサイル〉!」


 真優が渾身の力を込めて、四本の魔法の矢を放った。

 トロルの巨体を次々ときらめく魔法の矢が貫くが、そうしてできた傷も、数秒で跡形もなく消滅する。


「ダメです、呪文も効きません!」

「なんなんだよ、こいつ!? 不死身なのか!?」


 トロルの動きそのものは、一輝にとって対応不可能なものではない。

 だが、いくら斬っても、呪文を打ち込んでも、数秒後には何事もなかったかのように再生してしまう。


「・・・・・・このままじゃダメです、一度逃げましょう!」

「は? 逃げる・・・・・・!?」


 真優が叫んだ提案に、一瞬、一輝の頭に様々な想像が過ぎった。

 ──この俺が、勇者が、こんな序盤のダンジョンから逃げるだと?

 逃げると言うことは、洞窟の外で待つケンドリックのところまで戻るということだ。

 そしてケンドリックに、それだけでなくレノアに、たかがゴブリンの巣穴ごときも攻略できなかったと告げることだ。

 そうすれば、どうなる。

 ──勇者なのに、その程度のこともできないのですか?

 待っているのは、そんな言葉かもしれない。

 そんなこと、許されるわけがない。


「いいから攻撃し続けろ! ほんとに不死身なわけがねえ、いつかは倒れるはずだ!」


 確信もないまま叫んだ一輝のその言葉は、しかし、実は正鵠を得ていた。

 トロルの再生能力の源となっているのは、体内に蓄えた魔素だ。

 それが切れるまで攻撃を続ければ、実際、いつかは倒すことができる。

 しかし──

 数分にわたる攻防の末。

 トロルの魔素が尽きる前に、一輝のスタミナが尽きてしまった。


「グラアアアアアッ!!」

「あぐっ・・・・・・!?」

「大和さん!」


 徐々に積み重なってきた疲労によって回避が遅れ、その一瞬を逃さず、トロルの豪腕が一輝をかすめた。

 直撃はしていない。しかしそれでも、まるでハンマーで殴られたような衝撃だった。


「うう、あ・・・・・・いっ、痛え、痛えよおっ!」


 軽く数メートルは弾き飛ばされ、全身を襲う激しい痛みに一輝は絶叫した。

 日本でも、この異世界でもこれまで経験しなかった、圧倒的な暴力によって負わされる本物の激痛。

 死の気配。

 それは一輝の戦意を一瞬で打ち砕いた。

 一輝の固有能力が与えてくれるのは、あくまで達人の技量のみ。

 それ以外の部分──持久力や耐久力、痛みへの耐性などは一般人のままだ。

 ゆえに、こうなるのは必然であった。


「や、大和さん・・・・・・!」


 痛みにうずくまり、子供のように泣きわめく一輝。

 だが真優はそんな彼の姿を見て、失望するよりも先に、


 ──助けないと!


 そう思った。

 それは誰かに要求されてのことではない。

 彼女自身の勇気と優しさからくる、半ば無意識の決断だった。


「こ、こっちです! ──〈魔弾マジック・ミサイル〉!」


 震える声を張り上げてトロルの注意を引きながら、再び魔法の矢を放つ。

 うずくまる一輝にトドメを刺そうとしていたトロルだったが、顔面に数発の矢を受け、煩わしそうに真優のほうへ視線を向けた。

 そして、


「ゴアアアア──ッ!!」


 凄まじい咆哮をあげ、地響きを立てながら接近し、掴みかかる。

 真優は咄嗟に、王宮で教わったもう一つの呪文、〈障壁シールド〉を使用した。

 展開された力場が壁となってトロルを阻む。


「ゴガァッ!!」

「ひっ、いやぁ・・・・・・!」


 一枚の魔法障壁を挟んで、真優の視界いっぱいにトロルの巨体が迫った。

 牙を剥き出しにし、涎を垂らした凶暴な面相に、思わず悲鳴が漏れる。

 そして、真優が注意を引きつけた隙に一輝はなんとか立ち上がった。

 真優は今、怪物に追い詰められ、恐怖に震えながら、必死で障壁を維持している。

 それはまさに、一輝が夢想していた千載一遇の状況シチュエーションだった。

 しかし──


「うっ、うわあああああああ──!!」


 痛みと恐怖に突き動かされるままに、彼は真優を置いてその場から逃げ出した。

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