第21話 夜会話

 その夜。

 食事を終え、〈浄化ピュリファイ〉の呪文で身を清めた俺は、〈番犬亭〉の部屋で装備を試着をしていた。

 いろいろと体を動かして重さや着け心地を調べる。革の防具は思ったよりずっと軽く柔軟で、動きを邪魔することもない。防御力という点では金属鎧には劣るだろうが、そこは〈障壁シールド〉の呪文でカバーだ。

 一通り点検を終えると、俺は防具をつけたままベッドに横になった。

 旅の途中では、鎧を着たまま眠らなければならないこともあるだろう。今から慣れておかなくては、と思っての次第である。


 目を閉じて、これまでのこと、そして明日の戦いのことを考える。

 いつもと変わらぬある日の朝、突然異世界に召喚され、魔王を倒してくれと言われ、勇者に相応しい能力がないからと王宮を追放された。

 そうしたら何故かスマホに妙なアプリが入っていて、その力で軍資金を手に入れ、師匠のもとで修行し剣魔術師ソードメイジなんてものになり、モンスターとも戦った。

 まったく波瀾万丈もいいところだ。間違いなく人生で一番激動の一週間だった。

 元いた世界で普通の会社員をやっていたら、こんな冒険を味わうことは絶対になかっただろう。

 そして明日はいよいよ、冒険者の一員としてゴブリンの巣穴に突入することになっている。

 不思議なことに、恐怖や緊張はあまり感じなかった。

 日本での平穏な生活に戻りたいと、涙が出てくることもなかった。

 むしろ明日の戦いが楽しみでさえある。

 ヘマをすれば大怪我をしたり、最悪死ぬこともあると十分に理解はしているが・・・・・・

 俺って、自分で思っているより遙かに能天気な性格をしているのかもしれないな。

 まあ、すでに一度ゴブリンとは戦っているし、ギルドの冒険者も一緒に戦うのだし、指揮を執るのはあのギルドマスターだ。

 装備も格段にレベルアップし、それに師匠もついて来てくれることになっている。

 天変地異でも起きない限り、マズい展開にはならないだろう。

 ・・・・・・。

 いやちょっと待て。今俺、もしかして天変地異が起きるフラグ立てたか?

 なんかやらかしたような気がしてきたぞ。

 いやいやいや・・・・・・


「バカなこと考えてないで早よ寝ろ、俺」


 自分で自分に言い聞かせる。

 とはいえまだ早い時間で、眠気はなかなかやってこない。

 こういう時は・・・・・・この世界に来る前は、音楽を聴いて気持ちを鎮めていたっけ。

 俺の好きなものといえば、一に映画、二に音楽だ。

 スマホにはお気に入りの楽曲たちが山ほど入っている。イヤホンも売らずに取っておいてあるが、もちろんバッテリーの無駄遣いはできない。

 仕方なく頭の中だけで入眠用のクラシックを流していると、コンコンと扉がノックされ、


「入れて」


 と、ごく端的に要求された。師匠の声だ。

 入っていい? とかじゃなくて、入れて、なのが彼女らしい。


「はいはい、今開けますよっと」


 俺は素直に従い、錠を外して扉を開けた。

 師匠は遠慮なくスタスタと部屋に入り、部屋にひとつしかない椅子をこっちに向けて座った。俺もベッドに腰掛けて向かい合う。

 さっきまで風呂に入っていたらしく、頬は微かに赤く、バスローブに似た白い寝間着を着ている。

 湿った髪からは、石鹸と香料、そして彼女自身の匂いが混じった天上の芳香が漂っている。

 俺が分別のある大人じゃなかったら、思いっきり髪に顔を突っ込んで深呼吸しているところだ。

 猫吸いならぬ師匠吸い。もちろん実行に移したら、社会的にも物理的にもその日限りの命である。

 〈浄化〉の呪文があれば風呂に入らなくても体を清潔に保てるが、師匠は湯船につかることを好んでいるようだ。温泉大国日本に生まれたものとして、その点は大いに共感できる。

 俺もそろそろ熱いお湯につかりたい。


「イサミ。あなたはとてもよくやっている」

「・・・・・・えっ、あ、ああ。どうもありがとう?」


 風呂に思いを馳せていたところに急にお褒めの言葉をもらった。

 師匠は青い瞳で、こちらを真っ直ぐに見つめている。

 その視線に射抜かれると、さっきまでおバカなことを考えていた自分が急に恥ずかしくなり、俺は思わず居住まいを正した。

 どうやら真剣な話らしい。


「わたしは最初、あなたが遠からず逃げ出すと思っていた。でもちゃんとついてきた。あなたはとても熱心で我慢強い」

「いや、それは・・・・・・」


 〈ドミネイター〉で自分の心を操作した結果なので、素直に賞賛は受け取れない。

 とはいえ自分の、そして他人の心を操作できる道具を持っているなんて、いくら相手が師匠でも白状するわけにはいかないのだが。

 いや、相手が彼女だからこそ、と言うべきか。


「ひとつ教えて。あなたがそこまで強くなろうとするのは、何のため?」


 その質問をいつかされるであろうことを、俺は半ば予期していた。

 いろいろと返答は考えていたが、誤魔化してもいい結果になる気はしなかったので、結局は素直に話すことにする。


「・・・・・・俺は、ここからものすごく遠いところにある日本って国で生まれ育った人間だ」


 慎重に言葉を選んで、俺は語り始めた。

 師匠が微かに眉を動かし、先を促す。


「信じられないかもしれないが、ある日突然気がつくとこの国──エランドールにいたんだ。それでこの国の人達に訊いたところ、元いた場所に帰るにはどうやら魔王ってやつを倒さないといけないらしい」


 自分で喋っていてこんな話信じる奴いるのかよ、と思ったが、師匠は真剣な表情でこちらを見ている。


「それなら、魔王を倒して故郷に戻るのがあなたの目的?」

「・・・・・・どうかな。まず魔王ってのがどんな奴かもわからないし、戦って勝てる気もしないし、そもそも本当に魔王を倒せば日本に戻れるかも不明なんだよな。っていうかそれを言うなら、魔王が実在してるのかも定かじゃないし」


 今まであまり考えないようにしていたが、魔王を倒して日本に帰るというプランには山ほど問題がある。

 このまま魔法の修行を続けて日本に帰還する魔法を見つける、あるいは自分で開発する、という方がまだ可能性がある気がする。

 どっちにしろ、雲を掴むような話だ。


「魔王とやらを倒しに行くとしても、それ以外の帰り道を探すにしても、まずは力がなくちゃどうしようもないと思ってな。それが強くなりたい理由だよ」

「・・・・・・そう」


 師匠は少しの間、うつむいて何かを思い悩んでいた。

 だがやがて、再び目線をこちらに向けた。


でこのまま暮らしていくつもりはないの?」

「それは・・・・・・」


 その選択については少し考えていた。

 日本に残してきた人々のことを思い出す。

 両親は健在だが、正直に言ってあまり仲は良くなく、ここ数年はまともに話していない。二人とも仕事人間で、昔から俺にあまり興味がなかったのだ。

 幼い頃の俺を育ててくれたのは、ほとんど祖父だった。だがその祖父も、俺が社会人になってすぐ亡くなってしまった。

 残念ながら恋人はいないし、心の底から親友だと言える友もいない。

 うーん、こう考えると実は俺って結構寂しい奴かもな。

 正直に言って、絶対にもとの世界に戻ってまた普通の社会人をやりたいとは、あまり思っていない。

 しかし──


「俺一人ならそれでもいいんだけどな。実は他にもあと二人、日本から突然連れてこられた奴がいるんだ。できることなら、俺はその二人を故郷に帰してやりたい・・・・・・まあ、本人が帰りたがってたらの話だけど」


 一緒に召喚された、二人の日本人学生の片割れ──大和一輝は、俺がこんなことを言ったら大きなお世話だとはねつけそうだ。

 村瀬真優については、わからない。普通に考えたら平和な日本に帰りたがっていると思うが、すぐに王宮を追放されてしまったためろくに話すこともできなかった。彼女が何を思っているかは不明だ。


「まあ、俺の話はこんなところかな」

「よくわかった」


 師匠は椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛ける俺を見下ろした。


「魔王の正体については何か聞いた?」

「いや、詳しいことはあまり。ただ白い鱗を持つ古代竜エルダー・ドラゴンで、名はキュアノマイアだと・・・・・・それくらいだ」


 正直言って、ほとんど何も知らないに等しい。

 修行の合間にこの街で少し調べてみたが、王宮で聞かされた以上の情報は得られなかった。

 どうやらその住処はここからずっと東らしい、ということはわかったのだが。


「イサミ。どんな理由があっても、キュアノマイアを倒そうなんて考えないで。死ぬだけよ」


 師匠は不意にそう言って、何か複雑な感情を宿して揺らぐ瞳で俺を一瞥した後、俺が何か尋ねるのを拒絶するようにくるりときびすを返した。


「もう寝るわ。あなたも夜更かししないで」

「・・・・・・了解。おやすみ、師匠」

「うん。おやすみなさい」


 師匠はそのまま振り向かず、さっさと自分の部屋に戻っていった。

 俺は扉と締めて錠をかけ、再びベッドに横になり、先ほどの会話を思い返した。

 師匠の口振りは、まるでキュアノマイアについてよく知っているかのようだった。

 まだ確信に至る判断材料は足りていないが、俺の直感は自分の推測が正しいことを告げている。

 ベルフィオナ・イスフレイ。

 霊銀級の冒険者で、俺の師匠を務めてくれた少女。

 彼女はおそらく──

 キュアノマイアの部下だ。


「どうしたもんかね・・・・・・」


 ベッドの上で、俺は独りつぶやいた。

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