第12話 ディス・イズ・スパルタ!
師匠が教えてくれたのは、剣の握り方や構え方、受け身の取り方など、修行を成立させるために最低限不可欠な技術のみだった。
それ以外のことは全て、実戦形式の中で文字通り体に叩き込まれた。
ちょっとでも隙を見せれば、容赦なく木剣でぶっ叩かれる。寸止めなどという概念は存在しない。痛みに慣れること、痛む体をひきずって戦うことも修行の一部なのだ。
本物の剣で斬られるよりは遙かにマシとはいえ、木剣の一撃も十分脅威である。バットでぶん殴られるのとほとんど変わらない。骨ぐらい余裕で折れるが、そのたびに師匠が〈
打たれたくなければ、観察し、学習し、考察し、今すぐに成長しろ!
それがベルフィオナズ・ブートキャンプの基本方針であった。
まさしく生との死の狭間に叩き込まれたに等しい。
ディス・イズ・スパルタ!
これにはレオニダス王もニッコリであろう。
俺は師匠の動きを全力で観察し、なんとか自分のものにしようと努力した。
またそれだけでなく、何か役に立つ知識はないかと、自分の過去の記憶や経験を必死で掘り起こした。
武術を習った経験は、学校でほんのちょとやった柔道と剣道の授業のみだ。そんなもんは習ったとも言えない。まあ、何も無いよりはマシだか。
それ以外で俺の中にある武術関連の知識といえば、思いつくのは山ほど見たアクション映画の記憶だ。
もちろん映画そのものはフィクションに過ぎないが、本物の達人が主人公を演じている作品もたくさんある。その動作には、実戦に通じる内容もあるはずだ。
時代劇の剣術、カンフー映画の中国武術、戦争映画のCQC、その他もろもろ。
かつて観た数多のアクションシーンの記憶を辿ると、不思議なほど克明に思い出せる。
記憶の中の主人公たちに教えを請い、失敗を繰り返しながらも、自己の動作を最適化していく。
体だけでなく脳みそも休まず動かしながら、俺はひたすら師匠のシゴキに耐え続けた。
これまでの人生で、こんなに力を振り絞ったことは一度もない。頭からつま先まで、全身のあらゆる細胞が悲鳴をあげっぱなしだ。
だが極限の痛みと疲労に襲われながらも、俺は一度も、もうやめたいとは思わなかった。
それどころか、己の全霊をかけて死中に活路を求めるこの時間に、奇妙な充実感さえ覚えていた。
打ち据えられた痛みさえもが心地良い。
・・・・・・っていかん、なんか変な趣味に目覚めそうになってる。
これはただの修行だ。断じて何か特殊なプレイなどではない。
己にそう言い聞かせ、雑念を振り払い修行に集中する。
そうして、やがて六時間が経過した。
その瞬間、俺は糸が切れた人形ようにぶっ倒れたのだった。
「生きてる?」
「・・・・・・なんとか、ギリギリ、辛うじて」
「そう。よかった」
さっきまで自分がどうやって立っていたのか思い出せない。どんなに頑張っても、本気で指一本動かせない。それほどの疲労感だった。本当に、体中のエネルギーを最後の一滴まで絞り尽くした気がする。
顔から地面に倒れ伏した俺を、師匠がひっくり返して仰向けに寝かせた。
「正直、もっと早く倒れるかと思った。ここまでがんばるなんて予想外」
上からのぞき込む師匠の顔には、ほんの微かに感心するような表情が浮かんでいる。
「それは・・・・・・見込みがあるって思っていいのか?」
俺は尋ねた。
「どれだけ剣の腕を磨き体を鍛えても、強い心がなければ本物の戦士にはなれない。体と心は表裏一体だから」
静かに語られる師匠の言葉に、俺はうなずいた。
スポーツの世界では、身体能力や技術と同じくらい、メンタルの力も重要視される。軍隊でも同様だろう。心が折れれば体は動かない。
「お前は剣の腕はまだまだだし体は貧弱だけど、痛みを恐れない心の強さがある。このまま鍛錬を怠らなければ、きっと良い戦士になる」
「ううん・・・・・・ちょっと褒めすぎじゃないか? あんまり甘やかさないでくれよ」
別に自分の手柄ではない。修行をやり抜くことができたのは、〈ドミネイター〉による自己催眠のおかげだ。
心が折れないのは当たり前。だって俺は、心を操作できるアプリを持っているのだから。要はチートなので、褒められても居心地が悪い。
効果が切れた今だからこそわかる。修行の最中の俺の忍耐力と集中力は、完全に別人だった。
自分自身を操ることはできるのか? という実験は、ひとまず成功だと考えていいだろう。
自己催眠が効いていなかったら、途中で泣きわめいて逃げ出した可能性もある。自分がそこまで情けない人間ではないと思いたいが・・・・・・
あとは学習能力の強化がどれくらい機能しているかだが、今日の時点では師匠に一撃入れるどころか、木剣の切っ先をかすらせることさえ出来なかった。
まあ、さすがにたった六時間で達人になれるとは思っていない。
これについてはもう少し長い目で見る必要があるだろう。
「ところでもう指一本動かないんだけど、今日の修行はこれで終わりでいいのか?」
まだ空は青いが、少し暗くなってきている。あと一時間もしないうちに茜色に染まり始める頃合いだろう。
日が暮れる前には〈番犬亭〉に帰りたい。
いや、ちょっと待った。そもそも今日中に立ち上がれるようになるのか、俺?
下手すりゃ森の中で倒れっぱなしで一晩過ごすことになるんじゃないか。
そんな不安が胸を過ぎったところで、師匠が何かを取り出した。
小さな硝子の瓶だ。中身は緑色の液体。
「それは?」
「
と言って、コルクの栓を外した。
なるほど、魔法の回復薬というわけか。それは素晴らしい。俺は仰向けに倒れたまま、素直に口を開く。
だがどうしてだろうか。
師匠はなんだか微妙な表情をしている。
「飲まないと、明日はベッドから起きあがれないから」
と、誰に言うでもなく言い訳のようにつぶやき。
唐突に俺の鼻をつまんで、瓶の中身を口に流し込んだ。
「・・・・・・ふごげっ!? うごごごごごっ!!」
その瞬間、この世のものとは思えない苦みとえぐみが口の中で爆発した。
まずい。尋常じゃないくらいまずい。この世にこんなまずいものが存在したのかというくらいまずい。
地獄の底に生える雑草を煮詰めて作った青汁の味がする。誇張抜きで!
悪魔だって泣き出すこと請け合いだ。
いきなり口に突っ込まれた勢いでなんとか飲み下すことに成功したが、そうじゃなかったら全部吐き出していたと思う。
「ぐえええっ・・・・・・まずすぎる。あり得ないまずさだ。こんなにまずい必要があるのか・・・・・・」
「よく吐き出さなかった。えらい」
師匠からお褒めの言葉をもらったが、俺は涙目だった。
しかし幸いと言うべきか、死ぬほどまずいだけあって効果は劇的であった。腹の奥から活力が湧いてきて、俺は数分後には自分の足で立って歩けるようになっていた。
まだ全身の筋肉が強ばっており痛くて仕方なかったが、それも明日の朝には回復しているという。
つまり、明日も全力で修行できるということだ。
そして全力で修行をすれば、今日のようにまた疲労困憊でぶっ倒れるだろう。
そしたらまた、同じものを飲まないといけないわけで・・・・・・
俺はげんなりした。
これにはレオニダス王も顔をしかめることだろう。
「・・・・・・ちなみに師匠はこの霊薬、飲めるのか?」
「飲めない」
見事な即答だった。
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