第8話 〈番犬亭〉でちんちん!
〈番犬亭〉の宿泊費は、朝夕二食付きで一日銀貨三枚。王都の物価が高いことを差し引いてもやや高額な部類だが、その分清掃が行き届いており、頑丈そうな扉にはしっかりとした錠前がかけられていた。なんでも錠は魔法の影響を受けにくい特殊な鉛合金で出来ており、半端な魔法使いが使う〈
また宿の中庭には、〈番犬亭〉の名前の由来であるでっかいワンコどもが元気に走り回っていた。何者かが不法侵入すれば、この恐るべきモフモフ軍団が魔法の矢みたいにすっ飛んで行ってしとめるのだという。きっと見物だろうな。
俺はとりえあず金貨一枚を宿の主に渡し、六日分の滞在を確保した。
夕食はパンにシチュー、ピクルス、それからエール。決して悪くはなかったが、屋台で食べたダイアボアのソーセージにはちょっと負ける。モンスターの肉って、もしかして普通の動物より美味いんだろうか?
寝る前に、熱いお湯と手ぬぐいを用意してもらって体を拭いた。追加料金を払えば浴槽に湯を張ってくれるそうだが、今日のところは我慢することにした。贅沢をするのはもっと余裕ができるか、どうしても我慢できなくなった時だけにしよう。
ベッドに横になると急激に疲労が押し寄せてきて、一分もしないうちに眠りに落ちた。
こうして、俺の異世界生活一日目は終わったのであった。
さて、翌日の朝。
「お手」
「ワフ?」
「お座り」
「ウォンッ!」
「ちんちん! ちんちんだ!」
「バウバウ!」
「ダメか。まあそりゃそうだよな」
「クゥーン・・・・・・」
「お客さん、何をなさってるんで?」
ローストビーフとゆで卵の朝食を腹に詰め込んだ俺は、朝日が注ぐ中庭で、〈ドミネイター〉のさらなる実験を行っていた。
宿の主人が可哀想な人を見るような目をしているが、気にしてはいけない。
実験対象は〈番犬亭〉の屈強なる警備隊長、元王立騎士団の軍用犬という輝かしき経歴を持つブランくん。犬種は不明だが、見た目はグレート・ピレニーズっぽい。大きな体はモフモフの白い毛におおわれており、くりっとした目には実に愛嬌がある。
騎士団から引退したところを宿の主人が引き取り、以来、番犬として幾多の泥棒を退けてきたという。現役時代にはオークの喉笛を噛みちぎったこともあるのだと、主人が自慢げに言っていた。
だがそんなブランくんに〈ドミネイター〉を向けて日本式の芸をやらせようとしても、首をかしげるだけで何を要求されているのか理解できない様子だった。
当然といえば当然だが、いくら〈ドミネイター〉でも、相手が理解できない命令を実行させるのは無理らしい。つまり、言葉の通じないモンスターには完全に無力ってわけだ。
加えて言うなら、耳が聞こえない相手、目が見えない相手、言葉の届かない距離から攻撃してくる相手にも無力だろう。当然ながら自然現象や罠に襲われた時もどうしようもない。
こうして考えてみると、〈ドミネイター〉は強力だが決して無敵のアプリではない。使い手の俺が貧弱な一般人だからなおさらだ。
問題はまだある。
しごく当たり前なことを言うが、スマホは使えば使うほどバッテリーが減るのである。
ブランくんへの実験を終えた段階で、バッテリーの残りはおよそ八十パーセントちょい。最近機種変したばかりでバッテリーも新品なため、思ったよりは減っていないが、それも時間の問題に過ぎない。
正直、バッテリーが残っているうちに、〈ドミネイター〉を使って王宮に忍び込むことも考えた。
聖女レノアや国王エドムンド六世には、聞きたいことが山ほどある。
俺たちは本当に魔王を倒さなければ帰れないのか。
魔王キュアノマイアは本当に邪悪な存在なのか。
実は勇者は、世界の理なんかじゃなくてあんたたちの都合で召喚されたんじゃないのか。
ぶっちゃけ、勇者を都合良く利用しようとしてないか?
〈ドミネイター〉の力を使えばこれらの答えを知ることは可能だろうが、しかし問題は聞きだした後だ。もし彼らの後ろ暗い秘密を暴いてしまった場合、お前は知りすぎた、という展開になることは目に見えている。
〈ドミネイター〉の効果は六時間しか続かない。『全力で見逃せ』と命令しても六時間後に催眠が解けてしまうのではその場しのぎにしかならない。
追ってくる奴に片っ端から『死ね』と命令し続ければ壊滅的なダメージを与えられるかもしれないが、そんなことをしていたらこっちが魔王に認定されてしまう。
世界の敵になって追われる人生なんてまっぴらだ。
そもそも、俺はこの世界の知識がまったく足りていないので、逃げるにしても何処に逃げればいいのかすらわからない。
というわけで、王宮潜入案は却下だ。
俺自身の戦闘能力不足。
この世界の知識の不足。
そしてバッテリー問題。
この三つを解決しないかぎり、派手な動きはできないというのが俺の結論だ。
一番解決が難しそうなのはバッテリー問題だが、こればっかりは心配してもしょうがない。楽観的に行こう。
ここは異世界。魔法使いや魔導具なんてものが存在するのだから、バッテリーを充電する手段のひとつやふたつあってもおかしくはないはずだ。
っていうか、ないと困る。
なければ自分で創るぐらいの気持ちでいよう。
どのみち、いくら心配したところでバッテリーの減りは止められない。今はただ、残っている分をいかに有効に使うか、それだけを考えるべきだ。
実は一つ、〈ドミネイター〉を使って自分の戦闘能力不足を解消できるかもしれないアイディアを思いついたのだが、それを試すにはギルドが早く教師を見つけてくれる必要がある。
昨日の今日で見つかっているとは思えないが、一応行ってみるとしよう。
ひとしきりブランくんをなで回して実験協力への感謝を伝えたあと、俺は〈番犬亭〉を後にした。
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