第49話 心の在り処を

「……というのが事の顛末ですよ、柏木先輩」


 逃避行を終えて学園に戻ったシゲは柏木の取材を受けていた。内容はいわずもがな御園礼二によって命を狙われ続けた三日間である。取材など本当は受けたくはない。

 とはいえ、シゲは心臓の件やら何やらで色々と貸しを作っている。また柏木は囮役をする予定だったと聞く。

 柏木への借りは返せるうちに返しておかないと後でとんでもない利子で返ってくるに違いない。


 不承不承で語るシゲに、柏木はぱたんとメモ帳を閉じる。


「なるほど、なるほどね……シゲくん。君、何もしてないね?」

「うぐっ!?」


 シゲは呻き声をあげる。痛いところをつかれたからだ。別に実際につつかれているわけではない。ないのだが、言葉の刃というものがあるわけで。


「し、仕方ないでしょう。俺見張られてたんですし」

「それにしても女の子におんぶにだっこ。王子さまとお姫様が逆じゃないかしらね」

「まぁ、お姫様にはなりましたね」

「ん?」

「いやなんでも」


 とぼけるシゲに柏木が怪訝そうな顔をする。逃亡中にシオンに女装させられたことは流石に伏せていた。問い詰められても困るのでシゲは話を逸らす。


「まぁ実際、柏木先輩の言う通りですよ。俺は何もしてませんし」

「そうね。君はいかにも凡人よ。主役ではないね」


 シゲはがくりと肩を落とした。やはりこの人とは合わない。別にシゲは悲劇のヒーローぶるつもりはない。だが主役じゃないとさっくりと切り捨てられるとそれはそれで釈然としないものがあった。


「何をがっかりしているの? 当然のことじゃないでしょう。自分の人生の主役は自分なんて言うけれどね、結局はその他大勢にとっては脇役でしかないのも道理でしょう。君は特別じゃない。偶々、心臓が二つあっただけよ」


 特別じゃないと言われれば誰だって侮蔑だと思うものだが、このときシゲには違って聞こえた。人と違うことが嫌だった。でもそれは自分が違うのだと思い込んでいるだけで、最初からみんなと同じだった。

 見識を狭めていたのは自分自身で、それをようやく理解した。


「……そう、ですかね」

「そうよ。間違いないと言っていい。新聞は大衆の意見なのだからね」

「そこは了承しかねます」


 さっさと話しを終えてシゲは柏木の元を後にした。教室に戻る途中で古小浦とすれ違う。また挨拶でもしてくるのかと思ったが、バツが悪そうな顔をして気づかないふりをして通り過ぎていく。

 虫の居所が悪かったのか、それとも何か嫌なことでもしてしまっただろうか。うーんと考えてみるが何も思いつくようなことはない。片手で数えられる程度の友人しかいないというのに、指一本分数える相手が減ったかもしれない。


「シー……ゲ!」

「うわっとぉ!?」


 しょぼくれるシゲの背に抱きついてくる人影が一つ。背中越しに柔らかい感触やらが伝わり、シゲはどぎまぎしてしまう。振り返ってみれば抱きついているのは恋人の御園花子ことシオンだった。


「し、シオン。びっくりしたよ。どうしたの?」

「ふふ。理由なんてありません。ただこうしたかったからしただけです」

「おやおや、お熱いねぇお二人さん」


 恋人同士でいちゃついているところにタケがやってきた。なんだか数日合ってないうちにまたでかくなった気がするとシゲは眉根を寄せる。

 男子三日三晩合わざればというが、奴はどこまででかくなる気なのだろうか。


「よ、よぉ。タケ」

「おいおいシゲ。いまさら何を照れているのかね。花子さんがくっついているのはいつものことだろう? せっかく頭はスッキリしたのに意味がないなぁ。はは、見てるとこっちが熱くなる」


 タケに言われてシゲは短くなった髪を撫でる。かなり短く剃られたので元の髪の長さに戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。そんな涼し気な頭と違って体は今、熱が籠りに籠っている。

 シゲには少し困ったことがあった。

 人目もはばからず、シオンがやたらめったら抱きついてくるようになったことだ。人や場所を気にせずにそういうことをされるとやはり気恥ずかしい。加えて真夏だ。二人して熱中症になってしまう。


「シ……花子さん。暑くない?」

「暑いですねぇ。溶けちゃいそうです」

「じゃあ、一度抱きつくのは止めにしたらいいんじゃないかな」

「嫌です」

「そっかぁ……」


 聞く耳はあるが動じるつもりはないらしい。前も確かにわがままなときはあったがこうも恥も外聞も投げ捨ててはいなかった。

 やはり心配をかけ過ぎたからだろう。これでもだいぶ落ち着いてきたほうなのだ。最初はトイレの前までついてきたので、余程いなくなることが怖いようだ。悪いことをしてしまった。なんだか、俗にいうヤンデレみたいだ。

 まぁ、自らの不甲斐なさ故なのだから重すぎる愛を甘んじて受け止めよう。


 あまりに暑苦しい様子にタケは耐えられなくなったのか、タケは持っていたビニール袋をシゲに渡した。


「はぁ。嫌だ嫌だ暑苦しい。ほれ、シゲ」

「なんだよタケ、って何だコレ。お土産か?」

「それ、図書委員の後輩ちゃんから渡されてたやつだ。預かってた」

「ああオミからの。……八つ橋? 何故に?」

「シゲ。それ、たぶん囮をしてくれたときに行った先でだと思います」


 花子の補足にシゲはなんとも微妙な顔をする。人が追われてる最中に何お土産買ってるんだ。シゲはお菓子を渡すとさっさと退散している。分けてやろうと思ったのにとシゲははぁとため息をつく。改めてお菓子箱を見れば写真が添えてあった。オミと高良山とのツーショットだ。距離感がだいぶ近く見える。


 写真を覗き込んでシオンがぱっと顔を輝かせた。


「まぁ! シゲ、この二人とってもいい雰囲気じゃないですね」

「そうかなぁ……オミのノリを高良山さんが勘違いしているように見える」

「ふふ。なんだか妬けてきちゃいますね。私たちもイチャイチャしましょうか」

「いやもう十分してるって」

「もっと、オトナなことまで」

「ぶはっ!?」


 何を言い出すんだとシゲは噴き出した後の口元を肩の袖で拭う。


「だって、そうじゃないですかー。春日井先生のお話だとシゲは春日井先生が父親なんですよね? 心臓が二つあることも遺伝しないものですし、何も問題ありません」

「いや、まぁ、そうなんだけどさぁ」

「シゲは嫌なんですね。うう、私そんなに魅力ないですか……?」

「そんなわけ!」

「じゃあ、できますね。ふふ。いつでも誘ってくれていいんですよー」


 シゲは苦笑した。そこまで言って誘うのはシゲからなのかと。

 女心は複雑怪奇だ。とてもシゲでは太刀打ちできない。会話がこのまま爛れた方向へ向かいそうだったのでシゲは軌道修正を画策した。


「そ、そういえば春日井先生ってあれからどうなったんだ?」

「春日井先生ですか? まだ入院中ですよ。でも一月もすれば指ももとに動かせるようになるそうです」


 そうか。また元に戻るのか。

 シゲの顔に少しだけ影が差す。


 春日井は自分の手を呪いだと言っていた。呪縛からは逃れられない。やはり人間は変わることはできないのだろうか。

 礼二のように、いずれはシゲも――。


「良かったです。春日井先生のことを待っている患者さんはたくさんいらっしゃいますから」


 シオンの言葉にシゲは顔を上げる。そうだ。待っている人がいる。春日井には患者が。そして、シゲにはシオンが。人は常に正しくはいられない。それでも信じてくれる人の元に心があったなら。もう一つの心臓を、君が持っていたのなら。


「……うん。そうだね、きっとそうだ」


 シゲは顔を上げた。そして一歩、また一歩と踏み出す。隣を歩くシオンと同じ歩みで一歩、一歩。


 そこに化け物はいない。ただどこにでもいる少年が生きていた。

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