第48話 嵐の去った後には
駆けつけた警官の手でシゲと静代は拘束から解放された。どうやらシオンが手を回していたらしい。若い警官の後ろで初老に差し掛かった上官が苦い顔をしている。きっと礼二が上層部に圧力をかけていたのだろう。ではなぜ救援が来たのかと言えば、春日井の自傷によって礼二の計画が頓挫したからに違いない。
年老いた警官を押しのけてシゲに向かって飛び出した影が一つある。
「シゲ! シゲぇ!」
「え、シオン? わ、ちょ!?」
シゲの胸に飛び込んできたのはシオンだった。綺麗な顔を涙でぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる少女はひどく震えている。シゲはその背を摩った。
「う、ひっぐ。シゲ、生きてる、生きてます。私、死んじゃってたらどうしようって」
「……ごめん、心配かけた」
嗚咽交じりに声を絞り出すシオンに、シゲは目を伏せる。シオンが助かるならばとシゲはまた代わりに犠牲になろうとしていた。そんなことをしてもシオンは喜ばない。シゲが攫われただけでこんなにも悲しんでいるのだから、一目瞭然だった。
当事者のシゲだが、この一件でトラウマが芽生えたりはしていない。頭に布を被らされて攫われたのは確かに恐怖だったが一瞬の出来事だ。殺すと言われたときも言葉だけで拳銃を突き付けられたわけでもない。結局最後までどこか他人事のように思えている。
「シゲ……その子が、レイさんの娘さん?」
背後からの声にシゲははっと振り返った。母親の静代が微笑を浮かべて二人を見ている。シゲは「母さん」と声を出しはっとする。実の親の前で抱き合っているというのはシゲにはあまりに恥ずかしかった。シゲがシオンの手を引き離そうとするがびくともしない。
コアラのようにしがみついたままシオンは静代に挨拶した。
「ぐす……はい。初めまして、シゲのお母様。結婚を前提にお付き合いさせてもらっています。御園花子です」
「ちょ、シオン!?」
「あら、あらあら」
あらあらあらとうわ言のように繰り返し、静代は面を食らったようで目を丸くしている。別にシゲは結婚を前提に付き合っていることを隠そうという意思はない。ただ時と場合があると思うのだ。
「あー、その。母さん。間違いではないんだけど、そのー。ゆくゆくはというかさ。別に学生結婚しようとかじゃなくて! な、シオン?」
「はい。でも、早めにお願いしますね? シゲ?」
「ぜ、善処するけど、その。安定した収入とか家とか色々あるしさぁ」
いつもの調子でシオンとじゃれあっていたシゲだが、ふと母にとってはシオンこそ己が持てなかった礼二の子であることに気づいた。何を感じるのだろう。妬ましさか。嫌悪か。それとも羨望か。
緊張した面持ちでシゲは母の様子を伺ったが、静代は破顔していた。
「ふ、あははは! もう、シゲったらたじたじじゃない。男なんだからしゃきっとしなさい」
「あ……う、うん」
気にし過ぎだっただろうかとシゲは頭をかく。静代は手を伸ばし、シオンの手を握った。
「初めまして、花子ちゃん。うちの子をよろしくね。馬鹿だけどいいところもあるのよ?」
「はい! 任せて下さい、お義母さま!」
アレ? なんか、その。逆じゃないだろうか。まるで自分がもらわれる側みたいなやりとりのように思えたのだがとシゲは苦笑する。
握手を終えるとシオンはまたシゲの背に手を回して抱きついてきた。満足したのかと思ったが、まだ終わっていなかったらしい。嫌なわけではないのだが周りに警官やらなんやらがたくさんいるのだ。シゲには羞恥心が勝っていた。
「ふふ。なんというか……全然あの人に似てないわね、この子」
やはり内心では気にしていたのか静代がぽろりと本音をこぼす。確かに礼二とシオンはどこも似ていない。
その礼二はというと呆然と空を見上げている。逃げることもできないだろうからかパトカーに乗らずにいる。シゲはシオンの手を優しく握って解く。シゲがどこに向かおうとしているのかに気づいたのか、介抱してくれた。
礼二の前にシゲは立つ。礼二は気だるげにシゲに視線を向けた。
「……なんだ小僧。殴りにでも来たのかね?」
「聞きたいことがあるですよ、礼二さん……あなたは本当に俺を殺す気があったんですか?」
「え? し、シゲ? それはどういう?」
「そのまんまの意味だよシオン。礼二さんの計画は春日井先生を主軸に添えすぎてると思ったんだ。春日井先生が手術を渋っていたことを知っていたはずなのに、代わりの医師を用意していなかった。どうしてですか? 手術の腕前というのは大事でしょうけど、俺は礼二さんがそんなリスクマネジメントをしない人のように思えない」
そうだ。春日井が自分の指を折ったとき、どうせ代打の医師がいるんじゃないかとシゲは春日井の行動に意味を感じ取れてはいなかった。
だがどうだ? この計画は春日井がへそを曲げただけで失敗するのだ。
「はん! 私は殺す気だったとも。ただ、そうだな。私には縁がなかった……それだけだ」
そうかとシゲは漠然と理解した。
春日井と礼二は対極の存在なのだ。できるはずがないものに手が届く男と、できるはずのものから手が遠ざかってしまう男。つまり、礼二は失敗する可能性が高いことを理解して作戦を実行している。
理由はわからない。罪悪感か、それとも慢心故なのか。
「……お父様」
「なんだ花子、ぉ!?」
バチンと音がなり礼二の頬に紅葉の後ができていた。
「これまで色々お世話になりましたが! シゲにしたことは許せません。これはシゲが怒らなかった分ですから」
「……はは、ひどいじゃないか。病人相手に」
「ええ。私、ひどい女です。だってお父様の娘ですからね。では、ご機嫌よう」
シゲの手を取り、シオンはその場から連れ出す。遠ざかる礼二の顔を盗み見る。その顔はどこか晴れ晴れとしていた。
失敗したのにどうして満足気なのか。矛盾だ。あべこべだ。シゲには礼二という男が理解できない。ただそういう生き方しかできなかった男がいることを、シゲは生涯忘れることはないだろう。
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