第47話 呪いが解けるとき

「……俺は双子だった?」


 シゲは春日井の話についていけなかった。母、静代の体外受精を請け負ったのが春日井であり、礼二との子どもだけでなく春日井自身との子を作ろうとしたいうのはあまりにも馬鹿げている。その末、片割れはシゲ自身に取り込まれて心臓が残ったなどと。


「そうだよ小堂くん。静代さんは話さなかったみたいだけどね、バニシングツインによって君の中に片割れの心臓が残った。君は言わば二つの命が重なっていたわけだよ。だから君の名前はシゲなんだ」


 春日井の言葉でシゲは長年ずっと胸につかえていたもやもやがようやく腑に落ちた。だから心臓が二つあったのか、と。自分自身は何かを問いかけてきた。最初から答えは出ていたのだ。

 当惑するシゲよりも混乱しているのが静代だった。


「か、春日井くん。どういうことなの!? シゲが、あなたとの子ども!? そんな話初めて聞いたわよ!?」

「言い出せなかった……もし堕胎するなんて話になったらと怖かった。小堂くんが生まれたから検査して、彼が自分の子どもだとわかったときの感情は複雑でとても言葉では言い表せない。ただただ自分のした行いを悔やんだよ」

「悔やんだ、じゃないわよ! ああ、なんてことをしてくれたの!」

「か、母さん。落ち着い――」


 シゲがなだめようとするが、静代の目を見て言葉を失う。まるで化け物でも見るかのような視線を向けていた。すぐに我に返りその表情を普段のものに戻したが、一度脳裏に焼き付いた表情は消えてくれない。

 事情はわかっている。わかってはいるが、それでも母親にあんな顔をされるとは思ってもいなかった。


「なるほどな。春日井、お前……それを知っていてなぜ花子へ臓器提供した?」


 礼二の問いでシゲは意識を切り替えることができた。春日井の行動は言われてみれば確かにおかしい。春日井は罪悪感を覚えていたはずだ。なのにどうしてシゲの心臓を引き抜いて臓器提供したのか。


「……僕は医者ですからね。花子ちゃんの命を優先した……というのは言い訳になりますか。ええ、白状しますとも。僕ぁね、小堂くんから礼二先輩の要素を全部引き抜いてしまいたかったんですよ。そうすれば本当に僕と静代さんの子どもになる」

「この……! さっきの反省は嘘なの春日井くん!?」

「嘘じゃあないですよ。ただ……どうにも魔が差す。僕ぁいつもそうなんだ。できるはずがないと諦めたことが、手の届くところに来てしまう。奇跡の手なんて呼ばれますがね、こんなものは呪いですよ」


 春日井の手はふるふると震えていた。


 なんと勝手な物言いだろう。静代は恨み言を延々と吐き出していた。礼二は当てが外れたと頭を抱えている。

 春日井は全ての元凶だ。シゲに心臓が二つあったのも、静代と礼二の確執が深まったのも全部そうだ。もし踏み留まっていれば、どれだけの悲劇を未然に防げたか。

 だというのにシゲはなぜだか春日井を可哀そうだと思っていた。


 春日井が静代に好意を寄せていたのは仕方のないことだ。礼二が煮え切らなかったことが着火剤となって暴発した結果と言える。そもそも春日井が間違いを犯さなければシゲは生まれもしなかった。心臓が二つあることでシゲは苦労したが、結果的にはシゲを助けることができたのだ。

 結果良ければすべて良しとはならないが、春日井は間違いなく人を救う医者だった。


 長らく口を閉ざしていた礼二がはぁと口を開ける。


「……そうか、俺はこの小僧を殺す理由はないのだな」

「そういうことです礼二先輩。わかっていただけましたか」


 春日井の説得に礼二は渋々納得したようだった。憎らしいとシゲを睨みつけるとふんとそっぽを向く。恨みは残っているようなのに殺さないところを見ると、礼二は行動に目的がなければならない人間なのだと見て取れる。一先ずはこの場で殺されることはないはずだ。

 シゲが自分の命を助かったことにほっと一息ついたのも束の間、続く言葉に耳を疑った。


「では、花子に渡った心臓なら私に合うかね」

「なっ……!? あ、あんた何を言ってる、気でも触れたか!?」

「そ、そうです礼二先輩。口は悪いですがね、小堂くんの言う通りだ。ご自分の娘さんですよ?」

「礼二さん? う、嘘よね?」


 シゲは声を荒げる。春日井も静代も戸惑いを隠せなかった。


「何を驚くことがある。死ぬはずだった娘だ」

「ふざけんな! それが親の言うことかよ、死ぬはずだった? そんなものが殺していい理由になってたまるか! そんなことがあってたまるか! シオンを殺させたりなんて絶対にさせない!」

「しおん? なんだ、あだ名かそれは? 全く、親子揃って……させないというなら止めてみることだ。その拘束のまま何ができるかね」

「殺すなら俺を殺せ! 春日井先生は適合しないと言ったけどさ、実際俺の中でシオンの心臓は動いてたんだ。逆ができる可能性だってある!」


 シゲの言葉に春日井が一瞬顔を引きつらせる。やはりそうだ。

 春日井は何も言わないが、沈黙こそが答えだった。はったりだったのだ。適合する可能性は高いのだろう。あの状況下でそれだけのはったりをかませるのだから、春日井という男は底が知れない。

 さぁどうだとシゲは礼二を睨みつける。有効な語り掛けだったはずだ。手ごたえはある。だというのに礼二は意にも解さなかった。


「……さてな。仮にそうだとしても確実に適合するのは花子の心臓だ」

「クソが! なんでだよ! やめてくれ! なぁ、礼二さん。あんたはシオンを死ぬはずだった娘だって言ったよな? だったら今のアンタこそ死ぬはずの命だ。生きている命から奪うなんて馬鹿げてるだろ!?」

「それで諦めるならここまでしていない。小僧、お前の説得は軽すぎる」


 礼二は車椅子を回し、部屋から出て行こうとする。行かせてはならない。行ってしまったらシオンが死ぬ。そんなことがあってはならない。


「やめろ! やめてくれ!」


 シゲの叫び声とともにベキョと音が鳴る。鈍く、生々しく、異質な音だった。何の音かとその場にいる皆がその音の元を探す。そして目を疑った。


「春日井……お前、何をしている?」


 礼二が動揺して声を震わせる。春日井が自分の指をへし折っていた。

 シゲも静代も呆気にとられる。まさかの行動だった。腕は医者にとって絶対の商売道具だ。ましてや聞き手であろう右の指先、これを自らへし折る医者がどこにいるだろう。あれだけ恨んでいた春日井に静代は心配して声をかけた。


「春日井くん、あなた指が……!」

「はは、何をですって? 礼二先輩、見ての通りですとも。これで僕ぁ、あなたの手術ができない」

「血迷ったか!!」


 激昂する礼二に春日井は笑う。変色した指先が痛々しいが、付き物の取れたような顔をしていた。


「簡単なことだった。いつだって、この手が間違いを犯すんだ。だから初めからこうすればよかったんだよ」

「春日井、先生……」


 シゲがその背に名を呼んでも春日井は振り返らない。代わりにただ一言呟いた。


「……これで僕は、胸を張って君を息子と呼べるのかな。シゲくん」


 その医師は狂っていた。幾度も過ちを犯し性懲りもなく繰り返した。だがそれでも息子のために全てを投げうったその背は確かに父親だった。

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