第46話 そして己の全てを知る

 代々医師の家系に生まれた春日井はただ言われるまま医師を目指していた。他にやりたいこともなく、ただ恵まれた環境と優れた才能があった。

 ある意味では将来を約束された最高の人生を歩んでいたと言える。真逆に言えば流されるまま生きてきた。春日井は別にそれでもよかった。親の言われるまま、歯車は歯車としてただ回ることだけしていればいい。

 だがその歯車に狂いが生じた。


 小堂静代との出会いである。一目惚れだった。本能的な突き動かすような衝動。春日井はそれは猛烈にアプローチしたが、すぐにそれが無駄なことだと理解する。

 御園礼二の存在だ。二人とも年が春日井の一つ上で、静代と礼二は親密な関係にあった。春日井に割り込む隙などないことは明確で……。


 忘れよう。何度そう思ったか。だが春日井は恋慕の情を捨てられずにいた。親が御園家の主治医だったので、礼二とは嫌でも顔を見合せないといけない。講義では学年が違うというに選択が被って静代と出会ってしまう。

 そんな日々が延々と続く。地獄だった。

 何より春日井を苦しめたことは二人がいつまで経ってもくっつかなかったことだ。聞けば礼二には婚約者がいるという。そのうち礼二は女好きだという噂まで聞くようになった。

 静代がいるのに女遊びをしている礼二を心底軽蔑する。それと同時にいてもいられなくなった。


「静代さん、礼二先輩のことは忘れて僕と一緒になってください」


 堪えきれなくなって春日井は静代に告白した。チャンスだと思ったことを否定はしない。それ以上に静代が可哀そうだったからだ。


「それはできないわ」

「どうしてですか。礼二先輩は彼女がいるのに女遊びして、それに婚約者だっているんですよ。何も引きずるようなことはないでしょうに」

「私、レイさんを信じてるから。いつかきっとわかってくれる」

「そんな日が来なかったらどうするんです」

「来させるのよ」


 静代は春日井の考えるよりずっと強い女性だった。その強さがあまりに危うげで、春日井は放っておけなかった。


「……困ったら、必ず僕のことを頼ってください。僕は絶対、あなたを裏切ったりはしないですから」




 それから数か月後である。静代がやけに大きなケースを持って春日井の元にやってきたのは。


「静代さん? これは一体?」

「……レイさんの精子」

「は?」

「あの人の子どもを生みたいの」


 目を見ればわかる。静代は本気だった。

 春日井が言葉を失っている間に、静代は聞きたくもないことを話し続けた。


「レイさんは誘われたら誰でも相手するって聞いたからね、遊び好きな子にお願いして採取してもらったのよ。ちゃんとお金払ってね。大変だったのよ凍結させるの。念のため一部採取してあの人のものだってことは確認済みよ」

「ま、待ってください静代さん。こ、このことを。礼二先輩はアナタが体外受精しようとしていることを知っているんですか?」

「知らないわ。知っていたら絶対反対するでしょうね」

「ならどうしてそんなこと!」

「子どもは繋がりなの。家族ができればきっとあの人にだってわかるはずよ」

「静代さん。あなたが天涯孤独の身なのは知っている。家族を求めているのも。だけど、これは……手段と目的が逆になってるんじゃないですか!?」


 止めなくてはならない。春日井は使命感に駆られていた。この人を決して謝った道へと進ませてはいけないと。

 静代からの言葉はそんな覚悟を揺さぶるものだった。


「春日井くん、あなたが私に言った裏切らないって言葉は嘘だったの?」

「う、嘘じゃないですよ。でも」

「あなたが受けてくれなくても他に当てはあるの。でもあなたならうまくやってくれるからお願いしているのよ。この世に受ける生を、医者のあなたが見捨てるというのかしら」

「それは……いや、でも――」

「そう。わかったわ。他の人にお願いする……もしかしたら赤の他人の子どもを産まされてしまうかもしれないわね」


 春日井はさっと血の気が引いた。気づいたときには「やります」と言ってしまっていた。


「……僕が、やります」

「そう。あなたならきっと、そう言ってくれると思ったわ」


 かくして春日井は体外受精に取り組んだ。そして、魔が差した。


 静代に、自分の子どもも生んでもらおうと。


 静代との約束を違えるつもりはない。人工的に二卵性双生児を、春日井と礼二の子どもを作ろうとした。そんな前例は聞いたことがない。できるわけがない。だから試してみるだけのつもりだった。それで諦めようと。

 それが、できてしまった。できてしまったのだ。


 何の因果か他は失敗が続き、残ったのはその一つだけ。後に引けなくなり春日井はその受精卵を使わざるを得なかった。


 施術を施して静代は妊娠した。双子は順調に成長し、定期的に春日井は腹の子の様子を確認する。経過は順調だったと思えた。

 悲劇は気づかぬ合間に起きていた。


 バニシングツインというものをご存知だろうか。

 双子の片方が腹の中で消えてしまう現象である。実際に消えるわけではない。流産として自然に排出されたり、子宮に吸収されたりして消えたように見えるだけだ。では静代の腹の中で消えた胎児はどうなったのか。


 のだ。もう一つの心臓という置き土産を残して。



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