第42話 君と束の間の休息を
人気の観光地というだけあり、江の島にはそこそこの数の観光客が訪れていた。夏休み前の平日だというのにみんな暇なのかとシゲは呆れていた。島の入り口と言える江の島神社への道は特に人通りが多く、シゲとシオンはそこから逸れて商店が減り民家の混じり出した境を歩いている。
シゲは露店で服を買い、ワンピースとタイツというゴテゴテの女装からぶかぶかのパーカーと裾広がりのズボンという格好へと着替えていた。女の子らしい長めのカツラは着用したままだ。人間一度大変な苦労をするとそれ以外は軽く見えるところがある。女装に対して抵抗感のあったシゲも普通の女装ならいいやと思っていた。それがシオンの狙いだったのだがシゲは気づきもしない。
それよりもシゲは自分とシオンの囮役のほうに関心が向いていた。シオンから経緯を聞き終えるとシゲは嘆息する。
「そうか、囮役はオミと高良山さんが……なんというか、すごい人選だね。シオン」
「ええ私もそう思います。オミさんなんて完全にイレギュラーでしたので」
シオンはぷいとそっぽ向く。シゲは頭をかいた。
「悪かったよシオン。オミのことは隠してたわけじゃないんだ。わざわざ話すことでもなかったし、紹介するタイミングもなかったからさ」
「ふーん、そうですか。別に構いませんよ。私だってシゲの見てないところで男の子と仲良くなりますから」
「ごめんって……でも、それを言うならシオンだって高良山さんが婚約者だったこと教えてくれなかっただろ?」
「それこそ話す必要ないでしょう。元なんですから」
互いにヒートアップし過ぎない程度に愚痴を交わす。シゲは最初こそ良くないと思っていた痴話喧嘩も今ではいいものだと思っている。言いたいことを言い合えないというのは関係として歪だ。心臓が二つあったことをひた隠しにしてきたシゲにとっては隠しごとがいかに関係に亀裂を生むものかをよく理解している。
だから今ではシオンに対して不満も伝えるようになった。ある意味では以前より真摯ではなくなったわけだが、シオンは今のシゲの方が距離が近くなった気がすると好意的に受け止めている。
二人の距離はこの瞬間にも縮まっていた。
「シゲ! せっかくなので神社まで行きましょう」
服の袖を引くシオンに、シゲは坂の上を見上げる。ぞろぞろと歩く人波の向かう先に神社があるのだろう。思いのほか勾配のある道のりに眉を悩ませた。
「行ってもいいけど、ちょっと歩きそうだね」
「じゃあアレに乗りましょう! 江の島エスカー!」
「えすかー……確か観光案内にそんな名前があったような気がする。船か何か?」
「もう、違いますよシゲ。エスカレーターのことです」
シゲはぱちぱちとまばたきする。エスカレーターならエスカレーターと言って欲しい。気取ってエスカレーターをエスカーと呼んでいたというわけか。なんだか肩透かしを食らった気分だった。
見るからにがっかりしているシゲにシオンが笑いかける。
「シゲ、これはただのエスカレーターじゃないんですよ? 国内最初の屋外エスカレーターなんですから」
「屋外!? それはすごいな……雨のときとか大丈夫なのか心配になる」
「えー……気にするところ、そこですか? ふふ。シゲは相変わらず心配性ですね」
シゲはそうは口で答えたものの、屋根はあってもほぼ野ざらしのようなエスカレーターは今や珍しくもないことに思い至った。それに雨の日には傘を滴る水がエスカレーターの溝に溜まるというのも珍しいものではない。
まぁ、国内初だしなとシゲは深く考えるのは止めた。
二人は乗り場に向かった。まさか有料だと思わず、シゲは一瞬苦い顔をするがシオンはささっと支払い入場する。
見た目は普通のエスカレーターだ。まぁ、エスカレーターなのだから当たり前なのが普通であるし、普通に屋根があった。
「……なんか、普通だな」
「コラ。駄目ですよ、そういうこと言ったら」
「あとなんか登りしか、ないな?」
「そ、それはちょっと私も知らなかったので」
エスカーで運ばれる最中、シゲは道中で見つけていた江の島の地図や観光を案内に目を通す。すると江の島エスカーについても確かに書いてある。よくよく目を通すと江の島エスカーは島を巡るということに重きが置かれており、なんとコレで島の頂上まで行けてしまう。そう考えるとこれほど楽なものもない。
「今更だけどエスカレーターで神社に向かうって割と罰当たりだよね」
「シゲはまたそういうことを……でも確かにちょっと良くないかもって思っちゃったじゃないですか。もう」
むくれたシオンにシゲは苦笑する。シゲは基本的にネガティブなのだ。あまりそれを伝播するのはよくないことだというのに。
エスカーはすぐに神社へと到着した。立派な神社で素人目にも装飾が凝っていることがわかる。パンフレットを持ってきたシオンが少しだけ不満げだった。
「どうしたの?」
「いえ、シゲ。その、ここ
「また来たらいいよ、シオン。今は二人で写真でも撮ろうよ。いや、まぁ。これ柳田さんの携帯だけどさ」
「ふふ。そうですね。今はそれで満足しましょう……生きてればまた来られますもんね」
二人して試行錯誤して写真を撮る。うちカメラがなくて折り畳み式のガラケーで取るのはなかなか難しかった。結局撮れたのはブレブレの写真だったがそれもまたいい。
生きていれば。シオンのその言葉に、シゲはやはり生きていたいんだということを再確認していた。
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