第39話 天女と五頭竜

 江の島は言わずと知れた観光地である。歴史は古く、辿れば千四百年以上前に大地震によって突如として現れた島なのだという。いきなり島が沸いて出るとは思えないのできっと火山噴火や地殻変動で隆起した大地に違いない。そしてかの地には天女と五つの首を持つ竜、五頭竜の伝説がある。


 その昔、鎌倉の深沢には周囲四十里に及ぶ湖があり五頭竜が住んでいた。五頭竜はいわゆる天災の化身であり、それは大暴れしていたらしい。五頭竜によって子どもを失った親が去っていく深沢から西へと向かう付近を、人々は子どもの死を乗り越えるという意で子死越こしごえと名付けたほどだという。一説にはそれが今の腰越になったとされている。厄災に苦しめられた人々はときに生贄を捧げ、その厄災を耐え忍んできた。そんな折、出現した江の島へ天女が舞い降りる。天女のあまりの美しさに結婚を申し出た五頭竜は天女にこれまでの所業を見咎められ、断られてしまう。五頭竜は暴れることを止めて人々に尽くすようになり天女と結ばれたそうだ。


 伝承というものは騙り手や場所によって内容に誤差があるものだが、ざっくりいうとこういうお話である。さらに不敬に大幅に省略して言えば、五頭竜もとい悪ガキが女に惚れ込んでしおらしくなったというだけの話だ。

 面白みの欠片もない。昔話にエンタテイメント的な面を求めるのは筋違いであるしその辺りはどうでもいいのだ。

 スマホでそんなことを調べていたシゲの目に留まったのは、この腰越の名の由来の説である。どうにも他人ごとのようには思えない。自然災害で親たちが去っていったかのような書かれ方をしているが、はたしてそれが去る理由となるだろうか。シゲには生贄に捧げられた子どもの親たちが村を見限ったのをただ都合よく解釈しているだけのように思える。

 遥か昔のこととはいえシゲはそんな地に赴くわけだ。気にしなくていいことを気にしてしまう。逃亡中ということを自覚し始めたシゲは神経質になっていた。そんな何千年もむかしのことを言ってしまえば人の住む大地などどこもかしこも屍の上だというのに。


「さぁ、お二方。着きましたぞ」


 柳田に声を掛けられ、スマホを覗き込んでいたシゲははっと顔を上げる。車はいつの間にか目的地に到着していたようだ。肩に寄りかかって寝ているシオンに声を掛けようとするが、声を掛けるまでもなく起き上がった。


「はぁ、思ったより早く着いてしまいました。もうちょっと堪能したかったのに残念です。さ、行きましょうシゲ」

「う、うん……? 行こうか」


 本当に寝ていたか疑わしい発言にシゲは苦笑する。道中ですでに怪しい部分があるにはあったのだがわざとバラそうとしているあたりシオンはなかなかに茶目っ気が強い。


「その前にシゲ殿、スマホをお預かりします。この端末から居場所が割れるともしれませんからな。代わりにこちらの携帯を使いなされ。わたくしめの個人用ではありますが、何。誰からもかかってはきませんからな。ご安心してお使いを」


 柳田の提案にシゲは一瞬ためらうが、仕方ないとスマホを渡した。代わりに渡されたのは折り畳み式でボタン式、いわゆるガラケーである。逆にオシャレかもしれない。とはいえ不便なものは不便だ。

 微妙な顔をしているシゲへとシオンは笑いかけた。


「そんなにがっかりしないでくださいシゲ。私も交換済みで同じくガラケーですから。スマホはこれまで管理されていたから電話もできませんでしたが、これならシゲと通話もメールもできますよ?」

「それは嬉しいけど……わざわざ電話しなくても一緒だろ」

「そうですね、ふふ。一緒です」


 一緒。シゲは自分で言っておいて照れてしまう。なんだか気恥ずかしくて話を逸らした。


「そ、そういえば母さんの方は大丈夫かな。いきなり息子が芝頭の他人になってて驚くだろうに」

「その点に関してはわたくしめが手回ししておきました。礼二さまを説得していただく手筈ですが、お会いになられるか微妙なところですなぁ」


 柳田は神妙な面持ちで髭を撫でる。なるほど有能だ。もう結構なお年だが御園家の執事は伊達じゃないということだろうか。感心しているシゲをよそに「行きますぞ」と先を歩いた。

 前方にあるのは小さな古びた旅館である。小さくあまりにちっぽけなので民家と見間違うところだ。看板もないので一目でこれが宿だとわかるなら大した審美眼をお持ちだろう。とんでもなく目が悪いか、目の付け所がヘンタイかのどちらかだが。町の灯りが随分と遠い。駐車場も狭いもので一、二台ほどしか入らない。観光地で宿を取ろうにも、ここに宿をとる者はまずいないだろう。隠れるにはもってこいだと言える。

 宿の中は案外綺麗にしているもので、どうしてこの丁寧さを外に活かせないのかと首を傾げるところだ。


「もし。おかみさんいらっしゃるかな、予約したシダだ」

「ああいらっしゃい。待っていましたよ」


 返事をしてそそくさと奥から出てきたおかみは柳田とどっこいどっこいのお年の老婆だ。腰は曲がっておらずしゃんとしている。柳田は一つ咳をした。


「ンン……この二名ですが、頼めますかな?」

「ええ、ええ。勿論ですとも。柳田さんのお願いですからねぇ」

「いいえ、いいえ。今はシダでございます」

「はいはい。そういうことにしときましょうね。でも枝垂れ柳でシダというのは安直ではないかしらね。それに偽名は目だない方がいいのだから、佐藤や鈴木にでもしときなさいな」


 おかみに注意されて柳田は返す言葉もないと言った様子。珍しいものが見れたものだ。柳田は居心地が悪くなったのか「任せましたぞ」とさっさと出て行った。そうして二人きりになったシゲとシオンをおかみが部屋を案内する。


「さて、さて。こちらですよ」


 通された部屋は案外広い。宿の外観からすれば、また一人用にしてはという意味だが。それでも十二分にくつろげる空間だ。贅沢に下手に風呂までついている。中へと踏み込んで窓を眺めるが、真っ暗で何も見えない。残念だ。これはどちらの部屋だろうとシゲがおかみに尋ねようとしたところ、部屋の外で襖に手をかけ三つ指をついている。


「では、ごゆるりと」


 おかみはぴしゃりと襖を閉めて二人きりとなった。シゲとシオンは互いに顔を見合わせる。きょとんとしているのはシゲだけのようで、シオンは終始笑顔だった。


「ふふ。シゲ、どうしましょうか。どっちからお風呂に入ります?」


 シゲはがちりと固まる。しまった、嵌められたとシゲが気づいたときにはもう時すでに遅し。二人きりの夜が始まっていた。

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