第30話 君にもう一つの心臓を

 散らかった部屋を片付けもせずシゲはシオンを家の中へと招いた。あまりの手つかずにシオンは顔をしかめる。説教でも始まるかと思ったが、シオンは部屋の件については何も言わなかった。

 シゲに通されたリビングの椅子に対面で座ると、シオンはこほんと一つ咳をする。


「どうしてシゲが学校に来ないのかはわかってます。噂になってました。心臓が二つある、それがシゲの隠したいことだったんですね」

「……うん、そうだよ」


 面と向かって言われるとやはりショックが大きい。シゲはすぐに返答できなかった。


 まだ三日だろうに。アキラによって暴露された秘密は瞬く間に学校中に広まったらしい。少し調べれば心臓が二つある少年の記事はネット上に腐るほど転がっている。

 曰く、奇形児。忌み子。人食い。

 ありもしない作り話でシゲを誹謗中傷している。被害者が数多くいるのであれば徒党を組んで反抗するだろう。裁判だって起こす。だがシゲは一人だ。自ら自分が化け物ですと自己紹介するわけがない。


 せめてシオンにだけは知られたくなかったのに。


 机の下、握った拳の爪が手のひらに食い込んでいた。


「シゲ。私は遺伝性疾患で生まれつき心臓が弱かったんです。生まれてからずっと病院に通う日々でした」


 シオンは唐突に自分語りを始める。どういうつもりかとシゲが顔を上げると、その顔はどこか物憂げだった。普段とは違う顔。初めて会ったときの病床の彼女を思い起こさせる。シゲが惚れた彼女の姿だった。


「激しい運動はできません。それどころかベットの上で過ごした時間の方が長いくらいで……時間を潰すにも友達がいないので時間の潰し方もわかりません。暇をしているならと家庭教師に勉強漬けにされる日々です。大変だと思っても、それが苦だとすら私にはわかりません。みんなそうだって思ってました」


 シゲとしては絶対にそんな日常はお断りだ。興味があることならともかく興味のないことで脳を圧迫されるのは嫌だった。人の感じる不幸の度合いは違うものだが、多くの学生にとっては地獄と言える。


「そして半年前、ついに私は倒れたんです」

「それって確か……」

「ええ。高良山家から婚約破棄された時期ですね」


 シゲが口ごもったことをシオンはさらりと答えた。一大事だと思うのだが、親に決められた結婚、そんなに気負うものではないのかとシゲは疑問である。

 だが次にシオンの口から出た言葉にシゲは唖然とした。


「私、そのとき死のうと思ったんですよ」


 死ぬ? 自殺を考えたのか? シオンが?


 とてもそういうタイプには見えないのにとシゲは困惑する。シゲのように悲観的な性格でもなく、聡明で自己分析に長けているシオンにそんな揺らぎがあるなんて信じられなかった。


「お母さんは私を宝物のように扱いますが、そんなお母さんに私は何も返せていません。いっつも病気で迷惑かけてばかりで。唯一と言っていいのが高良山との婚約者ということでした。それも失って、申し訳なくて、でも死ぬのもお母さんを悲しませてしまうからって死ねなくて」


 シオンの言葉にシゲは揺れる。同じだった。死にたいと思えど、生へと繋ぎ止めてくれたのはいつだって母親で。時にその繋がりさえ自らを縛り付ける鎖のようで。


「お見舞いにくるのは父の関係で体裁で来た人ばかり。一言二言で帰っていくんです。それが煩わしくて煩わしくて、しばらく荒れてました。お見舞いのメロン投げつけたりして」


 ふふと失笑しながらシオンは語る。他人事のように。それはどこか高良山のように思えてしまう。そういう階級の人特有の闇なのだろうか。


「シゲ。手を出してください」

「え? あ、うん……」


 シオンに言われるままに手を出すと、シオンは指先でシゲの手のひらを撫でる。こそばゆい。「同じように」と言われシゲがシオンの手のひらを恐る恐る触ると中ほどに固いまめのようなものがいくつかある。シゲはそれをよく知っていた。


「これ……手を握ったとき爪が当たってできたまめ?」

「そうです。やっぱり、シゲにもありますね。これを知られたくなくて手を握るのためらってたんです。でも話しちゃったから、こうして手を繋げますね」


 そう言って指と指を絡ませて恋人繋ぎをする。冷たいひんやりとした手。だけどシゲはシオンの熱で心を取り戻していくようで。


「ねぇ、シゲ。秘密を知ったらその先へ行けるんです。知ってますか? ただ話をするためだけに病床のベットに来るのはシゲだけだったんですよ?」

「そうなん……だ!?」


 繋いでいた手を解いてシオンはシゲの手を取って引っ張った。机を挟んでの距離。二人ともかなり前のめりの体制になっている。シオンはシゲの手を自分の胸へと押し当てる。

 柔らかい。邪念が漏れるシゲだが、それ以上に伝わってきたのはシオンの胸の高鳴りだった。


「ほ、ほら。今もこんなにドキドキしてます」

「シ、シオン!? 何を!?」

「シゲのも触れさせてくれませんか?」


 よほど恥ずかしいのかシオンの顔が赤い。シゲはもっと赤かった。

 茹だる頭で駄目だと否定しようとする自分がいる。だがこれを否定することはシオンの覚悟を無駄にすることだ。シゲはこれだけは言わないで置こうとしていた最後の壁を取り払う覚悟を決める。

 シオンの手を取り、自分の胸に当てた。伝わる鼓動にシオンが「え」と声を漏らす。気づいたようだ。


「シゲ? あの、これは……?」

「……シオン。もう一つ、秘密がある。君の心臓は俺の二つあった心臓の一つだ。君にもう一つの心臓を提供したのは、俺だ」


 外で電車の走る音が鳴っている。カーテンの閉め切った部屋に男女が互いの胸に手を這わせて二人。今、全てが繋がっている気がした。

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