第31話 ラブコールをもう一度

「……私にドナー提供されたのがシゲの心臓?」


 シゲの自宅にて机越しにシゲとシオンは向かい合っていた。


 よほど信じられなかったのかシオンは、シゲの言葉を繰り返す。シゲは無言で頷いた。そして席を立ち寝間着の上を脱ぐ。

 顔を赤らめて逸らしたシオンだが、その手術痕に目を見開いた。


「本当……なんですね。いえ! 疑っていたわけじゃないんですよ!」

「大丈夫だよシオン。わかってるから」


 通常ならばこんな話は信じられるものではない。移植したのが心臓だ。腎臓などの移植とは訳が違う。


「まぁ、でもそうだって聞いたわけじゃないんだ。ドナー相手は明かされないからね。俺の憶測だよ。でも同じ病院で同じ時期に手術して、俺は二つあった心臓の片方を取ったんだ。春日井先生が提供先が女の子だってうっかり漏らしたのもあるけど、俺はシオンに提供されたのが俺の心臓だって確信してる」


 どうせ隠していてもいつか気づかれてしまうのだ。だからシゲは話す。目を見ながら話すことできなかった。

 しばらく口元に手を当てて考え込んでいたシオンだったが、心の整理がついたのか口を開く。


「じゃあシゲは、私の命の恩人ですね」

「まぁ、うん。そうかもしれないけどさ、そういうことが言いたいんじゃなくて」


 シゲは思っていたのと少し違う反応に戸惑う。わかるはずだ、シオンになら。臓器の適合がどういう意味を持つのか。


「わかってます。もしかしたらシゲのお父さんは私の父親かもしれないってことですよね」

「……うん。そういうこと」

「もう。何を気にしてるのかと思ったら」


 シオンはまるで気にしていないようだった。シゲは動揺を隠せない。かなり衝撃的な事実だと思うのだが。

 答えにくいことだろうに、思わずシゲは質問しまった。


「な、なぁ? シオン。驚かないのか?」

「別に驚きません。父のことですから、よそに子どもがいたところで今更ですね」

「だからそうじゃなくて! 俺と血が繋がってるんだって! 姉弟かもしれない」

「そうですね……お兄ちゃんって呼びましょうか?」

「いやそうじゃなくてさぁ!?」


 何だこれは。おかしいのは自分なのかとシゲは更に混乱する。

 シオンはふふと笑うと優しくシゲの手を握った。


「好きですよ。シゲ。私もシゲが好きなんです」

「……ま、待ってくれ。俺たちはさよならって言ったのはシオンだろ?」

「はい。でも、思いを伝えるのは自由でしょう?」

「……でも姉弟かもしれない」

「そんなこと後から知ったことでしょう? それともシゲは私のこと嫌いになりましたか?」

「そんな訳ないだろ!」

「ふふ、そう言ってくれると思ってました」


 シオンはいたずらに笑う。シゲもつられて笑ってしまう。シゲの悩みのほとんどをあっさりと解決してしまった。


 そうだ。そうだった。容姿だけじゃない。彼女のこういうところに惹かれて好きになったんだ。


「……でも、高良山との婚約を受けるって」

「はい。ひどいですよね。さよならした人に想いを伝えちゃうような女の子なんです。だからシゲも、私にひどいことしてもいいんですよ」

「い、いいって何を?」

「何でもです」


 シゲは思わず唾を呑み込む。改めて状況を振り返ってみる。シゲの家に二人きり。母親はしばらく帰って来ない。カーテンは閉め切っていてシゲは手術痕を見せるために上着を脱いだままだった。そんな状況下でシオンは何をしてもいいと言う。


 自分で言っている意味がわかっているのだろうか。シゲとて男だ。男は狼だ。シゲの理性を信じているのか。それもあるだろう。

 だけど違う理由があるとも言える。自分の言っている意味がわかっている場合だ。

 シオンは高良山との婚約を受けるつもりでいる。だけどそれとは別にシゲへの気持ちを抱えている。シゲを裏切る罪悪感を抱えている。


 シオンにとってこの誘いは自分への罰であり、そうなりたいという願望であり、自暴自棄なのだ。


 ついシゲはシオンの胸元に視線が向かう。先ほど触れた感触が手に残っていた。妙に喉が渇いている。シゲは内から湧き上がる感情を理性で押さえつけた。


「し、しない」

「……本当にいいんですか? このままだと何もしないまま他の人のものになっちゃいますよ?」

「煽らないでくれ! 決意が揺らぐから」

「私との赤ちゃん欲しくないんですか?」

「……子どもは作りたくない」

「え?」


 脱いだ寝巻を気直しているシゲに、シオンがぎょっとする。それについては話したことはなかったかとシゲはぼりぼりと頭をかいた。


「あー……その。違うよ、シオン。子どもは好きなんだ。可愛いと思う。けどもし心臓が二つあるのが遺伝したらさ、俺みたいに虐められるかもしれないだろ?」

「あ、ああ。そういう……」


 シオンはなんだかがっかりした様子だった。つまりシオンは……と考えると抑えたはずの欲が湧き上がってくる。シゲはぱんと頬を叩いて邪念を追い出した。


「とにかく! そういうことはしない!」

「えー……じゃあ、ちゃんと学校来てくれますか?」

「それはどういうじゃあかな!?」

「来てくれないなら毎日来ます。なんならここで脱ぎましょうか」

「待った! 行くから! ちゃんと行くから!」


 プチプチとボタンを外しシャツを脱ぎ出そうとしているシオンの手をシゲは慌てて止める。せっかく踏みとどまったのにこのままでは本末転倒だ。


 ふぅとシゲは息を吐く。気づけば、あれだけ塞ぎ込んでいたのにいつの間にかいつもの自分に戻っている。シオンはシゲの世界に遅れていた意識を引っ張り上げた。こんなにもあっさりと。

 戻ってきたシゲにはどうしてもシオンに伝えないといけないことがあった。シオンが血のつながりを気にしないのなら、猶更に。


「……シオン。やっぱり俺もひどい男になってもいいかな?」

「ええ、やっぱりそうですよね。こんなひどい女……一発殴りますか? あんまり痛くしないでくれると――」

「俺と結婚してくれ」


 シオンは唖然とし、口をぱくぱくとするが言葉が出ていない。きっと疑問に思っているだろう。誘いを断ったのに、なんでと。


 だからちゃんと説明しよう。自分に正直に、君への想いを。


 今度はシゲからシオンの手を取った。


「シオンのお母さんへの想いはわかる……だけどさっきみたいに誘惑するほど逃げ出したかったんだろ? そんなことしなくていい。もう我慢しなくていい。俺、頑張るよ。選んでよかったって思ってもらえるくらい。頑張ってお母さんにも認めてもらう。だから、高良山じゃなくて俺を選んでくれ」


 シゲはシオンの目を見つめる。決して逸らさない。精一杯の告白だった。思いの丈は全て伝えた。シオンは口元を抑えてぼろぼろと涙を零す。その嗚咽交じりの声は子どものようだった。


「……う、シゲぇ……そんな、そんなの。断る理由が、ないじゃないですかぁ!」


 シオンはシゲの胸に飛び込んできた。勢いがついていたのでシゲは大きく仰け反る。シオンの涙がシゲの服に滲むが、シオンはすぐに顔を引き離した。


「ひっく……シゲ、臭いですね……?」

「ご、ごめん……あ。俺、何日か風呂入ってないかも」

「不潔です! 最悪です! もう! もう!」

「ごめんて!」


 シゲの背をバシバシとシオンが叩く。本気に嫌だったのか思いっきり力を込めていた。痛い痛いとシゲは嘆くが、その痛みさえ愛おしい。シオンが隣にいると感じられることが嬉しかった。


不安はある。以前、前途多難だ。だが今のシゲは何にも負ける気がしなかった。

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