第28話 失意には底があると思っていた

 火曜。シゲは初めて学校をサボタージュした。

 火曜日と言えば平日真っただ中である。全くもって休日と間違える要素はない。そんな当たり前のことすらどうでもよかった。ただ今は、何も考えたくない。身の回りにある日常を遠ざけたくて、シゲは電車に揺れている。


 シオンと自分は腹違いの姉弟かもしれない。


 普通ならありえないと一笑に付すところだ。だがシゲには心当たりがあまりにも多すぎた。ドナー提供には血縁者を辿るのが最も適合性が高い手段だ。シオンに自分の心臓が渡った可能性が浮上した時点で疑うべき筋だったのに。シゲは己の視野の狭さを恨んだ。


「はぁ……」


 朝から何回目かもわからないため息をつく。そして重い腰を上げた。

 いくら遠くへ行きたいからと言ってずっと電車に揺られているわけにもいかない。電車は折り返すものだ。元の場所まで戻ってしまうから。


 シゲが人波に紛れて電車を降りるとそこは歓楽街だった。一人になりたい気分にはそぐわない場所である。人の流れに身を任せすぎたようだ。シゲがどうにか人混みを抜け出すと、「あれ?」と背後から声を掛けられた。


「シゲっちゃんじゃーん」


 その呼び方をする人間は一人しかいない。シゲは体に残った血が全てストンと抜けてしまったかのような錯覚に陥る。呼吸は荒くなっていた。


「あ、アキラ……か?」


 恐る恐る振り返れば、そこにいたのはかつて親友だった男、シゲの秘密を暴露した裏切り者。松北明まつきた あきらがいた。

 目立つ赤髪にニヤけた面を貼りつけ、口の端から八重歯が覗いている。


 どうしてアキラがここにいる。シゲは思考が追いつかなかった。


「やだな、アキちゃんて呼べよー。それよりどした? お前も試合か?」

「試合……?」


 よく見ればアキラは野球のユニフォームを着ている。学校があるのに平然と町にいるのはそういうことか。むしろアキラからすればシゲのほうが不自然に違いない。うまい言い訳が思いつかず、シゲは口ごもる。その様子にアキラはそのニヤニヤした面を更に歪ませた。


「んー? その反応は、さてはサボりか? あのシゲっちゃんがなー」

「……その呼び方止めろ。お前、俺に何したのか覚えてないのかよ」

「俺なんかしたっけか?」


 本当に身に覚えがないと言う様子でアキラはあっけらかんとしている。シゲはかっと頭に血がのぼってしまう。感情は抑えられず言葉となって溢れた。


「忘れたとは言わせないぞ、アキラ。約束を破ったのはお前だ」

「あー、アレ! 心臓の。いやぁ、アレはしょうがないってやつだろー。あんな面白いの知っちゃったらさ、みんなにも教えてやろうって思うじゃん」

「ふざけッ」

「てかシゲっちゃんアレじゃん。その制服、前に試合したとこじゃん」


 シゲははっとする。学校へ行く支度をしたまま、授業をボイコットしたのだ。やってしまった。部活動にシゲが属さない一つの理由がコレだ。部活動はものによっては他校との交流が盛んである。今、恐れていた事態が起きてしまった。

 顔を青くするシゲに対してアキラは笑う。ずっと笑っていた。


「なぁなぁ。そっちの高校の皆はさ、知ってんの? シゲっちゃんの心臓のこと?」

「……知るわけないだろ」

「なぁんで! もったいない!」

「ふざけるなよ。お前がばらしたせいで散々いじめられた、お前のせいでだ! それが何だ!? もったいない? 面白い? 人のことをなんだと!」

「あー? 別にいじめとかさ、一時的なもんだって。気にし過ぎなんだよ。それに俺は喋ったけどシゲっちゃんのこといじめたことなんて一度もないだろー? いきなり転校しちゃって悲しかったんだぜー?」


 シゲは想像もしていなかった返答に言葉を失ってしまった。

 元凶がどうしていじめを一時的だとか気にし過ぎだとか言えてしまえるのだろう。シゲはアキラが自分のしたことを忘れてのうのうと生きているのだと思っていた。だが違う。違ってしまった。


 アキラは全て覚えている。その上で罪悪感がないのだ。

 それだけでシゲは吐き気がする。何よりも質が悪いのは、アキラはまだシゲのことを友達だと思っているということだ。

 シゲはもう名前すら呼びたくなかった。


「……お前なんか友達じゃねぇよ」

「冷たいこと言うなよしげっちゃーん。なぁ? 何怒ってんだよ。何年も前のことでさ」


 だから、どうして。なぜ、それを自分で言えてしまうんだ。

 シゲはかつて無二の友だと思っていた男が陽炎のようだったように思える。初めからいなかったのだ。シゲが全幅の信頼を寄せたアキラという男は。シゲは信頼故に相手を見誤った。疑うことをしなかった。

 だからひどく私見的に、自分の中に絶対に裏切らない彼の像を作ってしまった。


 そんなものはありもしない残像だというのに。

 アキラはスマホをポチポチと操作するとその画面を見せてきた。


「なぁなぁ! やっぱりもったいないって! シゲっちゃん。俺が教えてといてやったからさ!」

「……は?」


 スマホの画面には見覚えのある同級生の芝頭のアイコンがあった。そこにシゲに二つ心臓があった事実が暴露されている。


「これで明日から人気者だな!」


 シゲは呆然とし、呆れ果て、壊れたように嗤った。アキラも笑っている。そこに悪意はない。ただただ善意というどす黒さがそこにあった。

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