第26話 恋愛エゴイズム

「ちぃーっすシゲせんぱ……死んでる!?」


 週明けの月曜。図書委員の仕事にやってきたオミが目撃したのは受付けで突っ伏しているシゲの姿だった。静かな図書室にオミの驚嘆が木霊し、シゲは鎌首もたげてオミの方に顔を向ける。だがその目は死んだ魚のようだった。


「なんだ、オミか」

「うわぁ生きてる……いやどしたっすかシゲ先輩。びっくりさせないでくださいよ。入院してた人が机に倒れてると嫌な想像とかしちゃうっすから 」


 オミは見るからに脱力し胸を撫で下していた。人が動いてうわと驚くのはどうかと思うが、悪いことをしてしまったかとシゲはぼりぼりと頭をかく。心配させてたようなのでシゲは謝罪する。


「悪い、気が抜けてた。よぉ、オミ」

「あ、はい。どもっす……マジでどうしたんすか。いつもは挨拶しても返さないシゲ先輩が私に挨拶返すとか」

「そんなことな……え? マジで? 俺、挨拶返してないの?」

「そっすね。初っすね」


 思い返してみれば、ちぃーっすと図書室に入ってきたオミにシゲは小言ばかり言っている。だがそのときによぉと一言返したことはない。


「あー……悪い、オミ。俺はてっきり返してるもんかと」

「あはは。いいっすよ。シゲ先輩っすし、悪気とかないのはわかってますし。まぁ別に気にしてもないっすけどね」

「いや、挨拶は大事だろ。友達はちゃんと挨拶をするもんだし……忘れてた俺が言えることじゃないな。すまん」

「シゲ先輩、無駄に生真面目っすよね」


 無駄か。オミの言葉にシゲは考えさせられる。シゲの真面目さは生来のものではない。ただ正しいことをしていれば文句を言われることはないから、余計な問題を起こさないための自衛に近いと言える。

 だからたとえ町で不良に絡まれている女の子がいたとして、シゲはそこに割って入るかと言われれば答えは否だ。シゲは正義ではない。もちろんそれがシオンや知り合いなら迷わず助けに入る。だが見ず知らずの誰かを助けるヒーローではないのだ。


 そのことを自覚しているシゲは、オミの言葉を否定した。


「……真面目じゃないよ、俺は」

「下手に頭が固いのは真面目ってことっすよ。褒めてないですし……あと私の質問にちゃんと答えて下さい。何があったんすか?」


 詰め寄るオミに、う、とシゲは視線を逸らす。どうにか話を逸らそうとしていたのだがそうは問屋が卸さないらしい。無駄にチャラいオミはその実、正確は誰よりも真摯だ。シゲは先週も相談に乗ってもらった恩もある。

 隠すわけにもいかないかとシゲはここ数日にあった悩み事を打ち明けた。オミは内容が理解できないのか説明したことを繰り返して確認する。


「……えっと、例の秘密の件でお友達と喧嘩。あと深窓の令嬢といい感じだったのにいきなり婚約者が出てきてさよならを言われた、で合ってます? シゲ先輩」

「まぁ、ざっくり言うとな」

「前半はともかく後半はどしたんすか。令嬢に婚約者て。妄想拗らせて仮想の彼女ができたってことすか」

「なんだとコラ」


 だが俯瞰的に捉えるとオミのように捉えられてもおかしくない。シゲは今、自分のいる状況が極めて特殊であることを再確認した。

 オミは顎に手を置き、うーんと頭を捻らせる。


「まぁ、お友達の件はどうしようもないっすね。時間が解決してくれるのを待つのが堅実っす」

「そうかなぁ……」

「シゲ先輩に構ってくれるだけでだいぶ変人ですし、そんな人がどうせ他に話す相手もあんまいないシゲ先輩を放っておくとも思えないっすから」

「失礼な奴だなほんと!」


 事実なだけにシゲは否定もできない。現状把握能力に関してはオミはシゲよりも遥かに高いことだけは確かでもある。頼る上での必要経費とでも思う他にないだろう。

 そのオミを以てしてシオンの件は頭を悩ませた。


「問題は後半っすね……お相手は噂の花子先輩のことっすよね」

「まぁ、うん。バレるよな、そりゃ」


 学内新聞をばら撒かれた影響でただでさえ美人で注目度の高かったシオンは校内の誰もが知る存在へとなっている。シゲは話したのは失敗だったかととも思うが、自分ではもうどうしようもなかった。

 オミは話以前にシゲがどうしてそんな高嶺の花とお近づきになっているのかに混乱している。やはり女子高生らしく恋バナが好きなのか、堪えれず質問した。


「……シゲ先輩、マジでどうやって射止めたんすか? 婚約者がどうとかよりそっちのほうが訳わかんないっす。逆玉の輿ですし」

「金とか興味ない。単純に、シ……ンン。花子さんのことが好きなだけだよ」

「おぇ」

「おい今おぇって言ったか!?」

「ああ、すいません。つい」


 稀に辛辣な態度を見せてくるオミだがこれまでで一番ひどい対応だった気がするとシゲは凹んだ。そんなに気持ち悪かっただろうか。そんなことは気にもせずオミは一つ咳をして続けた。


「こほん。まぁ、シゲ先輩に下心が無いのはわかったすけど問題はどうしたいかっすよ」

「どうしたいって……俺は花子さんに不幸になって欲しくない」

「違うっす。花子先輩がどうこうじゃなくて、シゲ先輩がどうしたいかっすよ。花子先輩は婚約者と結婚しても不幸とは限らないっすし、まぁ間違いなく経済的な面で言えば安泰っすね。シゲ先輩と結ばれたほうが不安は大きいと言ってもいいっす」

「金が全てじゃないだろ」

「当たり前じゃないっすか。だけどお金は大事っす。幸せにはお金がかかるすよ」


 シゲは言葉に詰まる。その通りだ。金がなければ生活はできないし、シオンは無意識に浪費癖があるように思える。とはいえそこは一先ず大丈夫だ。シゲには二つあったうちの一つを提供した際、対価として受け取った大金がある。

 だが馬鹿正直にそんなことは言えない。それにオミが言いたいのはそういうことじゃない気がする。シゲにもう一度、オミが問うた。


「シゲ先輩はどうしたいんすか」

「俺は……花子さんと、結ばれたい」

「それが全部っすよ。幸も不幸も先輩次第っす。きっと死ぬほど大変っすよー、婚約者とかお家の事情とか……それでもやります? やっぱやめとくっすか? 恋は盲目とか言うっすからねー、きっとすぐ忘れますよ?」

「やる」


 シゲは即答する。意図的にオミが煽っていることは分かっていた。だからそんな簡単な問題じゃないんだと逃げる真似はしない。オミはししと笑った。


「わかってんじゃないっすか。人間、結局エゴの押し付け合いっすから。誰も傷つかないなんて理想論っすよ」

「ん。決心はついたよ。ありがとな……なぁ、オミ。どうして俺を気にかけてくれるんだよ?」

「ひひ。秘密っす」


 そうか、秘密か。シゲは「わかった」と言って何も聞き返さなかった。秘密を明かさないことで成立する仲もある。「じゃ、また今度っすー」とオミは荷物を持って図書室を出ていった。全く気のいい後輩である。

 時計を見るとまだ下校時刻まで時間があった。


「……いや、あいつ仕事ほっぽって帰りやがった」


 シゲは呆れて笑う。積み重なった返却本を棚に戻す。その目はもう死んでいなかった。

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