第25話 マイマイ・マイマインド

 翌朝もシゲは早くに学校へ向かい、教室でシオンを待っていた。閑散とした教室を夏蝉の声が埋め尽くしている。煩わしいがおかげで余計なことを考えなくて済むからありがたい。

 そんな状況でもシゲは暇さえあればため息をついていた。


 きっとシオンは教室に来ない。さよならとまで言われた。なのにこうして教室に来てしまったのは体が動いたからに他ならない。もはや朝早く登校することはシゲの日課になっている。

 項垂れるシゲの耳に扉が開く音が聞こえる。どうせシオンではない。そのまま顔を上げないシゲに投げかけられる声は聞き慣れた声だった。


「……おはようございます、シゲ」


 シゲはばっと起き上がって前を見れば、シオンがバツが悪そうに立っている。見間違いか幻覚かと頬を叩いたりつねったりして見るがしっかりと痛い。

 思わず喜色満面になりかけたシゲだがその顔を微笑へと変えた。昨日自分が振った相手に露骨に喜ばれることこそシオンにとってのトゲになると考えたためだ。シオンも一瞬悲しそうな顔になるが、その顔を笑わせて隣に座った。


 そんな作り笑いは見たくなかった。シゲは思わず目を伏せてしまうが、それでも挨拶は返した。


「……おはよう、シオン」

「あ……ありがとうございます。挨拶を返してくれて。無視されても仕方ないと思ったので」

「しないよ、そんなこと」

「はい……そうですよね。シゲがそんなことするわけないのに。ごめんなさい」

「謝ることないよ。シオンは悪くない」


 誰が悪いかと言えば、シオンの父親だろう。勝手に結婚を決めて娘を道具としてしか見ていない。シゲに父親はいない。だがそれでもアレは父親と呼べるものじゃないことだけはわかる。


 本音を言えば、シゲはあの父親からシオンを奪ってしまいたい。貧しくてもいい。二人で生きることができたなら幸せだ。

 だけどそれはシオンに母親を見捨てさせる道となる。シゲは決心できない。カタツムリのように鈍間な心では進めど進めど彼女へと届きはしない。ほんの少し手を伸ばせば届く距離にいるのに。

 ぴくとシゲは手を動かした。


「……どうしたんだい? お二人さん、倦怠期かい?」

「きゃあ!?」

「うお!?」


 不意に背後から投げかけられた声にシオンもシゲも椅子から立ち上がり飛びのく。そこには新聞部部長こと柏木亜美が後ろの席に座っていた。相変わらず顔はいいのに存在が不気味な人である。シゲは十分距離があるのにじりじりと後退していた。


「か、柏木先輩。どうしてここに? ここ、二年の教室ですよ?」

「んー? なんだいシゲ君。別にアタシがどこにいたっていいんじゃないかい」

「柏木さん。いきなり背後に現れるのは止めてください。私もシゲもびっくりしちゃいますから」

「えー」


 不服そうにパタンパタンとメモ帳を開いたり閉じたりする柏木にシゲは露骨に嫌悪感を示す。子どもっぽい言動をしているが、シゲには悪魔が人に化けているようにしか思えない。否、子ども故の残虐な無邪気とでもいうべきだろうか。

 人の秘密を暴きたいという欲求が、虫をバラシて遊ぶ子どもの姿に重なる。ギラリと光る眼が次のおもちゃを見つけたようにシゲへと向く。

 肩をびくと震わせシゲはたじろいだ。


「な、なんですか先輩」

「なんですかじゃないよ、シゲくん。君昨日の放課後に何やらあったそうじゃないか。是非取材させて欲しくてね」

「お断りです。先輩に話すことなんて何もないですよ」


 柏木がシオンの記事をばらまいた一件をシゲは根に持っている。シオンは気にも留めていないと口では言っていたが、シオンが行く先で周囲がざわついたり、教室でも記事を読んだという人に囲まれアレコレと聞かれていた。そんなことが何日も続けばシオンが疲弊するのは当然のことで。シゲは隣で歯切りしながら見ていることしかできなかった。

 今だってまだ記事のことで騒ぐ連中がいるのだ。シゲには柏木に恨みすらある。


 断固として話す気のないシゲにシオンは耳打ちした。


「シゲ、曖昧な話題は尾ひれがつきやすいものです。柏木さんのことが苦手なのはわかりますがお互いに理がある話だと思いますよ?」

「シオ、ああいや。花子さん。とても話せる内容じゃないしさ」

「……シゲと私以外、あの場の出来事の何が本当かなんてわかりませんよ?」

「……ああ、そういう」


 ようやくシゲはシオンの言いたいことを理解する。今まで散々柏木に利用されてきた。今度はこちらが柏木を利用することで噂がこじれるのを阻止しようというわけである。

 そういうことなら大歓迎だとシゲは打って変わって柏木に「いいですよ」と快諾した。そしてシオンと共謀して柏木にあることないことを吹き込んだ。柏木はペンをくるくると回しながら「うー」「むー」と唸りながらシゲとシオンの話を聞いていた。


「なるほどね。シオンくんの知り合いにシゲくんを紹介したところ、映画の役とぴったりはまるイメージだったから演技してもらったら、あまりにも出来が良くて周りを驚かせてしまった、と……」

「ええ、そういうわけです。ね、シゲ?」

「あ、ああ。うん」


 九割くらいシオンが内容を整理していたが思いのほか形になってシゲは驚く。確かに矛盾も感じない内容だった。


「ふーん……ま、わかった。協力感謝するよ」

「ど、どういたしまして」


 柏木はあまりにもあっさりと教室から去っていく。シゲは何だか拍子抜けだった。嵐のようなというよりまさしく災害である柏木だったが、そのおかげで少しシオンとの仲を取り戻せた気がする。たまには柏木も役に立つものだとシゲは悪い顔をする。


 だが取材した内容を柏木はいつまで経っても後悔しなかった。

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