第20話 放課後デート その3
時間はどうあがいても過ぎ去っていくものである。シゲはシオンと出会うまで時間がもっと早く進めばいいのにと思っていた。死ぬのは母親に申し訳がなく、だからと言って生きるのは辛い。
それが心臓が二つあった男の子のこれまでだった。見た目はみんなと同じなのにいじめられる。その理不尽にどれほど心を打ちのめされたことか。
どうして自分は人と違うのか。ときには生まれたことさえ間違いだったと思った。
片方の心臓を移植して、ようやく人間になった気がした。刻む心音のビートは遅くなったのに、どうしてだろうか。こんなに時間が早く進むのは。望みが叶ったというのに嬉しくなかった。今の感じている時間はあまりも幸福だったから。
夕暮れ、公園のベンチにシオンと座るシゲは帰らなくては、という意識は持っている。だが不格好に繋いだ手を自分からはほどきたくなかった。シオンも手を放そうとする気配はない。
嬉しいことではあるのだが、どうしたものかとシゲは頭を悩ませた。だがこのままでもいいじゃないかという誘惑に思考が邪魔される。そんな弱い心を見透かしたようにシオンが呟いた。
「だいぶ日が沈みましたね」
「そ、そうだね」
「帰らないとですね」
「……うん」
返事はしてもシゲは自分からは手を動かさない。シオンも同じだった。しばし二人は顔を見合わせる。そして耐えきれなくなって互いに破顔した。
「もう。シゲ? これじゃ帰れませんよ」
「いやシオンだって手を離さないだろ?」
「し、仕方ないじゃないですか! こういうの離すタイミングわからないですし」
「じゃあ俺だって仕方ないよ。俺から離したくないし」
「私だって!」
シゲが先に、シオンが先にと押し付け合う。どっちが先に手を離すか、だんだん喧嘩腰になってきた。
さっきまであんなに仲良しだったのにコレはどういうことだろうか。別にそんな怒り心頭というほどではない。ただ感情を素直に吐き出している。痴話げんかというものすら知らないシゲは、なぜ喧嘩になっているのか訳がわからなかった。
「じゃあこうしましょ? 見つめ合って、恥ずかしさで先に目を逸らした方が手を離すんです」
「絶対俺が負けるじゃん! シオン、それはずるくない?」
「えー? シゲは私をどきどきさせる自信、ないんですか?」
「ははは……いいよ。やろうか」
笑い声を上げつつもシゲの目は笑っていない。平和主義を抱えながら売られた喧嘩は買う主義のシゲだ。
シゲは空いてる手で腕まくりのように半袖の裾を上げる。そのまますとんと落ちるのだが、そこは気分というもの。シオンは勝利を確信したようににんまりと笑っていた。
「じゃあ行きますよ?」
「いつでもどうぞ」
「よーい、スタート」
シオンの開始の合図で二人は互いを見つめた。あらためてシオンの顔を見ると本当に整った顔をしているなとシゲは見惚れてしまう。やせ気味だった頬がふっくらとしてきただろうか。太ったというよりこれまでが痩せぎすだったと言った方がいい。健康的になって良かった。
シゲがそんなことを感じているとシオンがぱちりとウインクをした。ドクンと心臓が高鳴る。こんな隠し種があったとは。
本当にこういうものをどこで学んでくるというのだろうか。そのうち何かとんでもないことをやらかしそうだ。一度情報源を問い詰めておいたほうがいいのかもしれない。
危うく顔を逸らしかけたがシゲは何とか堪える。形勢は圧倒的にシゲが不利。このまま続ければ負けは確実だ。勝利を確信するシオンは余裕の笑みを浮かべている。そういう顔も大好きだが、負けるわけにはいかないのだ。
シゲはとっておきを出す。
「好きだよ、シオン」
「……へ!?」
シオンは顔を紅潮させて後退り、両手で赤くなった頬を抑えた。そして「あ」と繋いでいた手を放したことに気がついた。思った決着と違ったが、まぁいいだろう。好きと言ったシゲも熱中症かというほど顔が赤いわけだが勝利は勝利だ。勝ち誇った顔でシゲはシオンへと宣言した。
「俺の勝ちだね」
「ず、ズルいです! 喋るのは反則ですよ!」
「そうなの? 知らなかった。駄目だよ、ルール説明はちゃんとしないと」
「うううー!」
シオンが珍しく悶えている。なるほど、これがシオンの気持ちがよくわかるとシゲは腕組をした。
「かわいいよ、シオン」
「ちょ、な、なんですかシゲ! いつもはそういうこと言わないのに!」
「いつも可愛いって言って欲しい?」
「だ、だから。調子狂うので! 今は止めて下さい!」
今は、なのかとシゲは笑みをこぼす。やはり人間というやつは人に褒められたいものなのだ。好きな相手には特に。シゲは自分の顔が気持ち悪い見た目になっている気がして手で口元を隠した。
もう! もう! と憤慨するシオンは牛のようである。可愛らしい牛もいたものだ。
「はぁ……もう。じゃあ、帰りましょっか」
「うん。そうだね」
シオンに返事をしてシゲが辺りを見渡せば、完全に日が暮れている。こんな夜道で一人帰らせるのは不安だった。
「シオン、家まで送るよ」
「いえ。それには及びませんとも」
シゲに返事をしたのはシオンではない。その声は背後からだった。ぎょっとして振り返るとそこには白髪のご老体がいる。年は召しているが背筋はピンと伸び、二頭筋の盛り上がったスーツからは筋肉も衰えていないことが一目が分かった。
口元の白いひげを撫で、仏頂面でシゲとシオンを観察している。
「ど、どちらさまで……?」
「
「ああ。この人が例の」
「ご紹介に預かり、恐悦至極にございます。わたくし、柳田
「ああご丁寧にどうも、クラスメイトの
「小堂……様でございますか」
柳田の思案気な声にシゲはびくりと肩を振るわせる。まさか自分のことを相手なのかと身構えたが、投げかけられたのは違った方向の質問だった。
「……静代殿はご息災であらせられますかな?」
「え? 母さんのこと知ってるんですか。ええ、元気ですけど……」
「……それはそれは、何よりでございます。シゲ殿、お嬢様と仲良くしていただきありがとうございます」
「あ、ああいえ、そんな。俺のほうがよくしてもらっているぐらいで」
シオンの家の執事さんがどうして母を知っているのか。シゲにはわからない。研究者の母がどういう繋がりなのだろう。
「お嬢様、車を用意しております。どうぞ」
「あら。私は歩いて帰るつもりだったのですが……」
「ご冗談を。いつも車でお待ちしておりますでしょうに」
う、とシオンは声を詰まらせる。つまりはそういうことの様だ。
「帰りが遅いので様子を見に来たのです。帰りましょう」
「はぁ、そうですね。帰ります。ごめんなさい柳田さん、つい連絡を忘れてしまって」
「かか。お嬢様が忘れてしまうなど珍しいこともあるものですな」
笑いながら髭を撫でつつ、柳田は薄目にシゲを捉えていた。他人の視線には鋭いシゲはそれに気づいている。少し所在がない。シゲとシオンでは身分の差がある。やはり見咎められるのだろうか。認められないとわかっていても言葉にされるのは嫌なものだ。
「……シゲ殿。お嬢様を何卒、よろしくお願い申し上げます」
「え? ええ! もちろん!」
またも想定外の言葉にシゲはてんやわんやになる。このご老体のことがシゲにはよくわからない。
「じゃあ、さようならシゲ。また明日」
「うん。また明日」
シゲは手を振りシオンを見送る。車は案外近くに止められていて、運転手はまた別にいるようだった。
車に乗り込んでから柳田は、はぁとため息を漏らす。
「……お嬢様。わかっておられるでしょうが、遊びにしておきなされよ」
柳田の忠告にシオンは何も答えない。窓ガラス越しに、シオンはシゲをずっと見ていた。
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