化け物編

第21話 君の過ちを覚えている

 灰色の景色の公園に、鮮血のような赤い髪の少年が一人立っていた。

 シゲは彼の姿を見つけると足が竦む。どうしてだろうか。いつものように遊ぶ約束をしていた。遅れてはいけない。

 シゲが公園へと踏み入って手を振ると彼は手を振って歓迎する。


「遅いぜ、シゲっちゃん」

「ごめんごめん。遅れたのは……なんでだっけな。とにかくごめんな。えっと……」


 シゲは少年の名前を思い出せない。少年はそれを気にする様子もなく、「ゲームしようぜ」とバックからゲーム機を取り出す。気前よくシゲの分のゲーム機まであった。古くて剥がれかけのシールが貼ってある。名前は掠れて読めなかった。

 まぁ、いいか。シゲは考えるのを後にしゲームに熱中する。手加減なしの対戦だ。ときには相手を肘でつついてゲームの妨害をした。


 楽しい。愉快だ。懐かしい。あれ? 懐かしいって、なんで?


 シゲは視界の端、灰の景色が揺れていた。


「あー! 負けた負けた! はー……なぁ、シゲっちゃん。俺たち、友達だよな?」


 赤髪の少年の言葉に、シゲは「もちろん」と返す。少年は気のいい男だった。いつだって誰かを笑わせる。お調子者だが、みんなから好かれる人気者。そんな彼と友人なことがシゲには誇らしかった。


「友達ってのは隠し事をしないものだろ。なんかシゲっちゃんは何か秘密とかないのかよー」


 いたずらな笑みを浮かべる少年に、シゲは「うーん」と声を上げる。秘密を明かしていいものかと悩んだ。

 友達。友達だ。俺の、友達。

 じゃあ、言ってもいいか。


「いいか? 絶対誰にも言うなよ、アキちゃん。俺の左胸さ、手を当ててみなよ――」


 ああ、そうだ。アキラだ。松北明まつきた あきら


 シゲは少年の名前を思い出す。いや、忘れられるわけがない。アキちゃん、松北。アキラ、アイツは、アイツは――。


 * * * * * *



「アキラぁ!」


 シゲは声を荒げて起き上がった。ぎしとベットが揺れる。どうやら夢を見ていたようだと気づくのにさほど時間はかからなかった。ため息をついてベットから抜け出る。カーテンを開けると朝日に目が焼かれた。

 額を拭えばぐっしょりと汗で濡れている。どうやら寝るときにエアコンをつけ忘れたようだ。


 洗面所で顔を洗ってリビングへと向かうと、そこには母親の静代が朝食を机に並べていた。パンにベーコン、目玉焼き。サラダにコンソメスープ。コーヒーにバナナとヨーグルトなどなど、いつも通りに多めのメニューで小食のシゲは朝から胸焼けしそうである。


「おはよう、シゲ。ちょうどいいタイミングで起きたわね」

「ん……おはよう母さん」


 いただきますと二人で手を合わせて朝食を食べ始めると、静代が口を開いた。


「昨日は帰って来るの遅かったわね。どうしたの?」

「あー……ちょっと本買いに行ってたんだよ」

「嘘言いなさい。あんなお菓子の袋持ち帰ってきて」


 うぐ、とシゲは固まる。食べようとしてたパンのジャムが顔についてしまった。皿にパンを置いて指先でジャムを拭って口に運ぶ。

 そうなのだ。昨日、シオンと公園で食べ漁ったお菓子の袋にはまだお菓子が残っていた。だがゴミを一緒に入れていたためシオンに渡すのには気が引けてシゲが持って帰ってきたのだ。

 シオンの口が付いたものを合法的に手に入れられると邪な考えに支配されそうになったシゲだが、目を離した隙に静代に片付けられていた。よかったというべきか、なんというべきか。


 様子のおかしい息子に、静代は「ああ」とひらめいたように弾んだ声を上げた。


「さては彼女でもできたのかしら」

「ははは。母さん、俺にそんな大層なものができるとでも?」

「あら。本当にできたのね、驚いたわ」


 一瞬で嘘を看破されてシゲは苦い顔をする。何故バレたのだろうか。

 シゲはシオンと会話交わすうち、自然と嘘をつかなくなった。だから嘘をつくのが下手になったのか。


 単純にシゲがいつものように毒を吐かなかったからのなのだが、そういった自身の変化にシゲが気づくことはなかった。


「まぁ、仲のいい子はできたんだ。だけど彼女ではないよ」

「そうなのね、そう。これまで色恋の話なんてめっきりだったから心配していたけど、やっぱりあんたは私の子どもね」


 自白したシゲに静代はうんうんとうなづく。恋だのなんだののどこで母と似るのかとシゲは首を傾げる。どこもそんな要素ないだろうに。

 ああそうだと思い出したようにシゲはついでに質問した。


「そういえば母さん。シオ……あー、いや。花子さんの家の執事さんが母さんのこと知ってたんだよ。えっと柳田さん? だったかな」

「……あら。懐かしい名前ね」

「どういう繋がりだよ。いきなり母さんの名前出たから驚いたんだ」

「柳田さんが執事ってことは、花子さんは礼二さんの娘さんね。私と花子さんのお父さん、同級生だったの。お母さん、超がつくエリートだったのよ?」


 静代の返答に「へー」とシゲは頷く。しかしあのクソみたいな花子の父親を、自分の母は親しみを込めて呼んでいることが気になった。

 だがそれ以上に静代の方がシゲの花子への親しみが引っ掛かっている。真剣な目でシゲを見据えて、静代は言った。


「シゲ。あなたもしかして、花子さんのことを……?」

「へ!? あ、いやー。その、えっと」

「そ、うなの。そうなのね」


 静代は目に見えて狼狽する。まさか自分の母に交際を見咎められるのかとシゲは不安に駆られた。シゲは女で一つで自分を育てた母を尊敬し感謝している。だからこそ母親から否定されることはシゲにとって大きな枷だ。

 だが母に反対されたからと言って諦められる恋ではない。人の目を気にしてやりたいことを諦めるなんて、自分が損するだけなのだから。


 何を言われたってシオンへの想いを曲げたりはしないとシゲは決意を固める。静代はため息をついて、シゲの肩に手を置いた。


「……やめておきなさいなんて言っても、あなたは聞かないわよね。だって恋ってそういうものだものね。でも、覚えておきなさい。恋は盲目よ。早まって取り返しのつかないことだけはしちゃいけないわ」

「取り返しのつかないって何?」

「私に孫ができちゃうとかよ」

「ぶは!?」


 さらっと爆弾発言をする静代にシゲはコーヒーを噴き出した。だが同時にシゲははっとしてしまう。シゲに父親はいない。つまりは静代は自分を産むことこと自体が母にとっては……。

 聞いてはいけない。だがシゲは聞いてしまった。


「……母さんは、俺がお腹の中にいて取り返しがつかないことになったの?」


 静代は目を丸くし、はっと息を呑む。だがすぐにその顔に微笑をたたえた。そしてシゲの頭を撫でる。やさしい母の手だった。


「そんなことないわよ。あなたは大事な大事な……私とあの人の子どもなんだから」


 母の笑みにシゲも自然と笑顔になる。


 だけどどうしてだろうか。母のその笑みに、シゲには何か得体のしれないものが潜んでいる気がしてならなかった。

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