第15話 活字の罠

「なんだよ、これ……」


 翌朝まだほとんど生徒の登校していない校舎で、シゲは廊下で立ちすくんでいた。その視線の先には一枚の校内新聞がある。そこに写真付きで語られていたのはシオンこと御園花子のことだった。


 御園花子。御園グループの一人娘。遺伝性疾患で生まれつき心臓が弱く、長い間の闘病生活を強いられてきた令嬢。心臓移植により快復。学食では辛いものに挑戦して三口でギブアップ。すでに三人の生徒に告白されたがいずれも玉砕した。などなど、エトセトラエトセトラ……。

 シゲも知らないシオンの個人情報がプライバシーを踏みにじり書かれている。筆者は柏木亜美。ぎりと大きく歯ぎしりを鳴らしてシゲは貼られていた新聞を剥ぎ取った。その足で三年の教室へと向かう。手あたり次第教室の戸を開け、最後の四組で柏木のいる教室を見つけた。

 だんだんと足音を踏み鳴らし、柏木の前にシゲは立つ。柏木は怯えるでもなく鬼の形相のシゲに朗らかに話しかけた。


「やあ。おはようシゲくん。君から来てくれるなんて嬉しいなぁ」

「どういうつもりですか、シ……花子さんのこんな記事書いて。プライバシーってやつがないんですか!」


 破り取った記事を柏木の机に叩きつける。ざわついていた周囲の生徒が、「ああ」とどこか納得したような声を上げた。どうやら間々あることらしい。それもまた不愉快だとシゲは眼力を込めて柏木を睨つけた。


「うわ、ひどいなシゲくん。アタシ、頑張って書いたのに」

「……コピーされた紙の一枚でしょ。どうせまだ何枚もある癖に」

「あはは。まぁ、当然だね」


 悪びれもせず柏木は机から記事を取り出す。それも一枚や二枚ではない。かなり暑さがあり何十枚、下手すれば百枚以上あった。


「どういうつもりです」

「うーん。アタシはただみんなが知りたい記事を書いただけだよ。それに花子には取材させてもらったし。記事にする許可だってもらったんだよ?」


 いつの間にとシゲは歯噛みする。つい先週の金曜までシオンは柏木とは面識がない様子だった。昨日のうちに取材してあれだけの文量を書き上げて印刷したのだとすればとんでもない実践力だ。


「……でも彼女にはこんなに赤裸々に書いてばら撒くなんて言わなかったでしょう。それにこんな明らかに花子さんが自分から言ったとは思えない情報まで」

「まぁね。でも取材を受けた時点でそのくらいは想定すべきじゃないかなぁシゲくん」

「そんなの詐欺と同じだ! あんたはペテン師だ!」

「心外だ。その言葉は看過できないな。アタシは決して嘘だけは書かないよ」


 互いの視線が互いを突き刺す。殺気さえ漂っている。シゲは視線を逸らさず、一歩も引かなかった。


「その記事はばら撒かないでください。そんなことをしたら俺はあんたを許さない」

「それは脅迫だねシゲくん。脅迫じゃアタシは動かないよ」

「……どうしたらやめてくれるんです」

「交渉なら大歓迎だとも。内容次第じゃこの記事は全て廃棄するよ。君はアタシに何を差し出せる?」


 シゲは息を呑む。罠だ。この記事は柏木がシゲの口を割らせるためだけに仕掛けた罠なのだと直感した。

 シオンと逢うためにシゲは早く登校している。そのことを柏木は掴んだのだ。だからわざと見つかりやすい場所に記事を貼りつけ、シゲはまんまと引っ掛かった。かつてシゲは柏木を蛇のようだと形容したが認識を改めなければならない。


 コイツは悪魔だ。


「……代わりになる記事なら何でもいいんですよね。柏木先輩」

「ガセネタはお断りだよ。でも、わざわざ嘘をつくまでもないんじゃないかな。この記事の代わりになるくらい大きなネタを君は持っているんだから」

「ないですよ。そんなの」

「じゃあ残念だけど、この記事は――」

「待って! 待ってください!」


 どうする。どうすればいい。

 シゲは逡巡する。もし話してしまったら、またシゲは奇異の視線に晒される生活を送る羽目になるだろう。だけどこのまま記事をばら撒かれたら、シオンはどうなる。美人は目の敵にされやすいと聞く。記事がきっかけでいじめられるかもしれない。記事に書かれた内容が一人歩きして、君に悪評が付いたりでもしたら。


(なら。だったら、俺が一人引き受ければ――)


「……俺には、心――」

「シゲ!」


 秘密を告げようとしたそのとき、シオンこと花子が教室へと慌てて乗り込んできた。その息は少し上がっている。ふらつくシオンにシゲは慌てて側に駆け寄って肩を持った。


「シ……花子さん! 大丈夫!? どうしてここに」

「だ、大丈夫です。ふぅ……古小浦さんに、シゲがただ事じゃない顔持ちで三年生の教室に行ったと聞きまして。もしかしたら柏木さんのとこかなと」


 流石シオンだ、察しがいい。だがシゲとしてはこの展開は望ましくなかった。シオンの前で秘密を告白するのは心苦しい。だが、それでも言わなければならないのだ。


「やぁ。花子。今、シゲくんととっても大事なお話の途中だったんだけどね」

「はぁ……どうせ記事の件でしょう? いろいろ書かれてましたからね。それにシゲが怒ったってことで合ってますか」

「は、花子さん。知ってたのか!?」


 シゲは素っ頓狂な声を上げてしまう。柏木はその薄ら笑いを一瞬、引きつらせた。どうやら想定外の事態だったようだ。


「全くもう。シゲは思い違いをしやすいところがありますね。私のために怒ってくれるのは嬉しいですけど、私はそういうのには慣れてます。柏木さんは嘘は書かないそうなので気楽なくらいです」

「そう、なんだ……でもそういうのってされること自体が良くないって言うかさ」

「ありがとうございます。その気持ちだけで嬉しいですよ」


 そう言って微笑みかけるシオンに、シゲは返す言葉が見つからない。ありがた迷惑というやつだったろうかと頭をかいた。


「……残念。あとちょっとでシゲくんの秘密が聞けそうだったのに」

「人の秘密を暴くのは良くないですよ。柏木さん」

「おや? 花子は知ってるのかい?」


 シゲはドキリとする。シオンが知っている? そんな馬鹿な。

 だがその心配は無用だった。


「知らないですよ。だから秘密なんじゃないですか」


 シオンはそう言って、首を傾げる。「なんだ。期待したのに」と柏木はつまらなそうだった。「行きましょう」とシオンに連れられてシゲは教室を後にする。去り際にシオンは柏木に挨拶した。


「さようなら、先輩。あんまりシゲをいじめないであげてくださいね」

「約束しかねるな。またおいで、二人とも」


 手を振って見送る柏木に、シゲは「もう会いたくないですね」と吐き捨てる。その背に柏木がまた声を投げかけた。


「アタシはいつでも待ってるからね」


 シゲは振り返らない。きっと柏木はあの薄ら笑いをしていることがわかっていた。

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