第14話 言えない秘密
月曜の放課後の静かな図書室に、バンと鈍い音が響く。シゲはため息をついて落とした本を拾い上げた。どこも損傷がないことを確認すると棚に戻す。受付けの席に戻ろうとすると同じ図書委員のオミが様子を見に来ていた。
「だいじょぶっすか? シゲ先輩」
「大丈夫。何でもないよ」
「……ほんとに無理してないっすか? まだどこか悪いんじゃ」
オミは腰をかがめ伏せがちな顔でシゲを見ている。オミはシゲよりも身長が高いので、期せずして上目遣いになっているのが新鮮だった。案外、心配性な後輩にシゲは相好を崩す。
「心配させて悪かったよ、オミ。体の具合は何ともないんだ。ただ、ちょっと悩み事が」
「シゲ先輩が悩み事って珍しいっすね」
「なんだよ。まるで人が能天気みたいに」
「いや違うっすよ? シゲ先輩って悩み事は割り切ってるタイプじゃないっすか」
「そう見えるのか」
口元に手を当て、シゲはこれまでの自分を思い返してみる。
シゲには心臓が二つあるというどうしようもない問題があった。だからどこか物事にはどうしようもないこともあると考えていた節がある。
だがドナー提供によってその問題が解決された。それはシゲにとって、絶対にどうしようもない問題だったものがなくなったということだ。良く言えば希望を持つようになり、悪く言えば諦めが悪くなったのである。
そこまで深く思考したわけではないが、シゲは自分が変わったことだけは分かっていた。
「で、どんな悩み事なんです?」
「いやちょっと説明が難しいと言うか、言えないというか……そもそもオミに話すようなことじゃないしなぁ」
「わかってないっすねー。そういうのは何にも関係ない第三者に話すのがいいんっすよ。そもそも先輩、ろくに友達いないじゃないっすか」
「おいコラ。なんてこと言うんだお前は」
心外だとシゲは指折りで友人を数えてみる。シオン、タケ、オミ……古小浦もいれていいだろうか。友達と呼ぶにはおこがましいわけだが、それでも四人で手が止まる。片手で数え終わってしまった。
オミは本気で言っていたわけではなかったのか、シゲのその手を見て苦笑いしている。
「ま、まぁアレっすよシゲ先輩。友達は量より質っすから、そんな気にすることないっすよ」
「やめろやめろ! 気を遣うな、惨めになる」
「とりあえず数少ないお友達の後輩ちゃんがお話聞いてあげますから。ほら、言うっすよ」
話していいものかとシゲは戸惑う。柏木のように人のプライバシーを覗こうとする行為は大嫌いだが、オミはただの親切心で訊ねていることだけはわかった。念のためシゲは一度廊下に柏木が立っていないことを確認すると図書室に戻り受付けの席につく。
口が軽そうな見た目なことはネックだが話してもいいかとシゲは口を開いた。
「あー……なんて言えばいいかな。ちょっとした秘密を知っちゃったと言うか、気づいちゃったというか。まだ確証はないんだけど、それにちょっと動揺してるんだよ」
秘密とはシゲの二つあった心臓の片方がシオンに移植されたかもしれない、ということである。だがそんなことを話せるわけもなく、シゲはぼかしまくった。結果何が何だかである。オミはうーんと唸っている有り様。
そりゃそうだとシゲは「忘れてくれ」と言おうとするが、オミが先に声を出した。
「その秘密ってシゲ先輩的には信じたくないって感じなんすか?」
「え……? あー、いや。どうだろう。信じたくないとはまた違うかな」
まさかちゃんと話に乗ってくれるとは思っておらず、シゲは面を食らってしまう。どうしてこんなに親身になってくれるのだろう。好意がある、とはとても思えない。シゲはオミからそういう態度を一度として感じたことはなかった。
「その秘密を知って悲しかったっすか?」
「悲しくはないよ。ただ……怖い、かな」
シゲは顔を伏せる。思い返すのは中学で心臓が二つあることを友人にバラされたときのこと。
周りの人たちは散々シゲを化け物だのなんだのと罵った。それ自体はこれまでだって言われてきたことだ。そんなことには慣れていた。ただ一言刺さってしまった言葉がある。
「化け物の子どもも化け物になるんじゃね?」
幼い頃は言われなかった言葉。言った側には深い考えなどなかっただろう。ただ思いついた悪口を口にしただけ。二次性徴を得て子どもから体が大人になったばかりの頃のシゲに新しく芽生えた恐怖だった。
他人に、ましてや自分の子どもが同じ目に合うなんて考えたくもない。だからシゲは子どもを作るつもりがなかった。そしたら誰も傷つけなくて済むから。
だがそれがどうだ。シゲの一部がシオンに渡ったのだとすれば、彼女が化け物扱いされる可能性はないか。心臓移植の相手は明かされることはない。だがシゲは気づいた。気づいてしまった。
「……その秘密を知られるのが、俺は怖い」
「そんなに怖いっすか。確証はないんすよね? シゲ先輩」
「まぁ、確証はないって言ったけどそんな偶然はないと思う。ほとんど確定だ。俺が黙っていればバレないかもしれない。けど何かの拍子に気づくかもしれない」
シオンは聡明だ。このままシゲが交流を続けていけば、シオンは気づくかもしれない。
いっそ、シオンを守るためにシオンから俺は離れるべきなんじゃ――。
シゲの思い詰めた顔に、オミがその頭を撫でた。
「よしよし。そんなに知られたくない子がいるんすね」
「おいやめろ恥ずかしい。ん……あれ? 俺、誰とか言ってないよな?」
「話しぶりから何となくっす。それにシゲ先輩は自分がどうとかで悩む人じゃないっすからねー。秘密ってのがバレるとその子が困っちゃうてとこでしょ。どっすか?」
シゲはあんぐりと口を開ける。何も言葉が出てこない。
こんな馬鹿っぽいギャルのどこにそんな推察力があるんだと呆けてしまった。
「ししし。コイツなら話していいかーって油断しましたっすよね、シゲ先輩。私、学年一位何すよー?」
「うっそだろ!?」
シゲは図書委員なことも忘れ、図書室内に驚きの声を響かせる。うるさくしてしまったとシゲは図書室内を見渡すが他に生徒はいなかった。
「ま、安心していいっすよ。私は人の秘密ばらしたりしないんで……あとアドバイスするならそうっすねー。シゲ先輩はその子から逃げないでください」
「に、逃げるって。俺は――」
「逃げっすよ。守るために遠ざけるとか、されたほうはたまったもんじゃないんすから。ほんと。生きてたらぶん殴ってやるとこです」
「生きてたら……?」
オミは「あ」と口を手で塞ぐ。そしてちょっと恥ずかしそうに頬をかいた。
「あー今のはナシで……とにかくっすよ、シゲ先輩。秘密っていうのはいつかは暴かれるものっす。だから暴かれることを恐れるんじゃなくて、暴かれてもいいようにするほうが得策っすよ」
「そんな簡単に言うなよオミ。言えないから秘密なんだろうが」
「だからっす。後ろめたいことがないなら、それは秘密にすることじゃないんすよ。じゃあシゲ先輩。さよならっすー」
それだけ言い残してオミは荷物を持って図書室から出て行った。気づけばもう時計は
下校時刻になっている。
シゲは何となく、オミがどうして自分に良くしてくれたのかわかった気がした。
「オミ、お前は……誰の秘密を知りたかったんだよ」
誰もいない図書室にシゲの問いだけが響いていた。
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