第13話 心臓の鼓動が聞こえる

 土曜となり朝から小堂重こどう しげは病院へ定期検診へと訪れていた。検査の後に春日井が聴診器を外すと、相変わらずのぼさぼさ髪をぼりぼりとかいている。うーんと唸った後に口を開いた。


「健康だね。至って健康」

「そうですか。じゃあ俺はこれで」

「待て待て待ちたまえよ。せっかちだな君は」


 春日井は立ち上がったシゲの両肩をつかむと診察の席に再び座らせる。

 シゲは元来、イケメンが大嫌いだ。春日井は巧妙に隠されているがその素顔はイケメンである。何が悲しくて休日に野郎と顔を見合せなければならないんだと心の中で唾を吐く。

 ただでさえ木曜金曜は新聞部部長の柏木のせいで散々だった。柏木はシオンと話そうとすれば邪魔をし、タケとの昼食にまで割り込んでくる始末。受験は大丈夫なのかと聞けば推薦らしい。誰だこいつに推薦状なんて与えた馬鹿はと呆れたものだ。

 シゲはこの休日で憂さ晴らしが必要だった。


「なんでですか先生、健康ならいいでしょ。帰らせてくださいよ」

「まあまあ、小堂くん。僕の話を聞いておくれよ。いやなに。僕も驚いちゃってねぇ」

「驚くって……なんです?」

「君の心臓、鼓動が強くなってるんだよ」


 はて、とシゲは顎に手を置く。春日井に見られたところでシゲはドキドキすることは何もない。意味が理解できていないと悟った春日井はあははと笑った。


「ああ、ごめんごめん。言葉足らずだったねぇ」

「いやほんとですよ。口説かれてたのかと思いました」

「実は今日、ベット開けてあるんだ」

「うわ! やめてください気持ち悪い! ていうか、そのベットって病室のベットですよね。人体実験でもしようっていうんですか?」

「あっはっは……それで君の心臓なんだけどね」


 いきなり話を変える春日井にシゲは努めて嫌そうな顔をする。この人の誤魔化しはだいたい何かあるのだ。地下で人には言えないような実験を繰り返したりしないだろうか。

 まぁ、流石にありえないが。


「ああ、はい。俺の心臓がなんですか」

「もともと二つあっただろ? そのときは互いで互いを補っていたからかな。実は常人よりも心拍が弱かったんだ」

「え?」


 初めて聞かされる真実にシゲは口を開けて呆けてしまった。心臓が二つあるのだから他の人よりも心臓が強いものだと思っていたシゲは目からうろこである。そんな心臓をよそにやってしまったことが何だが申し訳なかった。


「一つになったことで互いに阻害してた成長の幅を取り戻したってことだろうね。いやぁ、こんなことが起こるとは。想像もしなかったなぁ」

「えっと……よくわかんないんですけど、一個取っちゃったのが結果オーライだったみたいな感じでいいんです?」

「まぁそうだね。何も悪いことは起きちゃいないよ。でもまだまだ油断は禁物だからね。ちゃんと来月も来るんだよ」

「ん……わかりました、先生」


 手を振る春日井に礼をしてシゲは診察室を出た。院内は相変わらず快適な温度に保たれている。家やどこかの店に入るよりも快適かもしれない。ロビーでお茶でももらおうかとうろうろしていると背後から「シゲ?」と声を掛けられた。その声には聞き覚えがある。

 振り向いてその姿を確認したシゲは思わず顔を綻ばせた。


「シオン!」

「こんにちは。奇遇ですね。検診ですか」

「ああ、うん。こんにちは。ああ、そうだよ。シオンも?」

「ええ。ふふふ」


 シオンが笑う。何がおかしかったのだろうか。シゲは自分の髪型や服装をしきりに気にし始めるとシオンは首を振った。


「違いますよ、シゲ。何だか不思議なんです。今まで私、こんな晴れやかな気分で病院にきたことないんですよ」

「そう、なんだ」


 シオンは長い時間をベットの上で過ごしてきたとシゲは知っている。同じ病人としての共感をしているシオンに、シゲは自分は違うと言えないことに負い目があった。

 影の差したシゲの顔に気が付いたのか、シオンはその顔を覗き込んだ。


「……どうしました? シゲ。結果、良くなかったんですか?」

「ああいや、何でもない。俺は健康だよ。病気の頃よりね」

「おかしなシゲですね。病気のときより健康じゃなかったら、それは病気のときなんですよ?」

「ははは……うん、そうだね。その通り。俺、何言ってんだろ」


 シゲは眉間を押さえる。春日井に言われたことをそのまま言ってしまった。シオンを混乱させてどうする。


「シゲ、お疲れみたいですね……学校でもあの、柏木さんでしたか? あの方にいろいろと振り回されてましたし」

「本当にアレは勘弁して欲しいよ。でもシオンと話せて元気出たよ」

「あら、嬉しいことを言ってくれますね。私もシゲと話せて元気出ましたよ」


 そう言って微笑むシオンにシゲは赤面する。自分から言ったことなのに、こちらが顔を赤くしてしまうなんて情けない。シゲはせめて顔を見られないようにとそっぽを向く。それがまた可笑しかったのかシオンは笑い出した。


「ふふふ。シゲは可愛いですね」

「かわいい……はあんま嬉しくないよ。俺はカッコイイって言われたいんだけど」

「可愛いですよ」


 いたずらな笑みを浮かべるシオンに、シゲはかわいいでもいいかもしれないと早くも前言撤回しようとしていた。はっと我に返りぶんぶんと頭を振る。だけど今の顔は卑怯だったと火照った顔を手で隠した。


「お疲れみたいですし、あんまりからかったらかわいそうですね。じゃあ私は先生に元気な心音を聞かせてきます」

「ん。じゃあ、また」

「ええ。またね」


 シオンの後姿に手を振り、一息ついたシゲは聞き流した言葉に気づく。


「……元気な、心音?」


 まさかという予感が頭をよぎる。胸騒ぎがしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る