第12話 学園に君がいる その3

 放課後になる頃にはシオンこと花子は古小浦ここうらとすっかり仲良くなっていた。放課後は女子グループで一緒に帰ろうと和気あいあいとしている。何とも言えない表情でシゲは隣で二人の様子を伺っていた。花子と一緒に帰りたかったシゲとしては複雑な気持ちである。


「じゃ帰ろ帰ろ! 花っち」

「ええ、行きましょうか。じゃあシゲ、さようなら。また明日」

「あ、ああ。うん。さよなら花子さん」


 手を振って二人を見送った。朝しか二人きりになれなかったので、シゲの花子呼びも詰まることもなくなっている。下手に周りに勘繰られるよりはいいのかもしれないがそれもまた自分から花子が遠ざかっていくようでもどかしい。

 何だかシゲは己が女々しくて仕方がなかった。思わずため息を漏らす。


「どうしたシゲ。美人に袖に振られたか?」


 物憂げなシゲの頭をタケがポンと叩く。シゲは苦い顔をする。どうやらタケにはシゲの花子への好意を気づかれているらしい。ぶっきらぼうにシゲは返答した。


「別に、袖に振られてなんかない。ちゃんと挨拶だってしてくれるしさ」

「でも一緒に帰りたかったんだろう?」

「……タケだって古小浦さんと帰りたかったくせにくせに」

「おま、馬鹿! そんな。ボクなんかが、おこがましい」


 タケのこういうところは、シゲには非常に好感が持てる。感性が似ているのだ。似た者同士、気が合う。まぁ同族嫌悪もあるのだが。


「一緒に帰るか、タケ。コンビニでも寄ってさ」

「いや悪いね。ボクはこれから部活でね」

「なんだ部活って、あれほど嫌がってた運動部にでも入ったのか?」

「囲碁将棋部だとも。知ってるだろ」

「爺臭いなぁ、そんなだから言葉も古臭くなる」

「じいちゃん子なものでね。囲碁も将棋も歴史があると言って欲しいなぁ。じゃあまた明日」


 タケはそう言って教室を出て行った。部活動をしていないシゲには部活というものの大変さがわからない。付き合いが悪いと言っていいものかと悩んでしまう。そもそも人付き合いがほとんどないシゲには人付き合いがいかなるものかを理解できていない節があった。


 手持ち無沙汰になってしまったとシゲは一つあくびをする。思えば昨日は花子に会えるとそわそわしてなかなか寝付けず、加えて早起きした。早く帰って寝ることにするかと席を立つ。そこへ聞き慣れぬ声を掛けられた。


「やぁやぁ。君が転校生かい?」

「……へ?」


 気づけばシゲの眼前に見知らぬ女生徒が立っている。ミステリアスな雰囲気を漂わせた美形で後ろに纏めた長い髪。ふちのない眼鏡をかけ、手に持ったペンをくるくると回してメモ帳を開いていた。


「自己紹介がまだだったね。アタシは三年、新聞部部長の柏木愛実かしわぎ あみ。ぜひ君について記事を……」

「い、いやいやいや。待って待って! あの、俺は転校生じゃないです」

「おや。おかしいね、この席だと聞いたのだけど」

「隣の席です、隣。さっき帰りましたんで」


 おやおやと言って柏木は口元にペンを当てる。いつもならセクシーな仕草にどきりとするシゲだが混乱の方が強い。新聞部と言ったか。シゲにはこういった他人の素性を詮索する相手には忌避感があった。

 さっさと帰ろうとするシゲの肩を柏木が叩いた。


「待て待て。君、名前は?」

「え、俺ですか……小堂重こどう しげですけど」

「んー、なんだろね。君、なんかある?」


 柏木がシゲの顔を覗き込む。吸い込まれそうな綺麗な大きな黒目にシゲの姿が映りこんだ。こんなに女子に顔を近づけられたことはない。いい香りがする。シゲはそんな邪念を振り払い後ろへと飛びのいた。


「な、なんかって。それはどういう意味で?」

「君からおいしそうなネタの匂いがするんだよねぇ」


 どきりと、シゲの心臓が大きく跳ねる。

 この人は危険だ。シゲは本能で察知する。途端に柏木の目が獲物を狙う蛇の目に思えた。


「き、気のせいですよ。俺は普通の人です。村人A」

「んー? そうかい? 入院してたんだって?」


 シゲは息を呑む。そして確信した。

 柏木はシゲが転校生ではないと分かっていて話しかけてきた、と。

 おそらく話の流れでシゲから入院していたことを聞き出そうとしたのだろう。だが帰る機会を伺っているシゲには直接聞いた方が早いと踏んだ。


 こういう相手は厄介なのだと知っている。嫌いだ。シゲは心の中で舌打ちをした。


「……ちょっと色々ありまして、まぁ」

「ふむふむ。で、内臓系の病気ってどんなの?」


 柏木の質問にシゲは目を見開く。

 耳が早いどころではない。それはタケにしか話していないはずの内容だった。この情報収集能力はなんだ。驚きを通り越してシゲは怖気すら覚える。


「プライバシーに、踏み込み過ぎでは? 先輩」

「嫌だった? 代わりに何か教えようか。スリーサイズ? 今履いてるパンツの色?」

「……セクハラですよ」

「残念。これで話してくれる子結構いるのに。でも隠すってことは特ダネかな、コレは。収穫はあったね」


 柏木はぱたんとメモ帳を閉じた。どうでもいい情報だったらシゲは正直に答えただろう。だがこればかりは知られるわけにはいない。シゲの心臓が二つあったことがもし知られたなら、今の生活は瓦解する。それだけは避けなければいけない。

 シゲはもう無理やりにでもこの場から立ち去ろうかと思案していると柏木がくすっと笑った。


「潮時だね。今日は撤退しようかな」

「そ、うですか……さよならです」

「うん。またね、シゲくん」


 そう言い残して柏木は教室を出ていく。シゲは上げた腰をまた下ろしてしまった。美人にまたね、と言われて嬉しくないのは初めてだとシゲは目を押さえる。まずい相手に目を付けられてしまった。


「……くそ」


 思わずシゲは毒を吐く。取り合えず帰らなくてはとシゲが教室のドアを開けると、メモ帳を開いた柏木が立っていた。


「残念。独り言でうっかり漏らすことを期待していたのに」


 シゲは苦笑いする。初めて天敵と出会った蛙はこんな気分かもしれないと頭を抱えた。

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