第16話 デートの予約は唐突に
柏木とのいざこざが一件落着し、シゲとシオンは教室へと戻っていた。記事が張られてしまうというのにシオンは気にした様子もなくいつも通りの雑談に興じている。何よりも楽しい時間なのにシゲはどこか上の空だった。
「あれだけ続編をやっても人気の落ちない刑事ドラマはなかなかないですよね。シゲは誰がパートナーだった時が好きでしたか? 私はやっぱり一番最初の……聞いてます? シゲ?」
「ん……ああ、うん。聞いてるよ。もちろん」
「もう。何をそんなに気にしているんですか?」
隣に座るシオンがシゲに体を寄せる。シゲは急な接近にどぎまぎするが逃げたりはせず鼻の頭を擦った。
「いや、その。シオンは気になってないのかと思って」
「何をですか?」
「……俺の、秘密をだよ」
シゲは自分で言って辛くなる。聞かせてと言われても言える気がしなかった。なのに尋ねてしまうのは負い目があったから。シオンが来たことでシゲは自分の秘密を公開せずに済んだ。
だがそれはシオンの記事と己の保身を天秤にかけて揺らいでしまったことに他ならない。シゲは自分で自分が許せなかった。
「もちろん気になりますよ? でも、そういうのって無理矢理聞くものじゃないですから」
シオンはシゲの顔を覗き込んではにかむ。その笑顔はシゲには眩しすぎる。
聞かれなくてよかったと安堵してしまう自分にすら嫌悪感を抱いてしまった。
「ありがとうございます、シゲ」
「へ? な、何が?」
シゲは机ばかり眺めていた視線を上げる。まさかお礼を言われるなんて思ってもいなかった。何に対してだろうか。自分は余計なことしかしていないはずだが、とシゲは自問する。シオンはピンと背筋を伸ばしてお辞儀した。
「私の記事が出ることを怒ってくれて、ですよ。ありがとうございます」
「い、いやいや! そんな、俺は結局ただ早合点しただけだし……」
「その気持ちが嬉しかったんです。私のために怒ってくれる人なんて、お母さんの他にいなかったので」
頬を染めシオンは視線を逸らす。シゲも何だか照れてしまって、互いにそっぽ向いている。ありがたい言葉だ。だがシゲにはそこにシオンの闇を感じていた。
シオンの父親は日本有数の財を持つ人物らしく、人脈も発言力も大きい。調べなくても知っているくらいの相手だ。そんな相手をシゲはクソ野郎と呼び、シオンもそれに同調した。シオンは父親から愛情を注がれていない。
シゲもそれは同じだった。シゲには父親がいない。母親からは離婚したと聞かされているが、どんな相手なのか、どういう人物なのかも知らない。
互いに父親はいないも同然という点で、シゲとシオンは同じだった。
「怒って当然だよ。だって、俺はシオンの……」
ボーイフレンド。勢いでついそう言いそうになって、シゲは口をつぐんだ。
他意はなくはないのだが恋人という意味にもとれる言い草になってしまう。まだ人と付き合うということがどういうことかわからないシゲにとって、その言葉は軽々しく言えるモノじゃなかった。
「私の、何ですか?」
シオンはどこか期待を込めた視線をシゲに向けている。
二人の心の距離は近づいていた。だが距離が近づくほどシゲは恐れてしまう。もう聞かれて困る心臓の二つの鼓動はないというのに。
「……友達、なんだから」
「へぇ? 友達止まりでいいんですか?」
「え、ええ!? い、いや。それは困る! ……んだけど、えっと。その」
「ふふ、冗談です。安心してください。シゲは私にとってちゃんと特別ですよ」
特別。その一言だけでシゲは自分の頬が紅潮しているのがわかる。どうにもシオンはシゲを戸惑わせて遊んでいるようである。それもどこか小悪魔的な誘惑だ。病床で過ごしてきたのにどこからそんなものを学んできたのだろう。
術後から時間が経って元気になってきたからかシオンは茶目っ気が増した気がするなとシゲは苦笑した。
「ねぇ、シゲ。わがままを言ってもいいでしょうか」
「いいよ。もちろん」
シゲは即座に返答をする。シオンは目を丸くした。
「あら。いいんですか? 内容も聞かずにそんな安請け合いして。いきなりとんでもないことを言い出したら大変ですよ?」
「シオンはそんなひどいことしないって信じてるよ」
「そうですか? じゃあ放課後、デートに行きましょう」
頬杖をつこうとしていたシゲは体勢を崩して椅子をガタガタと鳴らす。今何といったかと内容を反芻する。
でーと……でーと? デート!?
「いや、いやいやいや。シオン、デートってそれはお付き合いしてる男女のもので」
「嫌なの?」
「そんなわけ!」
「じゃあ決まりですね。約束ですよ?」
いやいやとジェスチャーしていたシゲの小指をシオンは白魚のような指先が絡めとる。初めて触れた指先のひんやりとした感触が気持ちいい。シゲははっとして自分の手汗を気持ち悪がられてやしないかとひやひやした。
「指切りげんまん、やってみたかったんです。シゲの手はやっぱりあったかいですね。きっとそうだろうなって思ってました。シゲはぽかぽかしてますから」
「そ、それは殴られてる的な……?」
「あったかいって意味ですよ、もう。変な風に解釈する癖は治りませんね」
教室に生徒の足音が近づいてくるとシオンはぱっと手を指を話した。見られるのは恥ずかしいのだろうが、指先から抜けていった心地よさにシゲは少し残念に思ってしまう。それに気づいたのかシオンが耳元で囁く。
「放課後、楽しみにしてますね」
シゲが固まっていると教室のドアが開く。そこにいたノッポはシゲの友人、タケだった。あくびをしてから開けた目でシゲに気が付くと慌てた様子で声を荒げる。
「おは……どうしたシゲ顔真っ赤だなぁ!? 熱中症か!?」
「うるせぇ、馬鹿。ほっとけ」
腕で顔を隠すシゲに、シオンは隣でくすりと笑っていた。
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