第2章 学園編

第10話 学園に君がいる その1

「おはようシオン。いい天気だね」

「……シゲ? あの、何事もなかったかのように挨拶されても困るのですが。昨日は大丈夫だったんですか?」


 朝の教室に入ってきたシオンに、シゲは満面の笑みで挨拶した。シオンは挨拶を返すことも忘れて困惑してしまう。

 シオンからしてみれば混乱して当然だろう。自分と同じく病院にいたはずの相手が走って登校するという破天荒をやらかしたばかりだ。その相手が朝一番に登校しているなんて想定できるはずもない。まだ日直さえ教室に来ていない時間帯だった。


「平気平気。体力はないけど俺、丈夫だからさ」

「丈夫ってそんな、あなた入院してたでしょ?」


 それを言われるとシゲには痛いところだ。だが入院していた理由が二つあった心臓の片方をドナー提供したからだと明かすには抵抗がある。

 仕方ないのでシゲは笑って誤魔化した。


「あ。いけません、私としたことが。挨拶を忘れてましたね。おはようございます」

「う……うん。お、おはようシオン」

「なんでニヤついているの?」

「い、いや。別に。何でも」

「ふふ、変なシゲですね。なんだか病院にいたときを思い出します」


 言い当てられたのかと思って、シゲは一瞬どきりとする。まさしくその通りで、シゲはあの病院での日々を思い出していた。毎日シオンの元へと足しげく通った数日間。そんなに時間も経っていないはずなのにシゲは何か月も離れ離れでいた気分だった。まさかこんな形で再開できるなんて。

 シゲはどなたか存じぬどこぞの神へと感謝した。


「シオンはもう大丈夫なの?」

「まだ運動はできませんけど、すっかり平気です。今までで一番体調がいいくらい」

「そっか。よかったよ」


 どんな病気なのか踏み込むのが怖くて聞けないシゲだったが、ひとまずは安心だと胸を撫で下した。教室に差し込む陽光をシオンの白い肌が照り返す。シゲはその色白が生来のものではないことに何となく気づいていた。


 シゲは己自身が病気と見まごうほどの色白である。普段着の日に当たらない部分は更に白い。シオンの病衣の鎖骨や胸元から見える肌色を見れば、シゲにはシオンが自分とは違うということがわかる。その視線にはまぁ、やましいところがあったわけだが。


「でもびっくりしたよ。ウチの高校に転校してくるなら言ってくれればよかったのに」

「だって、驚かせたかったんだもの」

「驚いたよ本当に。でもこんな学校でよかったのか? シオンならもっと上の高校入れるだろう。俺のおつむでも入れる高校なのに」

「シゲは卑屈ですね。ここはちゃんと進学校じゃないですか……まぁ、その。推薦で大学に行けるのも、いいところですよね」


 それが理由かとシゲはがくっと肩を落とした。他の推薦狙いからすれば目の上のたんこぶができて困りものだろう。しかし推薦とはまだ二年生なのによく考えている。そう考えるシゲはもっと焦るべきかもしれない。


 二人がそんな会話していると廊下から教室に向かって足音が聞こえてきた。同じクラスの生徒だろうか。せっかくの二人きりの時間だったのにと不満げな顔をしたシゲにシオンが耳打ちする。


「あの、シゲ。私のあだ名は二人きりの時だけにしませんか」

「え?」


 思ってもなかった提案にシゲは間抜けに口を開けた。二人だけの秘密というのは実に魅力的だ。だがどうしてそんな提案をするのかと考えれば、シゲには負のイメージしか浮かんでこない。


 シゲとあだ名で呼び合う仲だと思われたくないとか。或いは実は恥ずかしいあだ名だから他の人に聞かれたくないとか。


 悲壮感が漂い始めたシゲの表情に、シオンは苦笑する。


「シゲー? また勘違いしてますね、もう……ほら、前に言ったでしょう。父の権力目当てでやってくる相手は初対面でも名前呼びしてくるって。だから、その。あなたのつけてくれたあだ名を、そういう私に近づくために使われたくないんです」

「ああ、そういうことね」


 シゲには住む世界が違い過ぎて思いつかない理由だった。

 しかし、そうか。他の人には呼ばれたくないのか。そう考えるとシゲは何だか口元が緩んでしまう。自分のつけたあだ名をシオンがそんなに気に入ってくれているなんて。だらしない顔を見せたくなくてシゲは口元に手で隠す。


 ちょうどそのタイミングで教室のドアが開いた。二人が顔を向ける。そこに現れたのはクラスのムードメーカー兼マドンナ、古小浦未希ここうら みきだった。運動のために短く切った髪が汗で煌めいている。太っちょの男子や運動部男子だったら汗拭いてから来いこの野郎と突っ込みたくなるシゲであるが、古小浦相手ではそれもまた魅力としか感じない。現実は非常である。


「あっれー? シゲっちじゃん! あと転校生の花っち。はよー!」

「おはようございます。古小浦さん」

「お……おはよう古小浦さん」

「どしたのシゲっち!? 口なんて抑えて! 体調悪い!?」


 先ほど口元に手を当てたままだったシゲはどうやら勘違いされたようだった。困ったとシゲは眉毛を八の字に曲げる。どう言い訳したモノだろう。


「ああいや。コレは違くてー、えっと。その……鼻かもうとしてただけだから」

「あら? そうだったんですか。どうぞシゲ。ハンカチです」

「大丈夫! ごめん! し……花子さん。それで鼻かむのは罰当たりだ!」


 シオン、もとい花子がいかにも高級そうなハンカチを手渡そうとするのをシゲはぶんぶんと首を振って断った。花子の小首を傾げる様が何とも可愛らしい。


「罰当たりって、シゲ。ハンカチはそういうことのためにあるんですよ?」

「いやいやいや。俺の鼻水なんかで汚せないって」

「……んー? なんかシゲっちと花っち仲良しだね?」


 古小浦がそう言ってシゲと花子を交互に見る。色恋沙汰の好きな女子なら付き合ってるのと邪推しそうなものだが、きょとんとしているところを見るにシゲと花子ではそういう関係には見えないということだろう。

 花子に迷惑はかけたくないが、シゲとしてはそれはそれで不服だった。


「ええ。同じ病院に入院していたんですよ」

「えー!? マジ? すごい偶然じゃんシゲっち。同じ病院にいて退院したら同じ高校とか。やるじゃん! うぇーい!」

「はは……うぇーい?」


 何がうぇーいなのだろうと疑問を抱えたまま、シゲは古小浦のノリに合わせる。コレが陽キャというものなのだろうか。そもそもやるじゃんというがシゲは何もしていないわけで。


「ふんふんふん。そっかそっか。アタシ日直で黒板の文字変えに来ただけだから。二人でどうぞ、ごゆっくりー!」

「あ、ちょ!?」


 ごゆっくりとはどういう意味だ。シゲが誤解を解こうと話しかけようとするが、古小浦は疾風のように過ぎ去ってしまった。いや、嵐のようにだろうか。二人の間にあったほんわかした空気は霧散し、なんだか気まずい空気が流れている。


「あ、あはは。古小浦さん、行っちゃいましたね」

「そ、うだね。し、シオン」


 せっかく二人きりなのにそのまま二人してホームルームまで黙りこくってしまった。何ということだ。その癖、教室に戻ってきた古小浦にはウインクする始末である。


 陽キャとはやはり相容れない。シゲはこの日改めて再確認した。

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