第7話 リ・スタート その2

 復帰早々、朝から小テストを食らってシゲは机の上に撃沈していた。どんなにあがいたところで休んでいて習っていない範囲だ。そんなものが解けるはずもない。ちゃんと学校を休んでいる間も勉強していれば良いだけであるが、シゲはそんな真面目な生徒ではなかった。


「生きてるかー、シゲ」


 聞き覚えのある声にシゲは顔を上げる。机の前には数少ない友人である多良部幹丈たらべ みきたけが立っていた。幹丈はひょろっとしていて背が高い。縁の太い眼鏡をかけ、眉毛とついでに唇も太い。細いのか太いのかどっちつかずな男だ。シゲは親しみを持ってタケと呼んでいた。


「死んでるよー……タケ、なんかまたでかくなったか。ほんとタケノコみたいなやつだな。まだまだ成長期とか、羨ましい」

「おいおい。ボクは運動なんてできないのに身長だけで運動部のやつらにスカウトされて困ってるんだぜ? しょっちゅう頭ぶつけるし、身長をシゲに分けてやりたいね」


 まったく共感できない悩みである。一年生のときにはクラスの中間くらいだったはずなのに、周りの成長期に後れを取ったことで今やシゲは小さいほうから数えたほうが早くなっていた。もらえると言うならごっそり三十センチほどもらいたいところだ。

 いつもの軽口の応酬だが、シゲは少しだけ態度が冷たい。だがタケは鈍感な男のため冷たくされていることにも気づかない。シゲは自分が女々しいことに気づき、率直に尋ねた。


「……タケー。朝、なんで話しかけてこなかったんだよ」

「なんか人気者になってたから、なんか別に今はいいかなって思ってだが」


 そんな理由かとシゲはがっくりと肩を落とす。人付き合いの得意ではないシゲは人の心の機微に疎い。だがシゲ以上に天然故に気づかない男がタケだ。心理戦を挑むにはあまりに相手が悪い。


「しかしシゲ。入院するなら先に一言言って欲しかった。いきなり休みやがってよ」


 タケはぐりぐりと肩にパンチを押し込んでくる。力をあまり込めていないことにシゲはいたわりを感じた。


「いや……それは、うん。そうだな。俺が悪かったよ。ちょっと急ぎだったから」

「全く。で、シゲはどういう系の病気だったんだ?」


 シゲは言葉に詰まる。今朝の芝頭野郎みたいな野次馬精神の好奇心からではなく、タケの場合は本当にただ疑問だ。だからこそどう答えるのが正解かシゲは頭を悩ませた。


「あー……その。内臓系、的な」


 数少ない友人に嘘をつくのは良心が痛む。シゲは嘘でない範囲で答えることにした。


 実際、本当のことを打ち明けるのが正解なのかもしれない。もう心臓は一つでみんなと同じなのだから。だが打ち明けようとするたびに、かつて信じていた相手から裏切られた経験が邪魔をした。

 タケはあのときの友人とは違う。言い出すことはできなかった。


「あー、内臓ね。ボクは肺気胸ききょうってやつになったことあるけどあんまり比較にはならなそうだ」

「……何それ?」

「肺に穴開くやつ」

「やべぇじゃん!?」


 肺に穴が空くとは一体どういう状態なのだろう。穴の開いた場所から空気が漏れたり、穴から出血したりするのでないか。ぐるぐるとシゲの頭に嫌な想像ばかりが浮かんでしまう。


 シゲは病気ではなく正確には生まれつきの体質のようなものである。それに比べたらどう考えてもタケの病気の方が危険な気がした。


「タケそれ大丈夫なのか!? 肺に穴開くとか、そんなの死んじゃうだろ!」

「大丈夫大丈夫。ちょっと深呼吸したときに痛かったくらいだったぜ」

「痛覚まで鈍感なのかお前!?」


 シゲがあらぶっていると、どしたどしたと一人会話に割り込んでくる。誰だと顔を向けたタケは驚きのあまり硬直した。参戦してきたのがクラスのマドンナ、古小浦ここうらだったからだ。


 本来ならシゲもタケのように硬直するところだが、混乱した頭がドギマギよりも友人の心配に勝っている。本来なら話すことさえもないシゲが自分から話しかけていた。


「ああ、古小浦さん! 肺に穴って開いたらヤバいよな!? 死んじゃうよな!?」

「いやいや死なない死なない。肺気胸ってやつでしょ? 心配性だなぁシゲっち。割とよくあるらしいよー?」

「そ、そうなのか……知らなかった」


 今朝シゲと古小浦が話していたことなど知るはずもないタケはいつの間にか友人がクラスのマドンナと会話している状況に呆気に取られていた。


「肺気胸なっちったの? タケっち」

「は、ひぇ、あ、う……そっ……すね。も、治って……マス」


 タケが肺に穴が空いたというか過呼吸みたいになっている。シゲは先ほどの肺に穴が空いたという話を聞いていたので、緊張で声が出ないだけだなんて想像もできず大丈夫かとひたすらにハラハラしていた。


「まー、てことで平気だって! よかったねシゲっち」

「平気……なの、アレ?」

「タケっちはアタシと話すといつもだからダイジョブっしょ」

「え? あ、何? そういうこと?」


 あははと古小浦が笑う。じゃ、と言ってそのまま去っていった。相変わらず言いたいことだけ言って去っていく嵐のような人である。


「なんだよ驚かせやがって……タケどうした!?」


 安心したのも束の間、タケががっくりと項垂れていた。まるでしなびたひまわりである。


「ぼ、ボクって、古小浦さんに好きなのバレてんの……?」

「あー……うん。ぽいね」


 なんだ。そんなことか。

 シゲはタケを放っておくことにした。一目瞭然であるが上に、クラスの大半は古小浦さんが好きだ。そんなことが今更知られたところでそんなダメージ受けるほどではないだろう。しかし……。


「好きって言われ慣れてる人は違うなぁ」


 シゲはそうぼやく。古小浦には余裕が透けて見える。ぼんやりとシゲはシオンのことを考えた。


 病床の彼女だが、確か退院したらどこかの学校に通うと言っていたはずだ。シオンは美人だから好きと言われ慣れて、自分から好きと言われてもあんな風に流すようになってしまうのだろうか。


 そう考えると憂鬱だった。叶うなら彼女の同級生になりたい。


 大した信心もない癖にシゲは手を合わせて神様に願っていた。

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