第4話 人は恋をする生き物で その3

「いってぇ!?」


 病室に戻ってきたシゲのうめき声が響く。ついでに頭の痛みもガンガン響いている。

 春日井かすがいが拳骨を握りしめて振り下ろしたためだ。そしてくどくどと説教が続いていた。


小堂こどうくん、病室を勝手に抜け出して僕ぁがどれだけ心配したと思ってるんだい。外の空気が吸いたいなら、そう言ってくれればよかったじゃないか」

「外に行きたいって言いましたよ、俺」

「当たり前だよ。三日目で外に出るなんてねぇ、そりゃとんでもないね」


 ならやっぱり抜け出すしかなかったじゃないか。


 シゲは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。言ったところで説教が長引いてしまうだけと理解していた。なのに先ほど反論したのは飲み込めなかった分である。せっかく飲み込んだのに、シゲの口から違う文句が出てしまった。


「それにしたって先生。げんこつなんてひどいじゃないですか。こう見えても病人ですよ、俺」

「なぁに。抜け出せるぐらい元気があるなら平気さ。愛の拳だよ」

「そんな愛いらないですね」

「遠慮するこたぁないよ。ほら、もっとあげよう」

「いでででででで!」


 シゲのこめかみを挟むようにして、春日井が拳をぐりぐりとめり込ませる。理不尽を感じたシゲはまたしても不満を述べた。


「いったいなぁ。先生、彼女に暴力とか振るうタイプでしょ……」

「まさか。僕ぁそんなことしないよ。それはそれは大事にするとも。だからある意味、君は彼女より特別なわけだね」


 シゲは舌を出して吐くような仕草をする。

 そんな特別ドブにでも捨ててしまえ。


「まぁ、今の世の中ね。何でもかんでも他人の声に振り回されてるんじゃないかって僕ぁ思うわけだよ。躾にはある程度の暴力は必要さ。悪いことをした子どもの尻は積極的に叩くべきだと思うね」

「俺は……ああ、いや。それはそうだと思いますけど」


 俺は頭を殴られたと言いかけたシゲだが、今度はズボン降ろされて尻を叩かれる可能性があることに気づいて自制する。

 高校生にもなってそんな仕打ちをされたら本当にトラウマになってしまう。


「春日井先生。お客様がお見えですよー」

「ありゃ、どなたかな? 今行くよ。とにかくだ。小堂くん、これに懲りたら抜け出したりしないことだ」

「はーい。せんせー」


 ナースに呼ばれて病室を出ていく春日井をシゲは手を振って見送った。



 * * * * * *



「……ってことがあったんだよ。シオン」

「あの、シゲ? 思いっきり先生に止められてませんでしたか?」


 翌日の朝、花子――もといシオンのところにシゲは足を運んでいた。その話を聞かされたシオンは白い目でシゲのことを見ている。


「駄目って言われると、ついね。ほら。前に言ってたパブロフの犬とかいうやつだよ」

「元気みたいだからいいけれど、ダメじゃないの。もう」


 注意する割にはシオンはどこか嬉しそうだった。話し相手が欲しかったのだろう。ずっと一人というのは陰鬱な気分になるものだ。苦労して来たかいがあるとシゲはシオンに見えないように右脇の下をさすった。


「俺の心配をしてくれるのは嬉しいけど、シオンこそ大丈夫? 話してるのが疲れるなら、俺が勝手に話してるから聞いてくれてるだけでいいんだけど」

「お気遣いどうも。でも大丈夫よ。お話はいつもお母さんとしているから」

「いつも?」

「ええ。昨日もあなたが帰った後に来ていたわ」


 そうなのか、とシゲは少し顔を曇らせる。

 自分がいるのは迷惑じゃないだろうか。シゲがそう思い至ったのを感じ取ったのか、シオンは笑いかける。


「大丈夫よシゲ。お母さんは朝は弱いからすぐには来ないわ」

「そうなの?」

「ええ。だからそれまで話し相手になってくれる?」

「も、もちろん! 何を話そうかな、えっと」


 現金なもので相手から求められた途端にシゲは顔を明るくした。ずっと待てをされていた犬が良しと言われたときのようである。それが表面上でしか会話のできない相手との交流ばかり求められるシオンには非常に新鮮だった。


「ふふ。じゃあ最新の刑事ドラマについて語りましょ」

「あー、あのゾンビの蔓延る世界の殺人事件のやつ?」

「そうそれ! 私とても気に入ったの。斬新だわ!」

「いやB級映画みたいっていうかなんていうか」

「びーきゅう?」

「あ、いや。なんでもない。話そっか」


 歯切れの悪いシゲにシオンは首を傾げる。斬新だと喜んでいる相手に、実は結構あると告げるのは無粋だろうとシゲはその辺りは隠して話した。


「――結局死体の処理の仕方がゾンビに処理させる一択なのがなー」

「そうね。でもシゲ、ゾンビだらけの世界だし仕方ないんじゃないかしら」

「そもそもゾンビにしちゃえばいいのにっていうのもあるんだよなぁ」

「そこはあれよ。相手への恨みを発散させるためよ!」


 喜々としてゾンビだの恨みを発散だのと語る令嬢はなかなかお目にかかれないなとシゲは苦笑いする。もしかしたらB級映画もネタとしてじゃなくて純粋に評価しそうなところがシゲは少しだけ怖かった。


「まぁ、ツッコんだらキリがないな。殺人事件よりゾンビをどうにかしろって言うのはあるね」

「ふふ。でもそれを放置してるところも含めてエンタメよ」


 もしかしたらがちょっと現実味を帯びてシゲは戦慄する。でも真剣にB級映画を考察するシオンを見るのもおもしろいかもしれないなとその姿を想像してにやけた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまって時計を見たシオンが、あっと声を漏らした。シゲは慌てて病室へと戻る支度をする。


「ああ、ごめんシオン。長居しちゃったかな」

「ううん、たのしかったわ。またね」

「……! うん! また明日!」


 手を振ってシゲは病室を後にする。また、と言われたのが嬉しかった。

 明日が来るのが待ち遠しいと感じたのはいつぶりだろう。灰色がかった景色が色付いている。


 少年は今、恋をしていた。

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