第13話
博青と別れ、教えてもらった廊下を進んでいた鈴花は、いくばくも行かぬうちに立ち止まった。教えてもらった通りなら、そろそろ掌食の棟が見えるはずなのだが、それらしいものはまったく見えない。
また迷ってしまったかと周囲を見回したところで、ちょうど廊下の先を曲がってきた数人の宮女を見つけた。妃嬪の宮から食事を下げてきた帰りだろうか。それぞれが手に器を載せた盆を持っている。宮女達のお仕着せはお
助かった、道を教えてもらおうと宮女達のそばへ行こうとすると、それより先に、鈴花に気づいた宮女達が駆け寄ってきた。
「あなた! 今日、珖璉様のお供をしていた宮女よね!?」
「えっ!? はい……っ」
勢いに吞まれながら頷くと、宮女達の目が吊り上がる。
「いったいどういうつもりなの!?」
「なんであんたみたいな貧相なのが、お美しい珖璉様の供なんてしているのよ!?」
「どうやって取り入ったのか白状なさいよ! どうせロクな手段じゃないでしょう!?」
「えっと……」
詰め寄る宮女達の勢いにたじろぎ、一歩後ずさる。が、すかさず距離を詰められた。
「あんた、掌服の宮女だったんでしょう!? 知り合いから聞いたわよ! とんでもない役立たずの新入りが入ってきたって!」
一人の宮女の糾弾に、他の宮女が色めき立つ。
「何ですって!? そんな
「いったいどんな不正をしたのよっ!?」
「ち、違います! 不正なんて……っ」
ぶんぶんと首を横に振るが、宮女達は納得してくれない。
「噓おっしゃい! 不正でもしない限り、あんたみたいなちんちくりんが、麗しい珖璉様の侍女になれるはずがないでしょう!?」
宮女達の言うことは嫌というほどわかる。鈴花自身、自分が珖璉に仕えているのが信じられないでいるのだから。
「どんな手を使ったのか知らないけど、あんたなんかが珖璉様にお仕えするなんて、身の程知らずなのよ!」
宮女の一人が、やにわに盆の上の器のひとつを摑んで振りかぶる。
よけなくてはと思うのに、恐怖に身体がすくんで動けない。襲い来る痛みを覚悟して、固く目を閉じた瞬間。
ぐいっと力任せに腕を引かれる。とすりと何かに当たると同時に、爽やかな香の薫りが鼻をくすぐった。がしゃんっ、と投げられた器が割れた耳障りな音が、夜気を破るように響く。
「──わたしの侍女に、何用だ?」
聞く者の心を凍らせずにはいられない、氷よりも冷ややかな声。
「お、お許しくださいっ!」
ざっ、と宮女達がひざまずいた
おそるおそる目を開けた鈴花は、
「無意味な謝罪は不要だ。おぬしらは掌食の者だな。名は?」
お許しくださいお許しくださいと、すすり泣きながら、宮女達が珖璉に名を告げる。宮女達の怯えがうつったかのように、鈴花も身体の震えが止まらない。
「沙汰は追って下す」
淡々と告げた珖璉が、鈴花を抱き寄せていた腕をほどき、踵を返す。
解放され、鈴花はほっと息を吐き出すと同時に思わずその場にくずおれそうになった。が、それよりも早く、腕を取った珖璉が鈴花を引っ張る。とたた、と鈴花はおぼつかない足取りで珖璉を追った。
恐怖と緊張のせいだろうか。まだ、心臓がばくばくと高鳴っている。
「なぜ、一人であんなところにいた? 禎宇はどうした?」
廊下の角を曲がったところで、珖璉が振り向きもせず鈴花に問うた。
「その、掌食にお茶の葉をもらいに行く途中でして……」
珖璉から発される威圧感に震えながら答えると、突然、珖璉が立ち止まった。うっかりぶつかりそうになり、あわてて立ち止まる。
「掌食!? 正反対だろう!?」
「そうなんですか!?」
振り返った珖璉に呆れ果てた様子で告げられ、驚いて問い返す。
「ちゃんと禎宇さんに教えていただいてから出たんですけれど。その、途中で迷ってしまって……」
「そういえば、初めて会った時も、迷ったと言っていたな」
「す、すみません」
情けなさに身を縮めて詫びる。
「私は掌食でお茶の葉をいただいてから戻りますので、珖璉様は先にお帰りください」
珖璉に摑まれていた手を引き抜き、身を翻そうとすると、ぐいっと肩を摑まれた。
「よい。茶葉など禎宇か朔に任せておけ。そもそも、ここから掌食へ行けるのか?」
「それは……」
視線をさまよわせたところで、大切なことに気づく。
「助けていただいてありがとうございました!」
深々と頭を下げる。
「珖璉様が通りかかってくださらなかったら、私……っ」
ぶるり、と恐怖に身体を震わせる。だが、それが器を投げられそうになったからなのか、珖璉の冷ややかな怒りを目にしたからなのか、鈴花自身も判断がつかない。
「偶然、通りかかっただけだ。だが」
黒曜石の瞳が、鋭く鈴花を睨みつける。
「よいか。わたしの侍女となったからには、今後、あの程度の小物などに侮られるな」
「えぇっ!?」
厳しい声で告げられた命令に、思わず情けない声が出る。
「無茶です! だって、私は役立たずの下級宮女で……っ! そんな私がお美しい珖璉様のおそばにお仕えしてたら、そりゃあ周りだって面白くないに決まってますよっ!」
「はっ、『お美しい』か」
鈴花の言葉に、珖璉が嘲るように吐き捨てる。
「若い娘でもあるまいに、見た目に何の意味がある? 官吏に必要なものは能力のみだろう?」
怒りと苛立ちに満ちた声に、反射的に身体が震える。だが、口は勝手に動いていた。
「で、でも、昼間に姉さんの同僚さんからすんなりと情報を得られたばかりか、協力まで取りつけられたのは、珖璉様のおかげじゃないですか! 皆さん珖璉様にうっとりと見惚れて……。たとえ、ご自身では価値がないと思われていても、珖璉様が光り輝く美貌をお持ちだというのは誰もが認めるところですよ! ……あっ、いえ、私には珖璉様が実際に光って見えるので、あんまりよくわからないんですけれど……っ」
話しているうちに上司に向かって反論しているのだと気づき、尻すぼみになる。鈴花などが抗弁するなんて不快に思われただろうか、とおずおずと珖璉を見上げると。
珖璉が目を見開き、呆気にとられた顔で鈴花を見下ろしていた。かと思うと、ぷっ、とこらえきれないとばかりに吹き出す。
「そうか。お前にとっては、余人と変わらんか」
笑うと、いつもの堅苦しくて張りつめた雰囲気が霧散する。
「えっ、いえ! あの、珖璉様のお顔立ちがとんでもなく整ってらっしゃるのはわかっておりますよ!?」
驚きながらも、あわててぶんぶんと両手を振り弁明するが、珖璉は楽しげに笑うばかりだ。なぜ急に珖璉が機嫌を直したのか、鈴花にはさっぱりわからない。
「そういえば、なぜ禎宇ではなく、方向音痴のお前が掌食へ行くことになったのだ?」
「禎宇さんがお菓子をくださるっておっしゃったんです! そんな禎宇さんに行っていただくなんて申し訳なくて、代わりに私が来たんです」
説明しているうちに、どんどん気持ちが
「お菓子をいただけるなんて、官正様ってすごいんですね! しかも私なんかにまで菓子をくださるなんて……っ! 嬉しすぎます!」
珖璉の侍女になってよかった点はと問われたら、鈴花は迷わず、おいしいご飯を三食いただけることだと断言する。
鼻息も荒く説明する鈴花を眺めていた珖璉が、不思議そうに首をかしげた。
「菓子が、それほど嬉しいのか?」
「もちろんです! だって、お菓子なんて、村の祭りの時に年に一度食べられるかどうかなんですよ!? 食べると甘くって嬉しくって、幸せになりますよねっ!」
こくこくこくっ、と頷くと、ふたたび珖璉がふはっと吹き出した。
「わたしのそばに仕えることになって、菓子が食べられると喜ぶ者は初めてだ」
くつくつと笑いながら、珖璉が踵を返す。
「行くぞ。一晩中、後宮を
「はいっ」
ただ歩くだけでも
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