第11話

 朝食は泂淵にあれこれ質問されたり、蟲招術についての話を聞いたりと、すこぶるにぎやかだった。食事の後、禎宇が桶に入れて持ってきてくれた湯で簡単に身を清め、掌服とは異なるお仕着せに着替えた鈴花は、隣室へ移動した。


 泂淵は王城へ参内し、禎宇も席を外しているらしく、卓に残っているのは珖璉だけだ。書き物をしていた卓から顔を上げた珖璉に、鈴花は深々と頭を下げる。



「私なんかにこんな立派なお仕着せをご用意いただきましてありがとうございます」



 禎宇が用意してくれたお仕着せは、下級宮女に与えられる麻の衣ではなく、綿の布地だ。ごわごわした麻と異なり、肌触りがよい。



「官正であるわたしの侍女なのだからな。下級宮女と同じというわけにはいかんだろう」



 淡々と告げた珖璉が、筆を置いて立ち上がる。



「行くぞ。ついてこい」


「どちらへですか」



 歩き出した珖璉を追いかけながらあわてて問う。扉に手をかけた珖璉が振り返らずに告げた。



「これから、宦官達が多くいる棟を回る。もし術師や何らかの《気》を宿した道具を見つけたら、それとなくわたしに知らせろ」


「それとなくと言われましても……。あっ、その、宦官のお腹に入っている宦吏蟲は無視していいんですよね?」



 念のために確認すると、珖璉が驚いたように足を止めて振り返った。



「そんなものまでわかるのか!?」


「はい、うっすらとしか見えませんけれど……。どの宦官の方も、下腹部だけに《気》が宿っているのはわかります」


「それほどとは……。見気の瞳の利用価値は計り知れんな」



 感心したように呟いた珖璉に、鈴花は身を乗り出す。



「あのっ、棟を回るということは、掌寝にも行きますか!?」



 掌寝とは、妃嬪に仕える侍女達とは別に、妃嬪の宮を掃除したり、調度を整えたりする係だ。



「なぜ、そんなことを聞く?」



 いぶかしげな珖璉に、熱心に説明する。



「姉さんは掌寝の担当なんです! ですから、掌寝の方々に姉さんのことを聞きたいとずっと思っていたんですけれど、まったく機会がなくて……っ!」



 後宮は広い上に、部門ごとに起居する棟も異なる。奉公に来て以来、なんとか行く機会がないかとうかがっていたものの、ふだんの仕事すら満足にできず、朝から晩まで働き通しの鈴花には、手の届かぬ場所だったのだ。



「なるほど。術師や禁呪の気配がないか、しっかり見るというのなら、連れて行ってやらんこともない」


「はいっ、頑張ります! しっかり見ますから連れて行ってください!」



 両手をぐっと握りしめて請け負う。



「そこまで熱心に言うのなら、掌寝から行くか。……もともと、掌寝は調べねばと思っておったしな」


「ありがとうございます!」



 まさか、すぐに掌寝に行けるなんて。取引を持ちかけてよかったと心から思う。



「ですが、掌寝に何かあるのですか?」



 歩き始めた珖璉の後ろに付き従いながら、問いかける。



「ああ。実は、宮女殺しの他にも厄介事が持ち上がっていてな」



 人気のない廊下を進みながら珖璉が教えてくれたところによると、ここ最近、妃嬪や侍女の部屋から、かんざしくしなどの装飾品が盗まれる事件が発生しているのだという。


 装飾品に最も多くふれるのは、妃嬪のそば近くに仕える侍女達だ。だが、侍女達は後宮が雇っている宮女達と違い、敵の多い後宮で妃嬪達が己を守るために連れてきた身元の確かな者達ばかり。何より、盗難事件はいくつもの宮で発生している。侍女が他の宮へ行くのは、使いの時か、妃嬪の供として付き従う時くらいだ。


 となれば疑わしいのは宮女か宦官。さらにいうなら、宮に入って掃除などを行う掌寝の者が怪しいが……。


 不祥事が起こらぬよう、掌寝には特に優秀で品行方正な者を集めており、高価な品を扱う際には、必ず複数人であたるよう徹底させているのだという。にもかかわらず盗難事件が続き、何も手がかりが出てこないということは、複数で組んで巧妙に盗んでいるのか、それとも官正である珖璉が把握していない術師が絡んでいるか……。


 宮廷術師でない術師が後宮に入ることは固く禁じられているが、術を使っているところを目撃でもしないかぎり、たとえ術師であっても、他人が術師かどうか見極めることはできない。



「そこで見気の瞳を持つお前の出番だ。術師や《気》を宿した物を探せ。ささいなことでもよい。洩らさずわたしに報告しろ」


「はい!」



 珖璉の厳しい声にこくこく頷く。果たして鈴花などに珖璉が望む働きができるかどうか、甚だ疑問だが、姉を見つけるためにもやるしかない。


 珖璉の私室から掌寝の棟までは、さほどかからなかった。だが、長い距離を歩いたわけでもないのに早くも鈴花が疲労を感じているのは、これまで感じたことのないしつけな視線にさらされ続けているためだ。


 なんせ、珖璉が通るだけで、ありとあらゆる宮女と宦官が魅入られたように見惚れるのだ。次いで、珖璉に付き従う鈴花を見て、信じられぬと言わんばかりに全員がぎょっと目を見開く。突き刺すようなまなざしは、なぜ鈴花などが珖璉の供をしているのかと、無言で責め立てるかのようだ。針のむしろに座らされている心地だ。


 確かに、珖璉の美貌は見惚れずにはいられない。薄ぼんやりとしか見えない鈴花でもそう思うのだから、はっきり見える宮女達が、全員惚けたように視線を外せなくなるのもわかる。


 が、珖璉をうっとりと見つめるとろけたまなざしと、鈴花をにらみつけるやいばのような視線の落差が激しすぎて、正直恐ろしい。もし視線が針と化していたら、今頃、鈴花は針山になっているに違いない。鈴花が恐怖に震えているにもかかわらず、珖璉は慣れているのか、澄ました顔でよどみなく歩いていく。


 と、廊下の向こうに、掌寝のお仕着せを着た人のさそうな顔立ちの四十過ぎの宮女の姿を見つけて、鈴花は思わず珖璉の袖を引いた。



「どうした?」



 初めて歩みを止めて振り返った珖璉に、緊張しながら懇願する。



「あのっ、姉さんのことを聞いてきてもいいですか!?」


「かまわんが、余計なことは言うでないぞ」


「はい、気をつけます」



 こくんと頷き、珖璉を追いこして宮女に駆け寄る。



「こんにちは。あのっ、菖花という掌寝担当の宮女がどこにいるか、知ってますか!?」


「え? ああ、何だい?」



 珖璉に見惚れていた宮女が、初めて鈴花に気づいたと言いたげに視線をよこす。



「菖花という宮女について、教えてもらいたいんです!」



 勢い込んで尋ねると、「菖花?」と宮女が目を丸くした。



「菖花なら、しばらく前に、急に故郷へ帰ったよ」


「えっ!?」



 凍りついた鈴花をよそに、宮女がふう、とためいきをつく。



「よく仕事ができた子だったから、いなくなって痛手だったんだけど……。ご両親がり病で亡くなったんだってねぇ。なんかタチの悪い宦官にも絡まれてたみたいだし、本人にとっては、故郷に帰れることになってよかっただろうね」


「両親は亡くなったりしていません! それに姉さんは故郷に帰ってなんて……っ!」



 思わず宮女に言い返す。


 両親は、故郷でぴんぴんしている。いったい、この宮女は誰のことを言っているのか。なおも反論しようとした瞬間、ぐいと肩を引かれた。よろめいて、とすりとぶつかった拍子に、爽やかな香の薫りが鼻をくすぐり、誰が肩を摑んだのか振り返らずとも察する。



「菖花が後宮を出たのはいつだ?」



 突然、珖璉に話しかけられた宮女が、きようがくに目を見開く。



「おい、聞こえているか?」


「は、はひっ! に、ににににに二か月前でございますっ!」



 鋭い声音に、宮女が弾かれたようにうわずった声で答える。



「……となると、一人目が出るより前だな」



 一人目というのは、殺された宮女のことだろうか。


 鈴花は思わず珖璉を振り仰ぐが、何も言うなと目線だけで制され、口をつぐむ。



「菖花に絡んでいた宦官というのはどんな輩だ? 同じ掌寝の者か?」



 夢見心地で珖璉に見惚れていた宮女が、千切れんばかりに首を横に振った。



「わ、わたくしは噂で聞いただけでございまして、くわしいことはさっぱり……っ! あのっ、珖璉様がお知りになりたいということでしたら、同輩達に確認して、後ほどご報告いたします! ええっ、わたくしにお任せくださいませっ!」



 鼻息も荒く宮女が身を乗り出す。鈴花も驚くほどの勢いだ。この調子ならすぐに姉を見つけられるのではと期待すると同時に、珖璉の美貌の威力に感嘆する。



「そうか。では頼む」


「は、はいっ! お任せくださいませ!」



 すげない珖璉の返事だというのに、宮女の表情は今にも天に昇りそうなこうこつに満ちあふれている。



「他に、菖花が後宮を出る前に何か変わったことは?」


「その、急に出ることになったのでこれと言っては……っ。わたくしもいつ菖花が出たのか知らぬくらいでございまして……っ! そ、そういえば、宮廷術師の博青様と何やら立ち話をしているところを見ましたでございます!」


「博青と?」



 珖璉の呟きに、鈴花は昨夜、宮女殺しの現場で会った人の好さそうな顔立ちの青年を思い出す。泂淵の弟子と聞いたが、師匠と違って、とても真面目そうな印象だった。



「そうか。もしまた何かわかったことがあったら教えてくれ」


「はひっ! 珖璉様のお望みでしたらいくらでも!」



 こくこくこくっ、と壊れた人形のように宮女が頷く。が、視線はずっと、珖璉の端麗な面輪に固定されたままだ。



「では行くぞ」



 珖璉に声をかけられ、鈴花は我に返った。「は、はいっ」と珖璉の後について歩くものの、先ほど宮女に言われたことが頭の中をぐるぐると回って、足元がふわふわする。



「よく見ておけよ」



 珖璉の命に応え、すれ違う宮女や宦官達を見ていくが、視界には入るのに、ろくに見えない。ぼんやりと眺めるだけだ。宮女達が鈴花にそそぐ鋭い視線すら遠く感じる。


 掌寝の棟を回り終え、ついで後宮内の食事を担当する掌食の棟へ移動するところで。



「こ、珖璉様……っ」



 余人の姿が見えなくなった瞬間、鈴花はこらえきれずに珖璉に呼びかけた。



「姉さんがいなくなったのは、昨日の事件と何か関係があるんでしょうか!? だって、故郷の両親は元気で、なのに姉さんは帰ってこなくて……っ」



 夕べ見た遺体や、今朝がた見た悪夢が頭の中を巡り、震えが止まらなくなる。



「落ち着け。今の状況ではまだなんとも言えん。菖花に絡んでいたという宦官がどんな輩かもわからぬしな」



 珖璉の落ち着いた声音に、ほんのわずかに冷静さを取り戻す。縋るように端麗な面輪を見上げると、珖璉は苦い表情のまま言を継いだ。



「だが……。やけに手が込んでいる。これまでの被害者はみな、夜更けに部屋を抜け出したり、夕刻の人気のない時間帯に一人になった者が狙われていた。確かに、三人目までは隠そうとしていたようだが、最近はすぐ気づかれても構わんと言わんばかりに開き直っている」



 珖璉が記憶をなぞるように低い声で呟く。



「……ということは、まだ発見されていない一人目の可能性もあるのか……?」


「っ!?」



 珖璉の推測に、恐怖のあまりかくんと膝から力が抜ける。



「おいっ!?」



 廊下にくずおれそうになったところを、珖璉の大きな手に腕を摑まれた。



「しっかりしろ。まだお前の姉が犠牲者だとは限らん」


「で、でも……っ」



 かたかたと歯が鳴って、うまく言葉が紡げない。



「しゃんと立て」



 ぐいっと力任せに引き起こされ、たたらを踏む。



「わぷっ」



 胸板にぶつかった拍子に爽やかな香の薫りが揺蕩い、ぱくんと心臓が跳ねる。



「実際に菖花がどうなっているかはわからん。だが、妹のお前が生きていると信じてやらねば、他に誰が信じる?」



 怒ったような声。だが、なだめるように鈴花の背を叩く手は、確かな励ましに満ちていた。



「そう……、そうですよねっ! 姉さんはきっと生きていますよね……っ!」



 すっくと自分の足で立ち、珖璉を見上げる。


 今朝、鈴花が申し出た取引に、珖璉は確かに応じてくれた。鈴花が頑張れば頑張るだけ、姉についての情報を集めてくれるはずだ。



「私、もっと頑張ります! あっ、掌寝では術師や《気》が宿った物などは見つかりませんでした!」


「そうか。では、次へ行くぞ」



 気合をこめて報告した鈴花にあっさり頷くと、珖璉は踵を返して歩き始めた。

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