第10話
「え……? ええぇぇぇっ!? わ、私が珖璉様付きの侍女だなんて、そんな……っ! 無理ですっ!」
ぶんぶんぶん! と千切れんばかりに首を横に振る。
「やってもいないのに、なぜわかる?」
「わかりますよ! 下級宮女の私なんかが官正の珖璉様にお仕えするなんて、絶対に、ご迷惑ばかりおかけするに決まってます!」
ぷるぷると震えながらかぶりを振る鈴花に、珖璉の後ろに控える禎宇が苦笑をこぼす。
「ふつうなら、珖璉様付きになると知ったら、大喜びするところなんですがねぇ」
鈴花の脳裏に甦ったのは、昨日、珖璉が侍女を一人融通してほしいと掌服にやってきた時の宮女達の恐ろしいほどの熱気だ。
粗相をしたら一発で首が飛びそうな珖璉の侍女になりたいだなんて、正直、鈴花には気が知れない。半泣きになっている鈴花をなだめるように、茱栴が遠慮がちに口を開く。
「珖璉様。差し出がましいと承知しておりますが……。この者を宮廷術師として召し上げられるおつもりでしたら、私が預かって術師としての基礎をお教えいたしましょう。珖璉様がわざわざ手をかけられる必要は──」
「いや、鈴花はわたしのそばに置く」
珖璉の決然とした声が、茱栴の言葉を断ち切る。
「蟲招術を使えぬのは惜しいが、見気の瞳は、それを補って余りある。というか、此奴に侍女としての働きなど、
珖璉の言葉に、鈴花はまじまじと銀の光に包まれた端麗な面輪を見つめる。と、珖璉が茱栴に視線を向けた。
「すまん、引き留めてしまったな。そろそろ行かねば、
「……かしこまりました。お気遣いいただきありがとうございます」
物言いたげな様子で珖璉と鈴花を交互に見やっていた茱栴だが、結局、それ以上は何も言わず、一礼して巻物を抱えて部屋を出ていく。
ぱたりと扉が閉まったところで、鈴花はおそるおそる尋ねた。
「珖璉様は、私に何をさせるおつもりなんですか……?」
「ほう。今回は察しがよいな」
珖璉がからかうような笑みを見せる。が、鈴花にとっては笑い事ではない。
「そもそも、いま後宮で何が起こっているんですか……っ!? 夕べ、八人も亡くなっているとおっしゃっていましたよね!? も、もしかして姉さんも……っ!?」
夕べ見た宮女は姉ではなかった。だが、今まで殺された七人の中に菖花が入っていないとは限らない。
立っていられず、へなへなと座り込む。かたかたと鳴る歯の音がうるさい。全身から血の気が引き、このまま板張りの床へ沈み込んでいく心地がする。
珖璉がいぶかしげな声で問うた。
「姉とは、どういうことだ?」
「わ、私、音信不通になった姉さんを捜すために奉公に来たんです! 二か月前に変な手紙が来て以来、ぱったりと便りが途絶えて、それで……っ!」
恐怖に強張る口を動かし、必死に説明する。もし姉の身に何かあったらと考えるだけで、恐怖に気が変になりそうだ。唇を嚙みしめて震えていると。
「姉の名は何という?」
静かな声で問われ、鈴花は床に座り込んだまま、卓につく珖璉を見上げた。
「し、菖花です……」
「菖花、か」
呟いた珖璉がわずかに口の端を上げる。
「今までの被害者の中に、菖花という名の宮女はおらん」
「本当ですかっ!?」
思わず身を乗り出と、珖璉が端麗な面輪をしかめた。
「お前に噓を言ってどうする? まあ、音沙汰無しに消息不明になっておるのだ。事件に巻き込まれている可能性は否定できんが……」
「でも、無事でどこかにいるという可能性もあるということですよね!? もしかしたら、悪い
「わたしはただ、殺された宮女の中にお前の姉の名はないという事実を言ったにすぎぬ。それをどう取るかはお前次第だ。……まあ、わたしなら」
珖璉が、痛みをこらえるかのように形良い眉を寄せる。まるで、幼子の無邪気な願いを踏み潰すのを、
「予想が外れて絶望の
「ですが、姉さんが生きているかもしれないのなら、私はその可能性を信じます!」
珖璉の身分も忘れて、思わず反論する。
「なんとしても姉さんを捜し出してみせますっ!」
「どうやってだ?」
「それは……っ」
間髪入れず投げられた問いに口ごもる。
そうだ。鈴花は一介の下級宮女でしかない。どうすれば、姉を捜し出すことができるだろう。故郷の村では、役立たずの鈴花を優しい菖花がずっと助けてくれていた。だが、今ここに頼りになる姉はいない。自分の力だけでなんとかしなければならないのだ。
きつく唇を嚙みしめた鈴花の脳内に、不意に天啓のようにある考えが
こんなことを口にしたら、珖璉に𠮟責されるに違いない。だが、今が鈴花に与えられたただ一度の好機だ。今を逃せば、きっと、こんな機会は二度と得られない。
下級宮女の鈴花が、官正である珖璉に取引をふっかけるなんて。
緊張に喉がひりつく。ばくばくと心臓が騒いでうるさい。
「あ、あの……っ」
「何だ?」
珖璉が視線を寄越す。静かなまなざしなのに、見つめられるだけで委縮して「何でもありません!」と謝りたくなる。
だが、今だけは退くわけにはいかない。
ぐっと下唇を嚙みしめると、鈴花は勢いよく顔を上げ、珖璉を見上げた。
「お、お願いがあります……っ!」
絞り出した声は情けなくかすれている。けれど、意志の力を振り絞って、珖璉から目を
「珖璉様は、私に宮女殺しの犯人を捜させるおつもりなのでしょう……? 犯人捜しを手伝う代わりに、姉さんを捜してくださいっ!」
告げた瞬間、珖璉が目を見開く。珖璉が言葉を放つより早く、鈴花は額を床にこすりつけた。
「私ができることは何でもします! ですから、どうか姉さんを……っ! なにとぞお願いいたします!」
身体が勝手に震え出す。自分は今、大罪を犯しているのではないだろうか。役立たずの鈴花が本性を謀り、さも役に立ちそうな風を装って、取引をもちかけるなんて。
でも、鈴花にはこれ以外に姉を捜し出す手立てが思い浮かばない。
「……わたしに、お前と取引せよ、と?」
感情を感じさせない珖璉の声に、びくりと身体が震える。ぎゅっと拳を握りしめた拍子に、がりりと爪が床板を引っかいた。
「そうです! 官正の珖璉様なら、私などより、いろいろな情報を得られるのでしょう!?」
ぐっと顔を上げ、もう一度珖璉を見上げる。珖璉が何を考えているのか、表情を消した面輪からはうかがえない。
だが、夕べ珖璉は吐いてしまった鈴花を気遣うだけでなく、ねぎらってくれたのだ。姉以外に褒められたことのない、役立たずの鈴花を。
自分に都合のいい妄想かもしれない。だが、今の鈴花には、珖璉に
「どうか……っ!」
床に額をこすりつけ、震えながら珖璉の返事を待っていると。
「……お前の事情は承知した」
珖璉の静かな声が降ってきた。
「お前がやる気に満ちているなら、こちらとしても好都合だ。お前の申し出に、乗ってやろう」
「本当ですかっ!? ありがとうございます!」
ほっとした瞬間、緊張に忘れていた空腹が甦り、ふたたびお腹がくぅ~っと鳴る。壁際に控えていた禎宇がぶはっと吹き出し、笑いながら提案した。
「とりあえず、鈴花に必要なものは朝ご飯のようですね。すぐに用意しましょう」
「あ、ありがとうございます。あの、用意をお手伝いします!」
顔が火照るのを感じながら、鈴花はぺこりと頭を下げた。
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