第5話 侍女の派遣を請う
「あっれー? レイヴァン、どうしたの? 今日はグランテーレ国からの結婚相手が来る予定じゃなかったっけ?」
仕事机から顔を上げて揶揄する言葉を軽い口調で述べるのは、サンティルノ王国の王太子殿下、アルフォンス・スコット・サンティルノであり、今回の元凶だ。
本来なら政略結婚において、敗戦国の王女は戦勝国の王太子に嫁ぐことになるはずだが、彼は、自分には愛する婚約者がいるので無理だと断った。しかしグランテーレ国側から和平のための婚姻なのでと食い下がられたところ、従兄弟でもあり、このたびの戦を率いた騎士団長との婚姻で構わなければと、私の了解も得ずに勝手に取りつけたのだ。
彼の机には、彼を取り囲むように山ほどの書類が積み重なっていて今にも崩れ落ちそうだが、ざまあみろとしか言いようがない。
「ああ。来た。だからここに来たんだ」
私は、勝手知ったる王太子殿下の執務室のソファーに身を沈めた。
「何で? 戦いの神も恐れをなす天下のレイヴァン・シュトラウス公爵閣下ともあろう者が、か弱い女性相手に尻尾を巻いて逃げてきたの?」
笑顔のアルフォンスをひと睨みすると、彼は肩をすくめ、ペンを置いて立ち上がった。そのまま私が座るソファーの向かい側に腰をかける。
彼は、金髪と青い瞳で時折見せる気だるげな様子から、憂いに沈む王子も麗しいと噂されているらしい。それは単に眠気と戦っている時に見せる顔だ。
「で? グランテーレ国の王女様はどんな女性だった? 公に姿を見せないで有名な女性でしょ。病弱だとか、外見に自信がないとか、我が儘娘だとか、人嫌いだとか散々な噂が飛び交っているらしいけど」
組んだ足の上で頬杖をつくアルフォンスは興味津々で尋ねてきた。
「さっき少し顔を合わせたばかりだ。分かるわけがないだろう」
「でも外見ぐらいは分かるでしょうが」
「外見は――」
跳ねたように顔を上げた彼女の姿を思い出す。
「腰の辺りまで伸ばした白に近い金の髪で、透けるような白い肌。長い睫も薄い金色、右目が琥珀色、左目が青色の瞳。腕も肩も腰も細い華奢な女性だ」
「……めっちゃ見てるじゃん。へえ。瞳はバイアイなんだ。――ああ」
アルフォンスは顔を引きつらせて笑った後、ふと目を細めて首を傾げた。
「と言うことは外見に自信がないっていう噂は違ったってことかな」
「そうだな」
「そうだな? ってことは、レイヴァンから見て美人さんだったってことなんだ?」
にやにやと今度はからかうような笑みを見せる彼をまたひと睨みする。
「アルフォンスが尋ねるから答えただけだ。美人とは言っていない」
「ふうん。じゃあ、美人ではないんだ」
「美人ではないとも言っていない」
「あーはいはい。分かった分かった。面倒だなあ、もう」
彼は苦笑しながら両手を挙げたが、面倒に思っているのはお互い様だ。
「外見は痩せすぎで病弱なのでは思った。ただ、慣れぬ馬車での長旅で食事もまともに取れなかったのかもしれないが。一方で、もしかしたら噂もあながち間違っていないのかもしれないとも思う」
目を伏せがちな態度からは想像しがたいが。
「ん? 彼女、何か早速やらかしたの?」
「やらかしたと言うか。サンティルノ語で自己紹介しろとまでは言わないが、最低限の言葉も理解できなかったどころか、公用語すら理解できていないようだった」
一般的に、直接的な政には関わらなくても、王族は会宴の場で他国の者と交流するために公用語の習得は必須とされている。それを学んでいないとなると、公務か勉強が嫌で放り出していたのかもしれない。
「確かに、交戦する何年もの前にグランテーレ国に招待されて行ったことがあるけど、第一王女は紹介されなかったな。パーティーにも顔を出していなかったし、公用語を話せなかったからということだったのかな。火のない所に煙は立たぬとも言うし、彼女も何らかの問題を抱えている可能性は確かにあるね」
「そうだな。……まあ、何にしろ言葉が分からなければ腹の探りようもない」
「うん。とにかく警戒は怠らないことだね。サンティルノ国の剣が、彼女が持つ懐剣の刃に倒れたり、色香で籠絡されたら国の危機だ」
「私を何だと思っている」
私はまた目を細めてアルフォンスを睨め付ける。
「とにかくだ。王宮侍女にはグランテーレ語を話せる者が何人かいただろう? 一人借りたい」
だからこうして馬を飛ばして王宮にやってきたわけだ。
そう言えば屋敷を出る前、侍女が空のカップと形の崩れた茶菓子を持って出てきていた。廊下から目が合った彼女は青くなって縮こまったな。アルフォンスに侍女の派遣を願い出るために一刻も早く屋敷を出ようと思っていたから事情も聞けなかった。もっとも侍女から見た事情は聞けたとしても、彼女からの事情は聞けないが。
「そういうことね。なるほど。いいよ」
「恩に着る」
「うん。もっと恩に着てくれて良いよ」
「いや。お前は恩に着せるな。元々の原因はお前だ」
アルフォンスはちっと舌打ちして立ち上がると仕事机に戻り、置いてある呼び鈴を鳴らす。するとすぐに失礼いたしますと護衛騎士が入室し、まずアルフォンスに一礼し、続いて私にも一礼した。
「王太子殿下、ご用でしょうか」
再びアルフォンスに向き直った護衛騎士が用件を尋ねる。
「うん。グランテーレ語を話せる侍女を、うちからシュトラウス家に一人派遣したいんだ。選抜してくれるかな。臨時的ということと、追加報酬を与える旨を伝えて」
「はっ。条件はいかがいたしましょう」
「そうだね。日常会話をスムーズに話せるレベル以上の者で、年齢は二十歳前後の女性でお願いするよ。同年代のほうが気安くていいだろうから」
「エドバンス、悪いが頼む」
「はっ。承知いたしました。それでは早速選抜してお連れいたします」
私も彼に声をかけると、きびきびとした動作と口調で礼を取って彼は退室した。
「あ。そうだ。ねえ、レイヴァン」
媚びるような笑みを見せるアルフォンスに嫌な予感しかない。
「待っている間、ちょっとこの書類を手伝う――」
「気はない。私も厄介事を抱えている。他ならぬ王太子殿下直々のご命令で」
「うわぁ。嫌味ったらしーい」
アルフォンスは椅子のもたれに身を任せて天を仰いだ。
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