第6話 王宮から派遣された侍女

 レイヴァン様のお屋敷にやって来た初日から、しかもまだ時間もさほど経っていない内から失態を犯してしまった。開かれた扉によって廊下から私を見たレイヴァン様の瞳は鋭く、きっと厄介な娘がやって来たと思われてしまったことだろう。


 ローザさんもミレイさんも顔にはまったく出さずに対処をしてくれたものの、とても再びお茶を飲む気にはなれない。謝罪の姿勢を取った後、手振り身振りで替えのお茶を固辞したら何とか分かってもらえたようだ。

 その後は用事がなくなったからか、あるいは気遣って一人にしてくれたのか、お二人は私を残して部屋を出た。


 一方、レイヴァン様と言えば、私が騒動を起こしている間にお出かけになっていたらしい。所在なさげに与えられた部屋をうろうろしていたところ、馬車から降りるお姿が窓から見えた。


 お出迎えしたほうがいいのだろうか。けれど今日来たばかりの私に、まして招かざる人間に屋敷内をうろつかれるのは好まないかもしれない。

 レイヴァン様を見つめながら、ああでもない、こうでもないと逡巡していたら不意に彼が顔を上げた。


 ――目が合った!?

 私は慌てて身を翻して窓から離れる。

 とっさに逃げてしまったけれど、今のは絶対に良くない態度だった。悔やみながらも既におこなってしまったことを取り消すことはできない。

 結局、お出迎えする勇気も出なくて部屋の中に留まっていたら、少しして部屋の扉がノックされた。


 サンティルノ語では何と返事するのだろうか。けれど今は自国の言語でしか答える術はない。一拍置いて、はいと返事をすると外から扉を押して開放された。廊下に立っているのはレイヴァン様だ。

 慌てて顔を伏せて礼を取る私に彼は何かを言ってきた。もしかしてさっきのことを咎められているのだろうか。胸がどくどくと高鳴る。


「レイヴァン様は少し話がしたいとおっしゃっています」

「……え」


 突然柔らかい女性の声が、しかも私に理解できる言葉が聞こえてきて、おそるおそる顔を上げるとレイヴァン様の横に若い女性が立っていた。栗色の瞳と髪色で肩まで髪を伸ばしている。まだ紹介されていない方だ。


「部屋に入ってもいいかと」

「――あ。は、はい」


 慌てて横に身を引くとレイヴァン様が部屋に足を踏み入れた。けれど扉口辺りから動こうとはしない。

 私が椅子へと誘導しなければならないのだろうかと考えていたら、レイヴァン様が女性に何かを言った。彼女は頷くと私に向き直る。


「はじめまして、クリスタル王女殿下。私はマノン・オランジュと申します。マノンとお呼びくださいませ」


 礼を取って挨拶した後、彼女は私に笑顔を向けた。

 サンティルノ国に来てから初めて見た嫌味のない笑顔だ。


「レイヴァン様のご要請により王宮から派遣され、本日より通訳者として王女殿下の専属侍女に就かせていただきます」

「通訳者……」


 レイヴァン様は私に通訳者をつけてくれた?

 私は彼女とレイヴァン様を交互に見ると、彼は何となく意図を読み取ってくれたようで頷く。


「はい。私はグランテーレ国出身で、四年ほど前に両親と共にこちらへ移住してまいりました。まだ私も言語が拙い所がございますが、精一杯務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

「……あ。こ、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」


 張っていた肩が少し緩んだ気さえする。私はレイヴァン様に向き直ると今はまだお礼の言葉は言えず、ただ丁重に礼を取った。



「そうですか。到着してすぐに失敗してしまったのですか」

「ええ。そうなのです。緊張してしまいまして」

「それは大変でしたね」


 私は反省を踏まえて先ほどの失態を早速話すと、私の髪を優しく梳いてくれるマノンさんは眉を落としながらも困ったように小さく笑った。

 正面には大きな鏡がかけられていて、金の繊細な装飾で縁取られている。


「仕方ありませんわ。クリスタル王女殿下はご自分の意志とは関係なく、元は交戦していた国と政的なご結婚でこちらにいらっしゃったのですもの。緊張もなさるでしょう」

「ええ。あの。マノンさん、わたくしはシュトラウス家に入りました。王女殿下の敬称はもう」

「失礼いたしました。それでは奥様でしょうか」

「……いえ。クリスタルでお願いいたします」

「はい。ではクリスタル様ですね。承知いたしました」


 マノンさんはすぐに快く対応してくれた。


「はい。お願いいたします。ところでマノンさんはどうしてこちらの国にいらっしゃるのですか」

「父の仕事の関係で移住したのです。本来なら異国の者が王宮に務めることなど考えられないことですが、幸いにも伝手がございまして。とても幸運なことでした」

「そうでしたか。それなのに臨時的とは言え、わたくしのために王宮を離れさせることになってしまい、誠に申し訳ありません」

「いいえ。とんでもないことでございます。まさかグランテーレ国の王女様にお仕えすることができる日が来るだなんて夢にも思いませんでした。とても光栄なことですわ。それにお初にお目にかかりますが、こんなにお美しい方だっただなんて! お肌も抜けるように白いですし、何より左右違いの瞳の色がとても神秘的ですね」


 返す言葉がなくて目を半ば伏せて黙っていたけれど、彼女の完成でございますの声に顔を上げる。

 鏡で頭を確認すると、自分では持て余していた長い髪が綺麗にまとめられている。また綺麗な髪飾りも付けられていた。


「まあ。とても素敵です。ありがとうございます」

「お気に召していただけて大変嬉しく存じます。――さあ。ではこれからご夕食ですわ。心のご準備はいかがでしょうか」

「は、い」


 そうだ。

 これからレイヴァン様との初めての食事だ。先ほどのような失敗はしないだろうか。そんな思いが言葉を詰まらせる。


「大丈夫ですわ。お力を抜いてくださいませ。お食事中も私がすぐ側に控えさせていただきますので」

「そんなことまでしていただくわけには」

「いいえ。私は通訳者でございますからお気になさらずに。何かあれば私がお助けいたします。一緒に頑張りましょう」

「はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 心強い言葉に落ち着いた私は頷いた。

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