第6話 幼馴染+犬=?

 ソーンダイク公爵家令息のザカライヤ様のことは、実はあまり存じ上げない。

 元々公爵家の御方など雲の上の存在で、一介の子爵家の我が家では接点など持ちようもないのが普通だ。

 

 ただ、ザカライヤ様もギブソン侯爵様と同じで、馬がたいへんお好きでいらっしゃった。

 

 ザカライヤ様が十二歳の時、王立学院入学に向けてご自身の馬を買っていただくことになったそう。こだわりの強いザカライヤ様は、あちこちの馬を見て回って、ついにこれぞという一頭を我が領で見つけられた。

 ただそれは、お父様がティムのために用意していたもので、ティムの三歳の誕生日まで馬の飼育と調教を得意としている領民の牧場に預けていた馬だったのだ。

 

 ソーンダイク公爵家からの要請なので、うちとしては断れない。

 馬のことはまだティムには秘密にしていたので、お父様は泣く泣く了承した。

 そしてザカライヤ様は馬探しの中で度々『小鳥姫の馬の扱いはすごい』などという話を領民から聞いて興味を持たれたらしく、馬の受け渡しに私を同席させることを指定したのだ。




 

 馬の受け渡しはガスター領の馬術練習場で行われた。

 ザカライヤ様がいくら馬に慣れているとしても、馬ごとに癖も違うし相性もある。

 なのでここで試し乗りしていただきながら、この馬の性質や馬に教え込んでいる馬術を直接お伝えすることにしたのだ。


 その場に立ち会った当時十二歳の私といえば、家族と領内の人以外と接する機会は少なく、また同年代の貴族の男の子はアーロンしか知らない有様だった。

 

「君が『小鳥姫』か。同い年とは思えない。ずいぶん小さいのだな」

「ソーンダイク公爵令息様、この度は我が領の馬をお見初めいただきありがとうございます」

 

 私はかちこちになりながら、昨日覚えた挨拶を申し上げた。

 初めてお目にかかるザカライヤ様はとても背の高い方で、凛々しいお顔立ちをしていた。

 一言で言えば周りにいないような『男っぽい』方だったのだ。

 これに私は戸惑ってしまった。

 

「僕のことはザカライヤと呼んでくれ。君の弟君には申し訳なかったが、この度は譲ってくれてありがとう。三歳の子なら馬に乗るのはまだ先だろう。だからこれからは僕がこいつを責任持って可愛がってやるつもりだ」

「あ、ありがとうございます」

「ところで、『小鳥姫』は馬の操縦がうまいとか。見せてもらえないか」


 そう言われるとは思っていなかったので、私の服は普通のワンピースだった。

 そして悪いことに普通の子女がよくするような横乗りは逆に苦手にしていた。


「いえ、今日はそのような準備がありませんので」

「じゃあ別日で計画しよう。いつがいいか?」

「え、あの······」

「うん? 何故返事に困る? まさかいやなのか?」

「······」

「どうした? 『小鳥姫』、どうしたんだ?」

 

 背の高いザカライヤ様が、不思議そうな顔をしてぐいぐいと近寄って来られる。 

 大きな声もその言葉もどうしてだか叱責のように聞こえて、私はパニックを起こして逃げてしまった。

 

 厩舎を案内していたお父様とソーンダイク公爵様がこちらに向かって来ていたが、大急ぎで頭を下げて、そのまま泣いて走った。

 そうしたら、後からザカライヤ様が走って追いかけてきて、ますますパニックになり、ついに過呼吸を起こして倒れてしまった。

 

 地面に引き寄せられるように垂直に倒れたようなので、皆びっくりしたらしい。

 

 目覚めた時にはもうザカライヤ様達はお帰りになっていたのだけど、それ以来男の人がすごい勢いで寄って来ることがトラウマになってしまい、一時の私はかなりの引き篭もり状態だった。


 ザカライヤ様はただ誘ってくれただけ。

 なのに私は勝手に怯えて勝手に逃げて倒れて······。

 失礼に失礼を重ねてしまった。


 ザカライヤ様は何も悪くない。

 気に入った馬を手に入れられると思って、多少興奮してお声が大きかったりはしたかもしれないが、初対面の私にも挨拶してくださって少年らしい快活さを見せていただけ。

 それなのに一度恐怖心が生まれてしまうと、ザカライヤ様だけでなく男性全般が怖く感じるのを止められなかった。


 お父様のことはさすがに大丈夫なのだけど、たとえば男の人の大声が怒鳴り声のように感じてしまう。

 他にも背の高い家令のトマスが、ただ郵便物を渡してくれるというだけでも近寄れなかったり。

 気を使ったコックのオットーが、私の好きなお菓子でも作りましょうと声をかけてくれても、何も答えられずに逃げてしまうとか。

 その症状は少しずつ緩和されたけれど、とにかく当時は男性というだけで過剰に怖がってしまう有様で、家族にも使用人達にも本当に迷惑をかけた。


 ポーリーンはそんな私を心配してよく来てくれていたのだが、成長期で背の伸び出していたアーロンのことは、申し訳ないけどザカライヤ様と同じように怖く感じていた。

 おそらくアーロンはそれを知って遠慮してくれるようになったのだろう。

 こうして私達は自然に会わなくなっていったのだ。

 



 

 そして翌年の王立学院入学式で事件は起こる。


 私とアーロン、それからザカライヤ様は同い年なので一緒の入学のはずである。

 だが彼らにご挨拶をしようという気概もなく、ひとり隅の方で参列するつもりで目立たぬように会場に入っていった。

 それなのに。

 なかなかに広いホールであったのだけれど、私を見つけたザカライヤ様は後ろから声をかけて来られた。

 

「『小鳥姫』久しぶりだな。元気にしていたか?」

 

 入学式ということもあって、私も緊張しており、声も出せず足も竦んでいた。

 

「あの後も貴女のところに連絡を出しているのだが、なかなか会えずにいるな。家令は貴女に伝えていないのか? 報告を怠る使用人ならば困ったものだな」

 

 怖い怖い怖い······ただそれだけを思っていたら、恐怖に拍車がかかり頭がぐらぐら揺れてきた。

 

「そうだ、あの時の額の怪我は大丈夫か? 血が出ていたただろう?」

 

 ザカライヤ様が手を伸ばして私の額に触れようとしたその時、

 

「クローディア! 入学おめでとう!!」

 

 そこにポーリーンが割って入って、私を連れ出そうとしてくれた。

 

「ちょっと待て! まだ僕が話しているところだろう!」

 

 すでに恐怖で震えが来ている私の腕を、ザカライヤ様が掴んだ。

 

「痛っ······」

 

 あんまりにも痛く、怖かったのもあって、甲高く上げてしまった私の声は入学式の会場に響いてしまった。

 誰かが報告したのか、声が届いてしまったのか、入口から先生がやって来るところが見える。

 

「すまない。ただそこまで強く掴んでいないだろう?」

「ソーンダイク様、女性はか弱いのです。殿方の軽い力でも辛いこともございますわ」


 ――このままでは衆目を集めかねないわ、どうしよう。 


 そこへおっとりとしたアーロンの声がかかる。

 

「姉上、まもなくミカエル殿下のご挨拶が始まるよ」

 

 壇上ではたしかにアルバーティン王国第三王子ミカエル殿下が入学のご挨拶を始めるところだった。 

 

 周りの意識を自然に壇上に向けたところで、アーロンは私をザカライヤ様からそっと離してくれた。

 だがすっかり萎縮していた私は、アーロンにきちんとお礼も言えずにポーリーンについて行ってしまったのだ。


 

 後から医務室に来て下さった先生には、うっかり古傷が痛んだだけでザカライヤ様に瑕疵かしはないことを報告したが、先生は何かに気付かれたのか少し渋い顔をしていらした。


 ザカライヤ様は、ただ懐かしく挨拶をして下さっただけなのだと頭では分かるのに、過剰に反応してしまう自分が情けなかった。


 掴まれた腕にはしばらく赤みが残ったが、それも自分の駄目な部分の象徴のように感じた。 

 


 

   ◇   ◇   ◇ 


 

 

 家に着くと、何故か今日は来ないはずのアーロンが来ていた。


 当たり前のように犬耳帽を被って、同じく犬耳帽姿のティムと一緒に応接室でお茶を飲んでいる。


 この家に来たら犬耳帽は要装着なのね。

 

「ワン!」

「ワワオーン!!」

「······た、ただいま戻りました」

 

 ······ティム、貴男も犬になったの?

 二人とも主人の帰宅を喜ぶ飼い犬のようなのだけど。

 

「いらっしゃいませ、アーロン。私着替えて来ようかしら······」

「姉様、そのままでいいよ! お茶しようよ。ワワン」

「おかえり、クローディア。少し顔色が悪いようだけど、学院で何かあった? クゥーン」

「本当だ、早く温かいもの飲んで! ワン」

 

 鋭いわ、二人とも。

 でも犬設定は続けるのね。

 

「ありがとう二人とも。実は先程学院の先生から、私の婚約者のことを聞いて、ちょっとショックなの。でも······」

「え? 姉様はアーロン兄様との婚約いやなの? ウォーンウォーン」

「え? ティム、ちょっ」


 ティムがおかしな事を言い出した、 

 アーロンが驚き過ぎて犬語を忘れて顔を赤くしているけど、それどころではない。

 我が弟ながら、侯爵家令息様に対して何をとんちんかんな事を言っているのだ。


「ええっ? 何を言ってるの、ティム。私の婚約者はアーロンじゃないわよ?」

「姉様こそ何を言ってるの? 婚約者はアーロン兄様だワン」


 ――え? 嘘でしょう?

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