第7話 犬になったアーロンの理由
――私の婚約者はザカライヤ様ではなくてアーロンなの?
思いもよらないティムの発言に私はさらに困惑してしまった。
そんな事、お父様達もアーロンもポーリーンだって言わなかったのに······。
言わなかった? 私が逃げて何も聞かなかっただけではなくて?
······とにかくアーロンと二人で話さなければいけないわ。
アンに誘導を頼んで、ひとまずティムには席を外してもらうことにした。
ティムは『がんばれワンワン!』などと呑気なことを言いながら大手を振って去って行ったが、当のアーロンはというと、犬耳帽の耳が下がって見えるほどうなだれている。
「アーロン、どういうことなの?」
「ごめんね。今まで黙ってて」
「じゃあ本当に······?」
アーロンは黙って頷く。
「そうなの。······私、本当に知らなくて、その、貴男に失礼なことを言ったと思うわ」
「そんな事ないよ! 僕が悪いのだから、クローディアが気にすることなんて何もない」
「でも······」
私は考えがまとまらない。
誰だか分からない人と政略結婚をするのだと、今の今まで思ってきたのだ。
アーロンではない人と結婚するために訓練を付き合ってもらっていて、だけどそれは違って······。
「クローディア、入るわよ」
お母様がいらっしゃった。
◇ ◇ ◇
すっと入って来られたお母様は、犬耳帽姿のアーロンを見て吹き出した。
「アーロン様、いやだよくお似合いね。クローディア、このお帽子、貴女とても上手に作ったわね」
「お母様······」
お母様の屈托のない声で何だか気が抜けてしまった。
そのまま流れるようにお母様は席に着き、私の方を向いた。
「クローディア、貴女を婚約者にとお申し出下さったのはアーロン様で間違いないわ」
「そうでしたか······」
「実は他にもお申し出をいただいたお家もあったのだけれど」
と、ちらりとアーロンを見てから、お母様はお話を続けた。
「お父様と相談をして、子爵家と侯爵家という身分差はあっても、他に何があろうとクローディアを守るとおっしゃって下さったアーロン様に可愛い貴女を託そうと思ったのよ」
――そうなの?
思わずアーロンを見遣っても、彼はまだ頭を下げたままだ。
「婚約の話をした時、貴女倒れてしまったでしょう? あの後ご自身でその話をしようと我が家にいらしたアーロン様が、『先に直接クローディアに話さなかった僕が悪いのです。正式な婚約はクローディアに受け入れてもらってからにしたいので、少し時間を下さい』と頭を下げられてね。······皆に
「こちらがご無理を言ったのです、ティムは悪くありませんから」
アーロンは可哀相なくらい縮こまっている。
小型犬のような、昔の臆病者のトビィみたいな瞳だわ。
「ポーリーンからも、『クローディアの男性嫌い克服の策がありますから』って言われていたけれど、まさかそれがアーロン様が犬になることだったなんてね」
お母様は犬耳姿のアーロンを見遣って、ほほほと声を上げた。
「お母様、ではソーンダイク公爵家のザカライヤ様のことは、先方の勘違いでしょうか?」
「······ザカライヤ様とまた何かあったのか?」
「ええ、先程先生から『ザカライヤ様が婚約者候補なのか?』と聞かれたのです。私、どなたに決まったか知りませんでしたので、もしかしたらと······」
「ザカライヤ様······それは不思議ね。とにかく正式に話を進めようとしているのはアーロン様とよ? もし貴女がいやだと言うのなら白紙にしますけれども」
「夫人、お待ち下さい!」
アーロンが犬耳帽を外して思わず立ち上がるが、お母様はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「あら、私だってまだ娘の気持ちは聞いていないのだもの。どうしてもいやなら無理強いは出来ないことよ。······それでクローディア、少しは落ち着いたかしら? まず貴方達は二人でお話するべきね」
お母様はごゆっくり、と言ってアンを伴って退室された。
扉を少し開けてはいるものの、男性と二人きりになるのは初めてだ。
でも大丈夫、アーロンは怖くない。
「ごめんね、騙すようなことをして」
「いえ、元はと言えば私が怖がって倒れたから······」
「あのね、クローディア。僕達いつの間にか話すことが少なくなってしまったけど、僕は子供の頃のあの時からクローディアをお嫁さんにしたいと思っていたんだよ」
そう話すアーロンは、情けなさそうな顔で微笑んでいる。
「あの時?」
「ほら、トビィが家に来てまもなくの頃だよ」
◇ ◇ ◇
それはまだ私達が五歳の頃のことだ。
アーロンがギブソン侯爵様から子犬をもらったというので、私達家族も見に行かせていただいた。
その頃のアーロンは大人しい男の子で、通常の勉強に加えて早くから才能を見込まれ魔術の勉強にも励む日々を送っていた。
元々飲み込みの良かったアーロンは、魔術の勉強に嵌ってしまい、本ばかり読む子になってしまったそうだ。
後からお父様経由で教わったところによると、勉強漬けであまりに家に籠もってばかりいては心配ということで、外遊びが自然に出来るように犬を飼って、アーロンに世話をさせるように仕向けたのだという。
初めて見たアーロンの犬は、薄茶色の丸々とした可愛い子犬だった。
「アーロンさま、こんにちは。いぬをみせてもらいにきました」
「いらっしゃいクローディア。このこはトビィだよ。いっしょにおせわしよう」
「ポーリーンさまは?」
「いまはおべんきょうちゅうだから、あとでくるよ」
トビィはモフモフな尻尾を振りながら、私の足にすり寄ってきた。
頭をぐいぐいと押し付けられながらもトビィのその額を撫でようとした時、私は体勢を崩して尻もちをついてしまった。
「クローディアだいじょうぶ?」
「あはははは」
私が転んだら、トビィはますます喜んでお腹に登り顔を舐めてくる。
可愛くてくすぐったくて、私は大笑いしてしまった。
「ぼくのいぬがごめんね」
「どうして? トビィはわるいことしてないわ」
「きみにめいわくをかけたよ」
「めいわくなんかじゃないわ。トビィはわたしをすきといっているのよ」
「そうなの?」
「そうよ! わたしどうぶつのことはよくわかるの。うまもとってもかわいいのよ」
トビィは『その通り』と言うように、はち切れんばかりにぶんぶんと尻尾を振っている。
「トビィはアーロンさまのことがすきだから、おともだちのわたしにあいさつしたのね」
「それでころばされてもいいの?」
「わたし、おせわするやくそくしたもの!」
「じゃあクローディアはぼくがしっぱいしてもおこらない?」
「しっぱいならおこらないわ! せいこうするのをまつのもたのしいから」
「ぼくもクローディアがしっぱいしてもおこらない。そうか、すきだとおこらないのかもね」
「そうね! いじわるなひとはきらいだもの」
それからトビィとお散歩をして、『お手』の練習をした。
トビィはくりくりのお目々で頑張っていたけれど、『お手』と『お代わり』を何度も失敗したのに、ナデナデをして欲しがった。
その姿も可愛らしいので、何度も練習して、成功すると二人でトビィにキスを贈って撫でてたくさん褒めた。
「トビィ、えらいね、おりこうさんだね」
「じょうずだよ、トビィ、そのちょうし!」
そうこうしているうちにポーリーンがクッキーとケーキが焼けたと知らせにやって来たので、三人と一匹でかけっこをしながらお茶の席に向かった。
私はトビィと遊べたことがとても嬉しくて、帰りの馬車でもあれこれと沢山話したらしい。
それからしばらくして、ギブソン侯爵家夫人が我が家にいらっしゃった。
あの時私がおいしいと言っていたベリージャムの挟まったクッキーを届けて下さったのだ。
「この間はアーロンと遊んでくれてありがとう」
「わたしもアーロンさまとトビィとあそべてたのしかったです。ポーリーンさまとも、またあいたいです」
ギブソン侯爵家夫人は美しい顔をさらに輝かせて、頭を撫でて下さった。
「嬉しいわ、クローディア。あのね、最近アーロンは大分元気がなかったの。でもクローディアとトビィを見ていて、自分の良くないところに気がついたのですって。だからアーロンにとってはクローディアとトビィが恩人なのね。だからこれからもよろしくね、クローディア」
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