第32話 ショウの恩人➀

 レイラが忽然と消えて、もうすぐ3年経つ。彼女の足取りは依然として分からなかった。遠くに行ける身体ではなかったはずだ。何より、記憶のない彼女が、ふらっとどこかに行くなんて考えられなかった。あの場所に一人残しておいたことが悔やまれた。もしも複数の男に拉致されていたら。どこかに監禁されていたら。そんなことを考えては、何度も身震いした。身元不明の遺体が見つかったというニュースに神経を尖らせ、彼女に似た人を見かければ思わず呼び止めた。


 生きていくために、彼女を見つけるために、人殺し以外何でもした。集落で育ったショウには、外の世界にある何もかもが恐ろしかった。分からないことは人に質問し、驚かれ、小馬鹿にされ、騙されながら日々を過ごした。


 ある日、空腹で町を彷徨っていると男が声をかけてきた。彼は食事をごちそうしてくれ、粗末ではあるが住むところまで提供してくれた。どうやらショウをホームレスだと思っているらしく、彼はホームレスを支援するNPOの人間だと名乗った。ショウに戸籍がないと知ると、病院にも行けないだろう、どこか悪い所があるかもしれない、健康診断をしようと小さな診療所に連れて行ってくれた。

 しかし実は、親切だった男は人身売買の犯罪を行っている連中たちと繋がっていた。ショウは臓器売買のドナーとして売られそうになっていたのだ。その事実に気がついた時は危機一髪で逃げ出したが、その後にも見知らぬ人に殴られたり、危害を加えられたりすることは日常茶飯事だった。  

 外見が災いしてか、男にも女にも襲われそうになった。監禁され、いかがわしい店で働かされそうになったこともある。命の危険を感じたことは一度や二度でない。これが憧れていた外の世界かと、底知れぬ絶望感に襲われた。


 そんな時に出会ったのが『高垣翔』だった。年齢は翔が3歳年上だが、同じ名前の2人は気があった。彼は高校生の時に家を飛び出したのだという。それでも、時折会話に出てくる、一人暮らしの母親を気にかけているようだった。

 2人はお互いを『ショウ』と呼び合うようになり、困ったときは助け合うような間柄になった。翔はショウの身体能力と頭の良さに、度々驚いていた。ただ、あまりにも世間知らずなので、放っておけない。翔はショウに、電車の乗り方、買い物の仕方、簡単な一般常識を教えた。2人で日雇いの仕事をこなし、時には危険な裏の仕事に手を出して日々生き延びた。

 しかし、そうするうちに2人の存在は目立つようになり、あちこちから目を付けられるようになった。


「俺さ、そろそろ親の所に戻ろうと思って」

 ある日、翔が切り出した。

「まとまった金を手に入れて、帰ろうかなと。ショウは一人で生きていけるようになった。何より頭がいいし、その運動神経は普通じゃない。どこでもやって行けるだろ」

 ショウはその時に初めて、レイラの話をした。余計な心配をかけたくないので、事件の話はしなかった。自分は人里離れた場所で生まれ育った。自給自足で生活し、それなりに平和だった。けれどある日、一緒に暮らしていた彼女が突然消えた。自分は彼女をずっと探しているのだと説明した。


 話を聞いた翔は、なるほどなと頷く。

「それでショウは世間知らずだったのか。全く、スマホもパソコンも電車も見たことないって言うから驚いたよ。タイムマシンにでも乗って、過去から来たのかと思ってた。そうか、彼女か。お前にもいろいろと事情があったんだな。早く、見つかると良いな。彼女が見つかった時は、俺に紹介しろよ」

 翔は微笑んだ。


 表には出せない大金を所持している男の噂を聞いたのは、その少し後だ。犯罪がらみで得た金を、少しだけ頂こうと翔は言い出した。ショウはあまり乗り気ではなかったが、翔は簡単に手に入ると言い切る。

 男の家は、コンクリートの2階建て。入口に防犯カメラがあるが、隣接する家の屋根伝いに侵入すれば見つかる事はない。金庫の場所も開け方も、男にパシリのようなことをやらされていたから、この眼で見て覚えている。大丈夫だと翔は言った。少しくらい金が減ったって気づかないよと自信満々だ。


 早く親元に帰りたいと言う翔を見て、ショウは渋々ながら引き受けた。

「ショウの運動神経があれば、あいつの家に忍び込める。簡単だよ」ことなげに翔は言った。

「帰ったら、これをお袋に渡そうと思ってさ。日雇いで働いた金を貯めて買ったんだ」

 彼は腕時計を取り出した。ボタンを押すと時刻が音声で表示される。なるほど、いちいち見なくても時間が分かる。

「へぇ、便利だね。お母さん、きっと喜ぶよ」

「今回手に入れる金と、この時計を渡してやるんだ。お前も彼女に会った時、プレゼントの一つでも用意しておいたほうがいいぞ。彼女が好きなモノはなんだよ」

 翔がにやりと笑う。

 ショウは首を傾げた。レイラが好きなものは何だろう。シルバーのペンダントはあげたけれど、他にプレゼントらしいものは渡したことがない。何を渡しても、彼女なら喜んでくれるような気がする。

「さぁ、僕がいたらそれでいいんじゃないかな」

「はぁ? なんだよ。のろけかよ。面白くねぇな」

 翔は声を出して笑った。ショウもつられて笑った。

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