第17話 逃げきれず、捕らわれて②
それなりに楽しくやっている――アンはずっとそう思っていた。
突然両親が亡くなり、引きとってくれる親戚もいなくて施設に入った。学校に通ったけれど、彼女の居場所はどこにもなかった。
小学生の高学年になると学校にも通わなくなり、中学生になると荒れた日々が続いた。
そんなある日、偶然リュウジを見かけた。彼は男の人と一緒だった。すでに施設を出ていたリュウジがどこで何をしているのかは知らなかったけれど、彼はずいぶん見ないうちに雰囲気が柔いでいた。施設ではいつも一人で不機嫌なオーラを振りまいて、喧嘩に明け暮れていたリュウジが、男の人と笑っていたのだ。
リュウジが笑っている。ありえない光景にアンは目を丸くした。リュウジと一緒にいる男は誰だろうと気になった。あのリュウジが他人に対して簡単に心を許すとは思えなかったのだ。
施設に戻りみんなが寝静まった頃、そっと事務室に侵入してリュウジに関する資料を探した。身元引受人の欄には『氏名 松島エイジ・職業 警察官』と記載されていた。松島エイジ。リュウジを笑顔にした男。あの人なら、自分も救ってくれるかもしれない。松島という男はリュウジより10歳くらい年上で、取り立てて特徴のない人だった。けれど、どこかで見た顔だと思って記憶を手繰り寄せる。警察官、そうだ、あの人は何度か補導された時に見かけた、生活安全課の警察官だった。それからアンはエイジの周りをうろついた。待ち伏せをして後をつけた。
「お嬢さん、俺に何の用かな。いつもつき纏っているようだけど」
ある日、エイジの方から話しかけてきた。
「あんたはリュウジの保護者なの?」
単刀直入に尋ねると、
「リュウジ? ああ、きみはあの施設の子か。リュウジに用があるのか? あいつは別の警察署で働いてるよ」
リュウジが警察官になっているなんて、アンは知らなかった。
「あのさ、私も引き取ってくれない? 一人も二人もそう変わらないでしょ」
「今、いくつだ」
「中1、13歳だけど。この前、私を補導したの覚えていないの?」
エイジはジッとアンを見つめる。しかし思い出せないようだ。
「覚えていないな。引き取って欲しいならこれからあと3年、毎日学校へ行って、しっかり勉強しろ。そして学年でトップになれ。誰よりも賢くなって、3年経っても俺に興味があるなら会いに来い」
突き放す言い方ではなかった。どちらかといえば、諭すような、本当に学年トップの成績をとれば引き取ってくれるような言い方だった。
「分かった。そうする」
それから3年後、アンは再び松島エイジに会った。約束通り、真面目に学校へ通って学年トップの成績になった。彼はアンの身元引受人になった。
両親が亡くなってから初めて見つけた居場所だった。記憶喪失の状態で仲間になったレイラは世間知らずだけど、妹のように思っていた。いつも何か食べているトウリは楽しい奴だった。リュウジは相変わらず無口だけれど、レイラの事でおちょくると少しだけムキになるのが面白かった。頼りないようだけど、いつもみんなを見守ってくれるエイジ班長は信頼できる上司だった。
それなのに、レイラは裏切った。私から大切な居場所を奪ったレイラを絶対に許さないとアンは唇をかみしめた。
リュウジが部屋を出て30分後。レイラはベッドに腰かけていた。
(ショウはどこだろう。あの怪我で逃げ切れたとは思えない。リュウさんが本部に連絡して、警察に捕まっている可能性が一番高い。あたしが今ここを出て、闇雲にショウを探して捕まったら、あたしたちの目的は何一つ果たせなくなる。これからどうしよう)
そんなことを考えていたら、知っている人物が入って来た。
「アン……」
アンの顔は険しかった。
「あんたを助けに来たんじゃないからね。私は裏切り者を絶対に赦さない。忠告したよね。あたしたちを裏切ったら許さないって」
アンは冷たい声で言い放った。
「ごめんなさい。でもね」
「言い訳なんて聞きたくない! あんたが高垣翔と消えたって知った時、リュウジがどんな思いだったか分かる? 班長がどれだけ大変だったか知ってる?」
レイラは何も言い返せなかった。自分のせいで、みんながどれだけ辛い思いをしたか、考えたら言葉が出てこない。
「とにかくここを出るよ。リュウジが帰ってくる前にね」
アンが言うと同時に、目の前に白い靄のようなものが広がった。
「え?」
レイラの身体は唐突に力を失い、その場で崩れ落ちる。
「あんたが悪いのよ。みんなを裏切ったりして。せっかく見つけた居場所だったのに、あんたが全部ぶち壊したんだよ」
アンの言葉は、レイラの耳に届いてはいなかった。アンは崩れ落ちるレイラを見下ろして声をかける。
「これでいいんでしょ。トウリ」
「ああ、上出来だ」
どこからともなく現れたトウリは、レイラを横抱きに抱え上げる。二人はその場を後にした。
「レイラはどこに連れて行くの? 殺すつもり?」
「それはきみが知らなくてもいいこと」無表情でトウリが答えた。
数時間後、レイラはまた知らない部屋にいた。気が付けば固いベッドの上に横たわっていた。彼女は身体を起こして周囲を伺った。無機質なコンクリートの壁、窓には鉄格子、頑丈なドア。この部屋は容疑者を収容する部屋のようだ。監視カメラがこちらを見ている。
「ねぇ、ここはどこ? 誰かいるの?」
カメラに呼びかけるが返事はない。その時、ガチャリと鍵が開いて看守姿の男が二人、部屋に入って来た。
「あの、ここはどこ?」
『立て』
男達は問いには答えず機械的な口調で命令し、レイラの両手首に手錠を嵌めた。ドアが開き、レイラは外に連れ出された。ドアの外は広い廊下で、同じ色形をした扉が左右に並んでいた。
最初に連れてこられた場所は、病院の診察室のような部屋だった。両手首を固定されたままベッドに寝かされた。どこからか無表情な看護師が数名現れて、レイラの身体に注射針を刺し、採血や簡単な検査を行いはじめた。
「あの、ここは警察病院?」
誰も何も答えない。それどころか、目を合わせようともしなかった。指名手配犯のテロリストを前に、さっさと仕事を終わらせたい感じだった。
検査が終われば、先ほどの鉄格子の部屋に戻された。翌日、その翌日と検査が続く。
日が経つにつれ、様々なバイタルチェックや、精密検査、身体を使った実験のようなものが始まった。麻酔がうたれ、眠っている間に一体何をされたのか分からないこともある。
まるで人体実験の道具になったようだった。何か別のモノにでも改造されるのだろうかと一瞬、恐ろしい想像が脳裏に過った。感情も記憶も消されて、得体の知れない生物になった自分を想像してレイラは身震いした。
逃げ出すことも考えた。看守を倒し、セキュリティを解除することくらいできるだろう。レイラは最後に会ったアンの顔を思い浮かべた。彼女がここに連れてきたはずだ。逃げだせば、リュウジやアンに迷惑がかかる。レイラはぐずぐずと考えた。ショウは無事なのか。彼は一体どこにいるのだろう。
ここ毎日打たれる麻酔や様々な薬のせいで、思考回路が鈍くなっているようだった。
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